2.4 梵我一如 (ブラフマン=アートマン):宇宙と自己の本質
ヴェーダの祭祀が宇宙の外的秩序を維持するための壮大な試みであったとすれば、ウパニシャッドの哲人たちは、その探求のベクトルを180度転換させ、内なる宇宙の深淵へと向かいました。彼らの胸中に燃え盛っていたのは、一つの根源的な…
ヨガを学ぶヴェーダの祭祀が宇宙の外的秩序を維持するための壮大な試みであったとすれば、ウパニシャッドの哲人たちは、その探求のベクトルを180度転換させ、内なる宇宙の深淵へと向かいました。彼らの胸中に燃え盛っていたのは、一つの根源的な…
ヨガを学ぶウパニシャッドの森は、広大で、深く、そして多様な生命に満ちています。二千年以上もの歳月を経て、無数の賢者たちの思索と瞑想によって育まれたこの森には、一本として同じ木はありません。それぞれのウパニシャッドが、独自の景観と、…
ヨガを学ぶヴェーダの壮大な神話と、宇宙のリズムと調和を奏でる儀式の世界を旅してきた私たちは、今、インド思想史における一つの大きな転換点に立っています。それは、外なる宇宙への賛歌から、内なる宇宙への探求へと、その眼差しを深く、静かに…
第一部で私たちは、古代インドの広大な精神的風景を旅してきました。そこは神々への賛歌が鳴り響き、祭祀の炎が天高く燃え盛る、壮麗で秩序正しい世界でした。インドラ神の武勇伝、アグニ神を介した神々と人間との交信、そして宇宙の秩序…
ヨガを学ぶ古代ヴェーダの祭官たちが、神聖な火の前で厳かに唱えたマントラ。その響きは、神々と人間、そして宇宙とを繋ぐための神聖な架け橋でした。数千年の時が流れた今、その古代の響きは形を変え、私たちの日常生活の中に静かに、しかし確かに…
ヨガを学ぶマントラ――この言葉を聞いて、あなたはどのようなイメージを抱くでしょうか。神秘的な呪文、あるいは願いを叶えるための不思議な言葉。それも一つの側面かもしれません。しかし、ヴェーダの世界におけるマントラの真髄は、そのような限…
ヨガを学ぶ私たちの生きる現代は、音に満ち溢れています。街の喧騒、鳴り響く通知音、絶え間なく流れる音楽。私たちは音の洪水の中で、そのほとんどを「背景」として、あるいは「ノイズ」として処理し、意識的に聞き流す術を身につけてしまいました…
行動力ヨガをずっとやっていて思うところがあります。 それは体力が大事ということです。 ヨガは体力によって支えられていることが多いです。 スポーツや運動関連の趣味はそうなのは当たり前だと思います。 ヨガもある程度身体を動かすので…
ヨガを学ぶ私たちの生きる現代は、言葉で満ち溢れています。朝、目覚めた瞬間からスマートフォンに流れるニュースの言葉、通勤電車の中吊り広告の言葉、SNSで交わされる無数の言葉、そして仕事で使う膨大な量の言葉。私たちは一日中、言葉の洪水…
ヨガを学ぶ私たちの日常は、知らず知らずのうちに、固く閉ざされた扉の内側で営まれているのかもしれません。時間、空間、そして「私」という自己意識。これらは、私たちが世界を認識するための揺るぎない土台のように思えます。しかし、もしその扉…
ヨガを学ぶ古代インドの叡智の宝庫であるヴェーダ聖典、その中でも最古層に位置する『リグ・ヴェーダ』を読み解いていくと、私たちはある神秘的な存在に繰り返し出会うことになります。その名は「ソーマ」。それは単なる植物や飲料の名ではありませ…
ヨガを学ぶヴェーダの世界を旅する中で、私たちは特に神秘的な光に包まれた、一つの聖なる存在に出会います。それは、神々の渇きを癒し、人間に霊感を与え、宇宙の秩序そのものを支えると言われる神秘の飲料、ソーマです。 『リグ・ヴェーダ』全1…
ヨガを学ぶヴェーダの世界観において、宇宙は単なる物質的な存在ではなく、神々の意志と力が躍動する生命的な舞台でした。その秩序は「リタ」と呼ばれ、季節の巡り、天体の運行、生命の誕生と死といった、世界の根源的な法則を司っています。しかし…
ヨガを学ぶ私たちの日常は、境界線の曖昧な、均質化された空間と時間の流れの中にあります。自宅と職場、プライベートとパブリック、聖と俗。これらの境界は時に溶け合い、私たちは知らず識らずのうちに、自分が今どこに立っているのかという座標軸…
MEDITATION-瞑想私たちは今、モノや情報が飽和し、常に「何か」を追い求めることを強いられる時代を生きています。より多くの知識、より高い地位、より豊かな生活。SNSを開けば、他者の輝かしい日常が流れ込み、無意識のうちに自分の「不足」を数えて…
MEDITATION-瞑想私たちは日々、情報の荒波の中を漂いながら生きています。スマートフォンの画面から絶え間なく流れ込む通知、終わりのないタスクリスト、他者からの評価。その渦中で、私たちは時折、「自分」という存在の輪郭を見失いそうになるのではな…
ヨガを学ぶはじめに:旅の終わりに立つー私たちはどこへ向かうのか 長く続いたこの連続講義も、いよいよ最終章を迎えることとなりました。第一講「ヨーガとミニマリズム – 概念の系譜と現代的意義 -」から始まり、私たちはヨーガ…
YOGA&BODY-ヨガと身体SNSで過剰な表現を見ると疲れませんか。 これは見ている側だけの問題ではなく。 注意を引くために投稿する側も過剰な表現が増えています。 ”いいね”もらえる為であったり、今ではビジネスのために注目さえ集めればいいという投稿…