前提というものが観ている世界を作っています。
前提というのは、自分の中の設定のことです。
「私は〇〇な人間です」の〇〇に入るものが前提です。
人は意識的に無意識的にもこの前提を持っています。
この前提が現実を作り出しているのです。
前提の通りに行動をして現実を作り出しているということです。
前提が証明し続ける
前提が現実を作り出しているというのは、その前提が叶うように全力で人が動くからです。
前提というのは自分の設定です。
アイデンティティです。
アイデンティティがいきなり崩れるのは大変ですよね。
だから、あの手この手でアイデンティティが壊れないように人は努力します。
努力といってもほとんどが自動的にです。
アイデンティティが自分の設定なので、自分にしている設定を遂行するべく全力をかけているわけです。
アイデンティティが自動的に現実を作り出しているわけです。
崩れてしまうのが自我にとっては一大事なので、アイデンティティが崩れないように、前提を守るように自動的に行動しているわけです。
だから、前提が現実を作り出しているわけです。
前提が変わらないと現実は変わらない
同じ行動をとっても前提が異なると結果が異なっていきます。
当然ですね。
心配でたまらない人が会社辞めるのと、大丈夫だと自信を持って会社辞める人では、その後の行動や起こる現実が変わります。
細かい設定を言えばキリがないので、そこはスルーしてください。
実際に、結果が変わりますよね。
心配で笑顔の人と、人のことを信頼してて笑顔な人も全然違います。
この後に起こる現実も異なります。
そういうのが全部前提です。
この前提によって人は自動操縦されてるわけで、この前提を変えていくことげ現実を変えていくことの一歩です。
だから、前提を変えてみましょうという流れになっていきます。
前提を変える
前提はいわゆる設定と言いました。
だから、自分にかけている設定を変えればいいのです。
どんな設定をしているのかを探ることもいいのですが、好き勝手な前提を作るのがよろしいかと思います。
「どうせうまくいくならどうする?」ということを私は人に聞きます。
これが前提になるからです。
「どうせうまくいく」という前提のもと行動すれば、うまくいく可能性がかなり上がります。
自分の好き勝手に変えていいのです。
「私はすごい」でも構いません。
とにかく、自分の好きな設定をしましょう。
好きな前提を持ちましょう。
すると、その前提に合わせて現実が変化し始めます。
イライラが自分の前提を教えてくれる
イライラすることはありますか。
このイライラに前提が隠れています。
「こういう時には、こういうことを、こういう風にやることである」という前提です。
その前提が崩れるのでイライラするわけです。
「店員さんがタメ口で話しかけてきて、馴れ馴れしくてイライラした」とすると「店員は丁寧な言葉で接客するべきである」という前提があるわけです。
もちろん、この前提以外にも前提は隠されていますし、これが前提でない人もいます。
「私は大切にされる存在である」という前提から、タメ口でぞんざいに扱われたことにイライラするとかの理由もあるわけですね。
イライラに前提が隠されています。
この前提を全部クリアにしていくことをオススメしているわけではありません。
少し知るだけでもいいのです。
それで変化が起きたりします。
なぜか。
前提を知ると自然とその前提が嫌なら人は変えていくのです。
自分で変える際には、細かい前提を設定することはオススメできません。
大まかに、ざっくりと前提を作るのがいいですね。
「何が起こっても大丈夫」という前提もオススメです。
結局はこのようなざっくりとした前提しかうまく設定することができません。
人は都合のいいことを前提にしてしまいますが、はっきりいうと出来ません。
絶対とは言いませんが、出来ません。
都合の悪いことというのはどうも起こるように世界が出来ているからです。
都合の良いこと、都合の悪いこと、というどちらかの解釈がある限り”悪い”ことは起こってしまうわけです。
ですので、その両方が起こっても大丈夫という前提にするといいと思います。
「何かが得られないと幸せになれない」という前提だと、一生幸せにはなれません。
欲しいものが無限に存在するからです。
自分にとって都合の悪いことは無限に起こるからです。
ですので、都合の良い悪いは置いといて「何が起こっても大丈夫」という前提にしておくといいのです。
大丈夫なのですよ、実際。
終わりに:ライフスタイルは各個人で異なる
ミニマリストをEngawaYogaスタジオでは推奨しております。
ミニマリストとは必要最小限のもので生活していくスタイルのことです。
必要最小限というのは人によって異なります。
服の数も異なりますし、家族構成も異なれば、職業も異なります。
だから、当然のこと各々のミニマリスト生活が実現されていくわけです。
minimalismは強制ではありませんし、少ないもので暮らすことを強制することでもありません。
楽しくワクワクと生きていくための考え方の一つです。
minimalismが合う合わないというのがあるというよりかは、選択するかどうかです。
その人にとっての必要最小限の物の数はあります。
必要十分以上に所有することが楽しい人もいます。
十分な生活で満足できないのは、物のせいではありません。
その人個人の問題です。
ですので、各個人でのライフスタイルを生き切っていくことで、自ずとminimalismになっていくだと思います。