ヨギボズQAとはEngawaYogaオーナーKiyoshiと高野山真言宗の阿里僧侶が読者の質問に対して回答したもの(ヨギーとボーズの回答集)となります。
その場のノリに任せて回答しておりますので至らない点や少々眉をひそめる回答もあるかもしれません。
寛大な心でお読みいただければと思います。
ヨギボズQAの回答集は以下にございます。
ご興味があればご覧ください。
では今回の内容をどうぞ。
もくじ.
質問:最近の瞑想の感想を教えていただけますでしょうか?
率直なご質問ありがとうございます。
そうですね、普段の瞑想している時の感想を書いてみようと思います。
あくまでも、今この時期(2018.7.21)の感想なのでご了承ください。
瞑想というのは毎回異なるものですし、その場で起こったことが起こったことなので。
それでは、以下のヨギーと坊主の回答をご覧下さい。
回答:過去の瞑想と未来の瞑想が交錯中。瞑想する時間、頻度、人数を増やそうと思っています。 BY KIYOSHI
基本的に毎日のように瞑想をしております。
瞑想の体験は様々なことが起こります。
同じ瞑想体験はないんじゃないかという観じです。
それでは、とても簡単にですが最近の様子を書いてみます。
(今この時期(2018.7.21)の感想なのでご了承ください。)
緩めるタイプの瞑想を主体
最近の瞑想は、緩めて座るタイプの瞑想が多いです。
瞑想の基本は緩めることなので、その基本をよりマスターしていこうとしております。
「瞑想は緊張することです」とは言われたことありませんよね。
力んで歯を食いしばっては瞑想になりません。
ですので、この基本中の基本である緩めることを中心に行っています。
どこでも瞑想はできますので、瞑想体験は増えております。
いろんなことが起こるんですよね。
言いにくい話もたくさんありますので、詳しい話はまた瞑想会(SIQAN)で聞いてください。
少し前にヘミシンクも体験中
ヘミシンクって知ってますか。
左右の耳から異なる周波数を流すことで「特定の状態にしていく」技術です。
体外離脱がメインの音響技術ですかね。
今は、いろんな種類も増えているみたいです。
これの基本セットをチマチマとやっていた時期があります。
体外離脱の体験はある程度起こりましたが、ドーピングみたいな感じがしたので自分の意識だけでやろうと思い、今は使っていません。
仲間内で瞑想合宿なんてのも開いたりしていたので、また合宿でヘミシンク体験ができるようにしてみますかね。
とにかく、基本は自分で座ってゆるめていくことです。
ここがしっかりしないと瞑想も安定しないことでしょう。
ただ座るのが本質的には好き
ただ座るのがやっぱり好きですね。
それで十分にいろんなことが体験できます。
オーラが見える人が言っていたのが、瞑想しているとオーラが一気に光輝くそうです。
過去生からのすべての枠が取り払われるのだとか。
外部の物を使うのもいいですが、瞑想状態に自ら入れればそれでいいのではないでしょうか。
ですので、私は音楽を小さくかけている程度で、ただ座っております。
ただ座っているだけで、体感覚、時間感覚、重力感覚、いろんな感覚から解き放たれて純粋意識になっていきます。
あとは、自由です。
緩めて座るは最強だと今のところ観じております。
追記:フラットな瞑想
2021年現在はただただフラットな状態です。
SIQANの名前の通り、弛緩を只管しております。
その結果、フラットな状態になっております。
全部がここにあるような感覚。
感情的にも感想的にもなっておらず、ただいる。
それでいてクリアな空間を感じる。
とてもフラットです。
回答:以前は少しでも少しでも瞑想をしていました。 BY 阿里
少し前は家庭と育児の関係もあって、家庭内でなかなか瞑想の時間が満足に取れませんでした。
ですので、少しでも時間を多く瞑想したい、少しでも回数を多く瞑想をしたいと思ってました。
先月はこのくらいの時間を瞑想した、今月はこれくらいの回数を瞑想したと、厳密にマネージメントしておりました。(マネージメント自体は今でもしてますが)
少しでも瞑想をする、少しでも瞑想をする。
家庭関係や育児というのは必ずしもキレイごとだけではすまず、ストレスと無縁というわけにはいかないものです。
ですので、少しでも瞑想をする、というのはそれはそれで効果があったように思います。
忙しい中でも、少しでも瞑想をして切り抜けていく。
そんな感じが良くも悪くもありました。
ですので、一座に数時間すわる瞑想ができる時なんてことがたまにあると、とても瞑想が深まったのを覚えてます。
そしてその反面、そのことで余計にもっと瞑想したいもっと瞑想したいと切望してしまうようなところもありました。
ここ最近は気楽に瞑想ができているなぁと感じてます。
具体的にいつくらいかはあまり覚えてないのですが、慈悲の瞑想を実践するようになったあたりから少しずつ変化が出てきたような感じがあります。
瞑想できないのであればできないで構わないと思うようになってきました。
慈悲の瞑想の効果か、たまたま自分の中での価値観の変化あったのかはわかりませんが。
瞑想への執着を手放した、というような感じがあります。
瞑想に期待しなくなった、依存しなくなったと言っても良いかもしれません。
なので、最近は気が向いた時に瞑想、それも15分程度が多いです。5分くらいの時もありますし、30分以上できたらラッキーだなと思うくらいのものです。
この記事を書いている2019年6月現在は、とても気楽に瞑想をできているなぁと実感してます。
気楽に瞑想できていることの効果
これが不思議なものですが、一生懸命に少しでも瞑想していた時よりも、今くらいの気楽な姿勢で瞑想しているほうが、瞑想が深まるんですよね。
だから今の気楽に瞑想しているほうが、効果が大きいというのを感じてます。
効果をあまり求めなくなった時に、以前求めていたものが楽に手に入るというのは、人生うまくいかないもんだというか、不思議なもんだなと感じてます。
とにもかくにも最近はこんな感じで、瞑想できても良い、瞑想できたらラッキーくらいのつもりで気楽に瞑想してます。
終わりに
不定期ですが、まだまだ更新していきますので少々お待ちください。
「ヨガをより楽しめるように」
「瞑想がより起こりやすくなるように」
「日常生活の深刻さが減少するように」
ご活用頂ければうれしく思います。
それではより素晴らしい日々が送れることを祈っております。
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