3.3.5 プラティヤハーラ:感覚の制御 – 内側への集中

ヨガを学ぶ

私たちの生きる現代という時代は、かつて人類が経験したことのないほどの情報と刺激の奔流の中にあります。朝、目覚めた瞬間からスマートフォンが放つ光を浴び、通勤電車では無数の広告と人々の会話、イヤフォンから流れる音楽に身を晒し、職場では鳴り止まない通知音とモニターの点滅に追われる。夜、ようやく静寂が訪れるはずの自室でさえ、私たちは自ら進んでさらなる情報の海へと漕ぎ出していきます。私たちの感覚器官は、文字通り、一瞬の休息も与えられず、常に外部からの刺激を求め、それに反応し続けるよう飼い慣らされているのです。

この絶え間ない感覚の奔流は、私たちの心(チッタ)を疲弊させ、その本来の静けさと輝きを曇らせてしまいます。私たちは常に何かに「反応」しているだけで、自らの内側から湧き上がる衝動や、微細な心の声に耳を傾ける術を忘れかけているのかもしれません。このような時代において、パタンジャリが編纂した「ヨーガ・スートラ」が示す八支則の第五段階、**プラティヤハーラ(Pratyāhāra)**は、単なる古代の瞑想技法にとどまらない、現代人にとって最も切実な「魂の処方箋」ともいえる深遠な叡智を秘めています。

プラティヤハーラは、外へ外へと向かう意識の流れを反転させ、その源流である内なる静寂へと帰還するための、決定的かつ繊細な技術です。それは、ヨーガの旅における大きな転換点であり、外的な実践から内的な探求へと至るための、不可欠な「橋」の役割を果たすものなのです。

 

プラティヤハーラとは何か:ヨーガ・スートラにおける定義

「ヨーガ・スートラ」の第二章五十四節において、聖者パタンジャリはプラティヤハーラを以下のように定義しています。

sva viṣaya asaṁprayoge cittasya svarūpa anukāraḥ iva indriyāṇāṁ pratyāhāraḥ

(スヴァ・ヴィシャヤ・アサンプラヨーゲー・チッタスヤ・スヴァルーパ・アヌカーラ・イヴァ・インドリヤーナーム・プラティヤーハーラハ)

この短い箴言を丁寧に解き明かしてみましょう。

まず、鍵となる言葉の定義を明確にする必要があります。

  • インドリヤ(Indriya):感覚器官。これは単に目や耳といった物理的な器官だけを指すのではありません。むしろ、それらを用いて外界を認識し、情報を捉える「能力」や「機能」そのものを意味します。ヴェーダ哲学の伝統では、感覚はしばしば「暴れ馬」に喩えられます。

  • ヴィシャヤ(Viṣaya):感覚の対象。すなわち、色、形、音、香り、味、触感といった、感覚器官が捉えるあらゆる外的情報のことです。暴れ馬である感覚が駆け巡る「草原」や「水場」と考えることができます。

  • チッタ(Citta):心、あるいは心の働きそのものを包括する概念です。記憶、思考、感情、判断など、意識のスクリーンに映し出されるすべてが含まれます。

  • プラティヤハーラ(Pratyāhāra):「プラティ」は「〜に対して、反対に」、「アーハーラ」は「取り入れること、糧」を意味し、全体として「(感覚の糧を)引き戻すこと」「撤退させること」と解釈されます。

これを踏まえて先のスートラを意訳すると、「感覚器官(インドリヤ)が、それぞれの対象(ヴィシャヤ)との結びつきから離れ、あたかも心(チッタ)そのものの本質に従うかのようにある状態、それがプラティヤハーラである」となります。

ここで非常に重要なのは、「感覚を無理やり遮断する」とか「感覚を破壊する」といった暴力的なニュアンスが一切ないことです。むしろ、そこには自発的で、穏やかな「撤退」のイメージがあります。最も有名な比喩は、亀が危険を察知したときに手足や頭を甲羅の中に静かに引っ込める姿です。亀は外の世界を破壊したり、自分の手足を切り離したりはしません。ただ、安全で静かな自身の内側、すなわち甲羅の中へと引きこもるのです。同様に、ヨーガ行者は、感覚器官をその対象から優しく引き離し、意識を内側へと収束させていきます。

