人生は命をかけての遊びであるロールプレイングゲーム

自己探求

普通の人は人生を遊びとはとらえませんね。

ですが、どうも遊びのようなものらしい。

禅語でも遊戯三昧という言葉もあります。

人生は遊びであり、ゲームです。

自分で役割を決めて遊ぶロールプレイングゲームです。

なんじゃそりゃと思うかもしれませんが、そのようにも解釈できるというぐらいで認識してもらえると助かります。

私は小学生の時にリアルなロールプレイングゲームの中にいることを直観しました。

 

楽しくやらないとゲームは面白くない

人生はロールプレイングゲームです。

ロールプレイングのキャラクターが私です。

ですので、人生を遊びのように生きようと思っています。

ただ、命をかけての遊びです。

ロールプレイングゲームだろうがキャラクターからしてみれば、命がけです。

怪我をすれば当然痛いですし、友人と喧嘩をすれば当然悲しいです。

だからこそ、思いっきりやりたいことをやり切り、社会にもたくさんのことを還現していきたいと思っています。

ゲームとはいえ、人生を楽しむというのはそういうものです。

因果応報はゲームの世界でもルールとして組み込まれています。

ゲームのルールを理解することは大事です。

 

ゲームを理解する

このゲームの世界で楽しもうと思うのなら、ゲームのルールを知る必要があります。

今のゲームルールの基盤は資本主義です。

資本を多く持って運用できている人がイージーモードになる設定です。

幸せは人それぞれではありますが、資産が10億円ある人と100万円の人とでは選択肢の幅がありすぎます。

お金が全てではないにしろ、お金で解決できることが山ほどあります。

そういった社会になっています。

良し悪しは置いといて、私たちはそのようなゲームに参加しています。

当然、この資本主義ゲームも変化していきます。

ルールが少しずつ変化したり、突然変化したりします。

今後ですと、すぐには資本主義は変わらないにしても、エネルギー革命やベーシックインカムやAIによる自動化で社会が変化します。

インターネットも日本では当たり前のように使ってますが、これが世界中へと浸透し高速化も当たり前になるとルール基盤も少しずつ変化していきます。

そういったゲームルールの理解は一定量必要です。

人間の幸福そのものは、宗教や精神世界などがルールを解析してくれています。

私は仏教が好きだからというのもありますが、基本的に釈迦がすべてを言ってくれていると思っています。

一切皆苦なんておっしゃっていますしね。

とにかく、ルールの研究は大事です。

まったくルールの知らないゲームをやって楽しむのは難しいと思います。

 

本気になるから遊びは楽しい

ゲームも本気で取り組むと楽しいです。

オンラインゲームをやり込んでいる人もいます。

この世界はリアルオンラインゲームです。

ですので、VRも必要ないのですね。

この世界がオンラインゲームですから。

だからボーナスステージやハードモードも突然やってきます。

ルールが突然変更されたりもします。

新しい設定が加わることもあります。

そんなめちゃくちゃなゲームを楽しむには本気で取り組むことです。

本気で取り組むから楽しいし、意味や価値が生まれます。

本来は意味も価値もないものですが、本気で取り組むと生まれてくるから不思議です。

やりがいもそうですね。

やりがいがあることを探すのではないのです。

本気で取り組むからやりがいが出てくるのです。

そういうものですよね。

ロールも自由に本来は選べます。

なんでもできるのです。

でも、生まれた時の設定(遺伝子)は強くでます。

それも理解して生きられるとゲームは楽しくなると思います。

 

終わりに:それでも今だけがある

結局は時間というのは相対的なものです。

しかもこの人生で時間を担保しているのは認識です。

自分が自分であることは記憶の連続性の中でしかありません。

記憶が変わってしまえば自分の認識も変わってしまいます。

大事なことは事実よりもどのように解釈しているか。

同じ出来事を楽しいと記憶しているのか辛いと記憶しているのか。

ダメだと記憶しているのか、うまくいったと記憶しているのか。

ですから、過去は変えられるのです。

過去は変えられるので、何も心配しすぎる必要はありません。

今ここで過去を変えることもでき、今までの過去とは違った人生を歩めます。

そうやって自分の認知を変えていけば、新しい自分で生きることができます。

ゲームのルールも少しずつ変化していきますから、自分のやりたいことをうまく適合させていくと面白いと思います。