3.3.3 アーサナ:身体を整える – 安定と快適さの追求

ヨガを学ぶ

ヨーガの八支則(アシュターンガ・ヨーガ)の旅は、ヤマ(禁戒)、ニヤマ(勧戒)という、私たちの社会生活や個人の内面における倫理的な土台作りから始まりました。それは、私たちが他者や世界、そして自分自身とどのような関係性を築くべきかという、根源的な問いへの応答でした。この揺るぎない土台の上に、私たちは第三の段階である**アーサナ(Āsana)**へと歩みを進めます。

現代において「ヨガ」と聞けば、多くの人々がまず思い浮かべるのは、このアーサナの実践でしょう。しなやかで力強い身体が織りなす美しいポーズの数々。雑誌の表紙を飾り、SNSを彩るその姿は、健康や美容、フィットネスの象徴として広く認識されています。しかし、ヨーガの伝統的な文脈、特にパタンジャリが編纂した「ヨーガ・スートラ」において、アーサナが持つ意味は、現代的なエクササイズのイメージとは趣を異にする、より深く、静謐なものでした。

この章では、アーサナが単なる身体的なポーズやエクササイズではなく、いかにして私たちの意識の在り方そのものを変容させ、高次の瞑想段階へと至るための不可欠な「器」を整える実践であるのかを、歴史的背景と思想的深みから多角的に探求していきます。

 

アーサナの定義:スティラ・スカム・アーサナム

「ヨーガ・スートラ」において、パタンジャリはアーサナについて驚くほど簡潔に、しかしその本質を突く言葉で定義しています。

「スティラ・スカム・アーサナム」(sthira-sukham-āsanam)

(ヨーガ・スートラ 第2章46節)

日本語に訳せば、「アーサナとは、安定していて(sthira)、快適な(sukha)姿勢(āsana)である」となります。ここには、逆立ちをせよとも、複雑に身体を捻れとも書かれていません。求められているのは、ただ二つ、「安定」と「快適さ」です。この短い経句(スートラ)の中に、ヨーガにおける身体との向き合い方のすべてが凝縮されていると言っても過言ではありません。

現代の私たちが、アーサナをアクロバティックなポーズの完成形を目指す「達成目標」のように捉えてしまうことがあるとすれば、それは本来のヨーガの道から少し逸れてしまっているのかもしれません。パタンジャリが指し示す道は、外側に見せる形の完成ではなく、内側で感じる質、すなわち安定と快適さの探求にあるのです。この二つの質を、深く掘り下げてみましょう。

  • スティラ(Sthira):安定、不動、強さ

    スティラとは、物理的な安定性だけを意味するものではありません。もちろん、どっしりとした土台を持ち、ぐらつくことのない姿勢はスティラの重要な要素です。しかし、それは同時に、精神的な不動性、すなわち、外的な刺激や内的な心の揺れ動きに動じない、落ち着いた心の状態をも指し示します。

    重要なのは、この「安定」が「硬直」や「緊張」とは全く異なる質を持つということです。力を込めて固めた身体は、一見安定しているように見えますが、もろく、変化に対応できません。真のスティラとは、まるで古の寺院を支える太い柱のように、力強さと同時に、わずかな揺らぎを受け流すしなやかさを内包しています。それは、身体の全ての部分が互いに協力し、調和し、一つの統合された全体として機能している状態です。骨格が正しく配置され、筋肉が必要なだけの力でそれを支え、余分な力みはどこにも存在しない。その静かな強さこそが、スティラなのです。

  • スカ(Sukha):快適さ、心地よさ、安楽

    スカとは、スティラと対をなす、もう一つの重要な質です。それは、痛みや無理のない、リラックスした状態を指します。呼吸は深く、長く、身体の隅々にまで伸びやかに行き渡ります。筋肉や関節には不要な緊張がなく、まるで春の陽だまりの中にいるような、穏やかで安らいだ感覚です。

    しかし、この「快適さ」もまた、「怠惰」や「弛緩」とは一線を画します。ただだらりと力を抜くだけでは、姿勢は崩れ、安定(スティラ)は失われてしまいます。真のスカとは、努力の放棄ではなく、努力の方向性を洗練させた先に見出されるものです。スティラを維持するための最小限の努力の中に、最大限の快適さを見出す知性的なプロセス。そこには、身体への深い気づきと、繊細な調整が求められます。身体の声に耳を澄まし、「ちょうどいい塩梅」を探り続ける、丁寧な対話の中からスカは生まれてくるのです。