草原を自由に駆け回っていた馬たちが、御者の合図で自ら馬小屋へと戻ってくる。そんなイメージを描くと良いかもしれません。馬たちを無理やり閉じ込めるのではなく、馬たちが安心して休息できる場所へと導く。それがプラティヤハーラの本質なのです。

 

八支則におけるプラティヤハーラの役割:外から内への転換点

ヨーガの八支則は、大きく二つの部分に分けることができます。

  1. バヒランガ・ヨーガ(Bahiranga Yoga):外的なヨーガ

    • ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒):社会生活や個人における倫理的な土台。

    • アーサナ(坐法):身体を安定させ、快適に保つ実践。

    • プラーナーヤーマ(調息):呼吸を通して生命エネルギー(プラーナ)を制御する実践。

  2. アンタランガ・ヨーガ(Antaranga Yoga):内的なヨーガ

    • ダーラナー(集中):意識を一点に留める実践。

    • ディヤーナ(瞑想):集中の状態が途切れなく続く状態。

    • サマーディ(三昧):対象との一体化、自己を超越した悟りの境地。

この二つの間、ちょうど第五段階に位置するのがプラティヤハーラです。それは、外的な実践で培った安定性とエネルギーを、内的な探求へと方向転けるための、まさに**「扉」あるいは「橋」**としての役割を担っています。

ヤマ、ニヤマによって社会的な調和と内面的な清らかさを育み、アーサナによって身体という器を安定させ、プラーナーヤーマによってプラーナの奔流を穏やかにして初めて、私たちは感覚の制御という繊細な作業に着手する準備が整うのです。

  • アーサナとプラティヤハーラ:アーサナの実践は、単なるストレッチではありません。安定して快適な姿勢(スティラ・スカム・アーサナム)を長時間保つ中で、私たちは身体の微細な感覚、筋肉の緊張と弛緩、骨格の位置、重心の移動といった、普段は意識しない内的な身体感覚へと注意を向ける訓練をしています。これは、意識を外側の世界の出来事から、内側の身体感覚へと引き戻す、プラティヤハーラの初歩的な実践に他なりません。身体が落ち着かなければ、心が落ち着くことは決してありません。

  • プラーナーヤーマとプラティヤハーラ:プラーナ(生命エネルギー)とチッタ(心)は、ヴェーダ哲学において密接不可分なものと考えられています。「風が吹けば雲が動く」ように、プラーナが乱れれば心も乱れ、プラーナが静まれば心も静まります。プラーナーヤーマによって呼吸を制御し、プラーナの流れを整えることで、感覚器官が外へ外へと向かう衝動的な力そのものが弱まっていきます。エネルギーが無駄に外部へ漏れ出すのを防ぎ、内側に蓄えることで、感覚は自然と内向きになるのです。

このバヒランガ・ヨーガという土台なくして、プラティヤハーラは成立しません。そして同様に、プラティヤハーラという橋を渡らなければ、アンタランガ・ヨーガ、すなわち真の瞑想の世界へと足を踏み入れることは不可能なのです。感覚があらゆる方向へと散漫になっている状態で、どうして意識を一点に集中させること(ダーラナー)ができるでしょうか。プラティヤハーラは、瞑想の前提条件であり、その成功を左右する鍵なのです。

 

感覚のメカニズム:ウパニシャッドが描く「身体という馬車」

プラティヤハーラの思想的背景をより深く理解するためには、ヴェーダ哲学の奥義書であるウパニシャッド、特に『カタ・ウパニシャッド』に登場する有名な比喩に触れる必要があります。ここでは、人間存在が壮大な「馬車」として描かれています。

