ヨギボズQA:瞑想会後に思いついた質問はなんでもしていいのでしょうか?

クラスについて

KIYOSHI

【お知らせ】
8/19(日)13:30〜15:00で日本一簡単な瞑想会を目指しているSUWARU開催です。
8/19(日)15:30〜17:00で真言密教に伝わる阿字観瞑想会を開催です。

SUWARUについてはこちらから。
阿字観瞑想についてはこちらから

 

こちらの回答は、【瞑想会】の補足事項として、
 「ヨガをより楽しめるように」
 「瞑想がより起こりやすくなるように」
 「日常生活の深刻さが減少するように」
ご活用頂ければうれしく思います。

ヨギーと坊主がそれぞれ回答しております。それでは今回の質問と回答になります。

質問:瞑想会後に思いついた質問はなんでもしていいのでしょうか?

ご質問ありがとうございます。

基本的に思いついた質問はして頂いてよろしいと思います。

突拍子もない変な質問を思いつくことも少ないでしょうが、それでも構いません。

あなたが思いついているということは、他にも同じような疑問を持っている人もいる可能性も高いですからね。

それでは、以下のヨギーと坊主の回答をご覧下さい。

 

回答:思いついた質問は基本的にして大丈夫です。いろんなご縁で必要があって思いついていますので。 BY KIYOSHI

瞑想会では、瞑想が終わったあとに簡単なシェアであったり質疑応答の時間があります。(時間の関係でないときもあります)

その時にいろんな質問があって面白いのですが、その中でも答えられなかったりしたものをこちらの”ヨギボズQA”で回答していたりします。

瞑想会での質疑応答では、必要な質問がみなさんの頭の中に沸き起こるようになっているようです。

ですので、どんな質問も基本的にはして頂いて結構です。

 

沸き起こっていることには意味がある

私の経験でも、聞きたいと思ったことを聞いてくれたりします。

私が瞑想会で疑問に思っていたことを、他の人が質問することで解決されたりするのです。

そういうの楽ですよね。

勝手に回答が降ってくるのですから。

なんとなくの疑問でも大丈夫です。

案外、他の人も待っていたりするものです。

聞きたい内容でなくても、回答を聞いていると「それ、聞きたかったことだ」と思うことも少なくありません。

 

参加者のためになることを思いつく

先ほども書きましたが、瞑想会では特に個人の思いつく感想や質問も参加者全体のためになっているようです。

瞑想会は目に見えない存在もたくさん参加されると言います。

そういった方々も会議しながら見ているので、いい塩梅に質問も思いつくのでしょう。

答える側も質問されることで、思ってもみないことを言ったりします。

ですので、質問は助かるわけです。

時間がなかったり、それでも言いにくい場合は質問コーナーからよろしくお願いします。

 

とにかく、瞑想会の場を大事にする

瞑想の場で思いついた質問をするのが大事と言いました。

みんなの守護霊さんたち含めて意味のある場になるようになっているからですね。

ですので、質問はあまり携えてくる必要はありません。

過去のことを掘り返すことになるからです。

過去は、いったんは脇においておくのがよろしいかと思います。

その時の瞑想会後に思い出したら聞くというのがいいと観じます。

全体で質問すれば全体のためになるということですね。

全体のためになるということは、よりみんなの成長につながるということです。

成長につながるということは、瞑想会がもっとより良い場になるということです。

ということで、どうぞよろしくお願いいたします。

そして、より良い場にして下さり、ありがとうございます。

 

回答:考え中。 BY 阿里

阿里坊主は考え中です。

 

KIYOSHI
ヨギボズQAの一覧はこちらになります。 → ヨギボズQA目次

現在YOGGY&BOZUは休止中でございます。代わりに日本で一番簡単な瞑想会と称しまして、瞑想会を開いておりますのでご興味のある方は瞑想会からご参加されるのをオススメ致します。スケジュールはこちらより確認頂けます。 → スケジュールを確認する

 

あなたの最も内奥の性質で生きなさい。他人の考えに従って、あなた自身を操作してはいけない。ただ、あなた自身でいなさい。あなたの本当の性質でいなさい。すると喜びが起こってくる。それはあなたの中に沸きあがってくる。
Joy OSHO

人と音が別々でなく、音の一部であるときにはじめて、その美しさが感じられるのである。瞑想とはいかなる意志的行為または願望の働きをも交えることなく、あるいはまだ味わったことのない物事の快楽を求めたりすることなく、そのような分離に終止符を打つことである。
ジッドゥ・クリシュナムルティ

長く稽古してわかったことは、人間の今目の前に存在するもの、そこには具体的に物としてあるものをいじったり、組み合わせたり、改変したりして、ものごとを成し遂げるわけではないということです。身体が整うのは、むしろ「そこにはないもの」を手がかりにして、「そこにはないもの」をめざし、「そこにはないもの」と共にあるときです。人間の体だけでなく、あらゆる運動や組織や共同体がそうなのです。
日本の覚醒のために 内田樹講演集 内田樹