スティラとスカは、コインの裏表のように分かちがたく結びついています。安定がなければ真の快適さは訪れず、快適さがなければその安定を持続させることはできません。一見すると相反するように見えるこの二つの質が、実践の中で弁証法的に統合されていくプロセス、そのダイナミズムこそがアーサナの本質的な探求なのです。それはまるで、弓を引くときのようです。弦を強く引けば(スティラ)、矢は遠くへ飛びますが、引きすぎれば弦は切れ、弓は壊れてしまいます。しかし、緩すぎれば(スカへの偏り)、矢は力なく落ちるでしょう。的を射るためには、緊張と弛緩の完璧なバランスを見つけ出す必要があります。アーサナの実践もまた、この絶妙な均衡点を探す、身体を通した稽古なのです。

 

アーサナの歴史的変遷:座法から身体技法へ

「ヨーガ・スートラ」が示すアーサナが、主に瞑想のための「座法(坐法)」を指していることは、その定義からも明らかです。しかし、現代のヨガスタジオで実践されている多種多様なポーズは、どこから来たのでしょうか。ここには、ヨーガ思想の長い歴史の中での大きな転換が関わっています。

  • ヴェーダからウパニシャッドへ:瞑想のための座

    第一部で見たように、ヴェーダ時代においては、儀式(ヤグニャ)が中心でした。そこでは、祭官が特定の座法で座り、マントラを唱える姿が見られますが、それはあくまで儀礼の一部でした。続くウパニシャッドの時代になると、哲人たちは森に籠り、自己の内面を探求する瞑想に深く没頭します。彼らにとってアーサナとは、長時間にわたって身体を静止させ、意識を内側へと集中させるための、安定した座法を意味していました。身体は、心を鎮め、ブラフマンとアートマンの合一という究極の真理に至るための「乗り物」であり、その乗り物を静かに安定させることがアーサ-ナの主たる目的だったのです。

  • タントラとハタ・ヨーガの登場:身体の神聖化

    紀元後の中世期、インド思想界にタントラという新たな潮流が生まれると、身体に対する見方が劇的に変化します。それまで魂の牢獄や解脱の障害と見なされることもあった身体が、タントラ思想においては、宇宙全体を内に宿す「小宇宙(ピンダーンダ)」として、神聖なものと捉え直されたのです。

    この思想的転換を背景に、10世紀以降、ハタ・ヨーガが体系化されていきました。ハタ・ヨーガの行者たちは、身体を単に静止させるのではなく、積極的に浄化し、強化し、コントロールすることを目指しました。身体内部に眠る根源的な生命エネルギーである**クンダリニー(Kuṇḍalinī)**を目覚めさせ、それを頭頂へと引き上げることで、サマーディ(三昧)に至ろうとしたのです。

    この目的のために、彼らは瞑想のための座法だけでなく、身体のエネルギー経路(ナーディー)を浄化し、プラーナ(生命エネルギー)の流れを整えるための、様々な身体技法を開発しました。それが、現代私たちが目にする多様なアーサナの原型です。「ハタ・ヨーガ・プラディーピカー」や「ゲーランダ・サンヒター」といったハタ・ヨーガの古典文献には、今日行われている多くのアーサナが、その効能と共に記載されています。

つまり、ヨーガの歴史において、アーサナはその目的を大きく拡張させてきました。ウパニシャッドの哲人たちの「瞑想のための座法」から、ハタ・ヨーガの行者たちの「身体を変容させ、エネルギーを制御するための技法」へ。この二つの流れが合流し、現代のアーサナ実践の豊かな土壌を形成しているのです。

 

アーサナの実践:身体意識の扉を開く営み

では、なぜパタンジャリは、ヤマ・ニヤマの次にアーサナを置いたのでしょうか。それは、アーサナが、より微細な内的実践であるプラーナーヤーマ(呼吸法)やプラティヤハーラ(感覚の制御)へと進むための、決定的に重要な準備段階だからです。アーサナは、私たちの意識を、絶えず外側へと向かう拡散的な状態から、内なる身体感覚へと引き戻すための、強力な訓練となります。

  • 身体との対話、そして「身体知」の覚醒

    私たちは日常生活において、どれほど自分の身体に意識を向けているでしょうか。多くの場合、身体は思考のための乗り物、あるいは欲望を満たすための道具として、半ば無意識的に扱われています。痛みや不調を感じて初めて、私たちはその存在に気づきます。