  • 馬車の主(乗り手)アートマン(Ātman) – 個の根源にある真我、純粋意識。

  • 馬車そのものシャリーラ(Śarīra) – 私たちの肉体。

  • 御者ブッディ(Buddhi) – 理性、知性、判断力。

  • 手綱マナス(Manas) – 心、思考や感情を司る器官。

  • インドリヤ(Indriya) – 五つの感覚器官。

  • 馬が走る道ヴィシャヤ(Viṣaya) – 感覚の対象で満ちた世界。

この比喩が示すのは、私たちの日常がいかに危うい状態にあるかということです。もし御者(理性)が眠っていたり、未熟であったりすれば、手綱(心)は緩み、五頭の馬(感覚)はそれぞれの欲望の赴くまま、好き勝手な方向へと走り出してしまいます。美しい色(視覚)、心地よい音(聴覚)、美味しそうな食べ物(味覚)といった感覚の対象(道)を求めて暴走し、馬車(身体)をガタガタの道へと引きずり込み、最終的には乗り手であるアートマン(真我)を本来の目的地から遠く引き離し、苦しみの淵へと突き落としてしまうでしょう。

これこそが、私たちが輪廻転生を繰り返し、苦悩から逃れられない根源的な構図です。

ヨーガの実践、とりわけプラティヤハーラとは、この構図を逆転させる試みです。それは、眠っていた御者(理性)を目覚めさせ、緩んでいた手綱(心)を力強く、しかし巧みに引き締め、暴れ馬であった五頭の感覚器官を完全に制御下に置く訓練に他なりません。感覚の馬たちが御者の指示に忠実に従うようになったとき、初めて馬車は正しい道を進み、その乗り手であるアートマンは、平安で輝かしい目的地、すなわち解脱(モークシャ)へと到達することができるのです。

 

プラティヤハーラの実践:内なる静寂を育む技術

では、具体的にどのようにしてプラティヤハーラを実践すればよいのでしょうか。それは、決して感覚を無理やり抑えつけることではありません。例えば、瞑想中に外で車の音がしたとき、「聞こえないようにしよう」と努力するのは逆効果です。その努力自体が新たな心の波(ヴリッティ)を生み出し、集中を妨げます。そうではなく、**「音は聞こえている。しかし、私の心はその音に反応しない。ただ、音が通り過ぎていくのを観察している」**という状態を目指すのです。

これは、頭で理解するだけでは難しく、身体を通した地道な訓練が必要です。以下に、プラティヤハーラを育むための代表的な実践法をいくつか紹介します。

  1. シャヴァーサナ(Śavāsana – 亡骸のポーズ)

    仰向けに寝て、全身の力を抜くこのポーズは、プラティヤハーラの最も基本的な練習の場です。指導者の声に従い、意識を足先から頭頂まで、身体の各部位へと順番に巡らせていきます。そして、各部位の感覚(重さ、温かさ、地面との接触感など)をただ感じ、そして手放していく。このプロセスを通して、私たちは意識を外の世界から身体という内なる世界へと引き戻します。同時に、周囲の物音や空気の流れといった外部刺激に対して、反応せずにただそれらが存在することを許す訓練を行います。

  2. ヨーガ・ニドラー(Yoga Nidrā – 眠りのヨーガ)

    「意識的な眠り」とも呼ばれる深いリラクゼーション技法です。指導者の誘導に従って、意識を身体の各部位、呼吸、感覚、そして心象風景へと巡らせていきます。覚醒と睡眠の狭間にあるこの意識状態では、感覚は自然と内側に向かい、心は外界の刺激から解放されます。これは、プラティヤハーラの状態を安全かつ効果的に体験するための、非常に優れた方法です。

  3. ブラフマリー・プラーナーヤーマ(Bhrāmarī Prāṇāyāma – 蜂の羽音の呼吸法)

    両耳を親指で軽く塞ぎ、息を吐きながら蜂の羽音のようなハミング音(「ンー」という音)を立てる呼吸法です。この実践は、頭蓋内に響く内的な音(ナーダ)に意識を集中させることで、外部の音から注意を効果的に逸らします。聴覚という最も強力な感覚の一つを内側に向けることで、他の感覚もそれに追随しやすくなり、プラティヤハーラの状態が深まります。

  4. トラタカ(Trāṭaka – 一点凝視)

    ろうそくの炎や黒い点など、一つの対象をまばたきせずに見つめ続ける浄化法・瞑想法です。視覚を一点に固定することで、心の放浪を鎮め、他の感覚への注意を弱める効果があります。実践後、目を閉じると、残像が意識のスクリーンに現れます。その内的な光に集中することもまた、プラティヤハーラの優れた訓練となります。

  5. 日常生活における実践

    プラティヤハーラは、ヨガマットの上だけで行うものではありません。日常生活のあらゆる場面で実践することができます。

    • マインドフル・イーティング:食事の際、スマートフォンやテレビを消し、食べ物の見た目、香り、食感、そして味覚に全ての意識を集中させます。これは、味覚と嗅覚のプラティヤハーラです。

    • マインドフル・ウォーキング:歩きながら、足の裏が地面に触れる感覚、筋肉の動き、呼吸のリズムだけに注意を向けます。

    • 意識的な休息:一日のうち数分間、意図的に全てのデジタルデバイスから離れ、目を閉じて自分の呼吸の音や心臓の鼓動に耳を澄ませてみましょう。

これらの実践を根気よく続けることで、私たちは感覚の奴隷であることをやめ、感覚の「主」となる術を少しずつ学んでいくのです。

 

プラティヤハーラがもたらす恩恵と現代的意義

プラティヤハーラの実践がもたらす恩恵は、計り知れません。それは、ストレスに満ちた現代社会を生き抜くための、強力な武器であり、安らぎの盾となります。

  • エネルギーの回復と節約:感覚器官が絶えず外部情報を処理することは、膨大な生命エネルギー(プラーナ)を消費します。プラティヤハーラによって感覚を内側に向けることは、このエネルギー漏れを防ぎ、心身の活力を回復させます。

  • 精神的なデトックス:私たちは日々、不要な情報やネガティブな刺激を無意識のうちに取り込んでいます。プラティヤハーラは、こうした精神的な毒素を排出し、心を浄化するプロセスです。

  • 依存症からの解放:スマートフォンへの依存、過食、買い物依存など、現代の多くの問題は、感覚的な快楽を求めて心が暴走することに起因します。プラティヤハーラは、こうした衝動的な欲求を制御し、真の満足は内側にあることを教えてくれます。

  • 感情の安定:外部の出来事に一喜一憂し、感情の波に翻弄されることが少なくなります。賞賛にも批判にも動じない、内なる静けさを保つことができるようになります。

  • 創造性の開花:外部からのノイズが静まると、内なる声、すなわち直観やインスピレーションが聞こえやすくなります。多くの芸術家や思想家が、孤独や静寂の中で偉大な作品を生み出してきたのは、このためです。

  • 真の自己との出会い:そして最も重要な恩恵は、感覚という覆いが取り払われたとき、私たちはその奥にある、決して揺らぐことのない純粋な意識、真の自己(アートマン)の輝きに触れることができる、ということです。外の世界に幸福を求めるのではなく、自分自身の内に無限の安らぎと喜びの泉があることを体感するのです。

結論として、プラティヤハーラは、感覚を否定し、世界から逃避するための技術ではありません。むしろ、感覚という強力なエネルギーを、破壊的で散漫な力から、創造的で集中した力へと変容させる、錬金術的なプロセスです。それは、外の世界の豊かさを存分に味わいながらも、それに心を奪われることのない自由を獲得するための道。

それは、亀が甲羅に引きこもるように、私たち自身の内なる聖域へと帰る術を学ぶことです。その聖域は、どんな嵐の中でも決して揺らぐことのない、絶対的な安全と静寂に満ちています。ヨーガの旅を続ける私たちにとって、プラティヤハーラは、その聖域の扉を開く、かけがえのない鍵なのです。

さあ、あなたの感覚という馬たちの手綱を、今一度、優しく引き締めてみてはいかがでしょうか。その先には、あなたがまだ知らない、広大で静謐な内なる宇宙が広がっているのですから。

 

 

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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。