    アーサナの実践は、この関係性を逆転させます。例えば、トリコナーサナ(三角のポーズ)をとるとき、私たちは足裏が大地を捉える感覚、脚の筋肉が伸びる感覚、体側が広がる感覚、指先が遠くへ引かれる感覚、そして全身を流れる呼吸の感覚に、注意を向けざるを得ません。普段は意識の光が当たることのない身体の細部に、一つひとつ丁寧に光を当てていく。このプロセスは、身体との断絶された関係を修復し、対話を取り戻す営みです。

    この対話を通して、私たちは頭で考える「概念知」とは異なる、身体が直接感じ取る「身体知」を呼び覚まします。それは、言葉になる以前の、より根源的な知性です。どのくらい力を入れれば安定し、どこまで伸ばせば心地よいのか。その「塩梅」は、身体自身が知っています。アーサナの実践とは、この内なる身体の叡智に耳を傾け、信頼することを学ぶプロセスなのです。

  • 「今、ここ」への帰還

    私たちの心は、放っておくと過去の後悔や未来への不安の間を絶えずさまよっています。この心の放浪こそが、苦しみの大きな原因であるとヨーガは考えます。アーサナは、このさまよう心を「今、ここ」という瞬間に強力に引き戻してくれます。

    なぜなら、身体感覚は常に「今」しか存在しないからです。足裏の感覚、呼吸の出入りは、紛れもなく現在の瞬間に起こっています。身体感覚に意識を集中させるとき、心は過去や未来へ旅立つことができなくなります。アーサナの実践は、身体という揺るぎないアンカー(錨)を、現在の瞬間へと下ろす行為なのです。この「今、ここ」に留まる訓練こそが、後に続くダーラナー(集中)やディヤーナ(瞑想)の基礎となります。

 

現代社会におけるアーサナの深い意義

現代を生きる私たちにとって、アーサナの実践は古代の哲人たちとはまた異なる、切実な意味を持っています。私たちの多くは、デスクワークやスマートフォンの操作によって、長時間同じ姿勢で過ごし、意識は画面の中の情報に奪われています。この「脱身体化」ともいえるライフスタイルは、心身の不調や、自己との疎外感を生み出す一因となっています。

アーサナは、この失われた身体感覚を取り戻し、私たちを再び大地に根付かせるための、強力なアンチテーゼとなり得ます。それは、画面越しのヴァーチャルな体験ではなく、自身の身体という最もリアルな現実との再会です。

さらに、現代社会は成果主義や効率主義に支配されがちです。「より速く、より多く、より良く」という価値観の中で、私たちは常に結果を求められ、プロセスを味わう余裕を失っています。アーサナの実践は、この価値観にも静かな問いを投げかけます。

ヨーガにおいて重要なのは、ポーズの完成形という「結果」ではありません。むしろ、そのポーズに至るまでの「プロセス」、その中で経験する身体と心の微細な変化、呼吸との調和、スティラとスカの間の揺らぎ、それら全てを注意深く観察し、味わうこと自体に深い価値があります。完璧なポーズができなくても、その過程で得られる気づきや身体との対話こそが、私たちを豊かにし、変容させるのです。

 

結論:意識の住処を整える、聖なる営み

ヨーガの八支則におけるアーサナは、単なる身体の訓練ではありません。それは、私たちの意識が宿る唯一無二の「家」である身体を、安定(スティラ)と快適さ(スカ)に満ちた、聖なる住処へと整えていく、深く哲学的な営みです。

ヤマとニヤマによって倫理的な土台が築かれ、その上でアーサナによって身体という器が整えられる。この安定した器があって初めて、私たちはプラーナーヤーマによって生命エネルギーの流れを微細に感じ取り、プラティヤハーラによって感覚を内側へと収め、そしてダーラナー、ディヤーナ、サマーディという瞑想の深淵へと、安全に旅立つことができるのです。

アーサナは、アクロバティックなパフォーマンスではなく、自己の内なる宇宙を探求するための、静かで、丁寧な準備です。それは、身体を通して世界と自己の境界が溶け合い、深い調和と一体感を経験するための扉となります。EngawaYogaが提案するように、縁側という内と外の境界が曖昧な空間でヨガを行うとき、私たちはその感覚をより深く体験できるかもしれません。

「スティラ・スカム・アーサナム」—このパタンジャリの言葉を道標として、日々の実践の中で、ご自身の身体と対話し、その中に安定と快適さを見出す旅を続けてみてください。その静かな探求の先に、ヨーガが約束する、揺らぐことのない心の平和と、真の自由が待っているのです。

 

 

ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。

 

 


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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、BTY、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。