ヨガをする目的も手段も結果もごちゃごちゃに煮込んでしまうとヨガがわからなくなってシマウマ

YOGA&BODY-ヨガと身体

ヨガや瞑想を習慣にすると心が整うと言われます。

心を整えるのがヨガでしょうか。

心を整えるのが瞑想でしょうか。

そうといえばそうな気がしますよね。

でもちょっと違和感を感じると思います。

心を整えさえすればいいと聞こえるからです。

「心を整えることさえできれば、それはヨガである」と認識すると、なんか違いそうですよね。

お金をもらうことが仕事である、と書くと違和感を覚えることでしょう。

お金をもらえばなんでも仕事であるということではないと思うし、仕事の目的がお金だけに限定されているようなニュアンスも受け取れますからね。

では、ヨガや瞑想はどうでしょうか。

ヨガとはなんでしょうか。

きれいなポーズがとれるようになることでしょうか。

それも違いますよね。

心が整うということはなんなのかも含めて、少しずつ見ていきましょう。

 

整うことは大事だけど、整えさえすればいいわけではない

実際にヨガや瞑想をすることで心が整う人と整わない人がいます。

ヨガや瞑想はすごくて、かなりの人は心が整ってしまうように感じます。

ですが、大事なことは絶対に整うわけではないということです。

人間ですから致し方ないところもありますし、人それぞれなことも多くあると思うのです。

ヨガや瞑想を継続することで多くの人が心がよくなっていく傾向にあるというくらいでしょうか。

もって生まれた性質もありますし、性格もありますので、単純にやればやるだけ心が整って人生が良くなったとはならないのです。

傾向としては整うということです。

ヨガの有名な先生でも静かな人もいれば動き回っている人もいます。

気が強い人もいれば弱い人もいます。

ヨガをやっている人で明るい人もいれば淡々としている人もいます。

人というのはそういうものなのですから、整った結果どうなるかは人それぞれです。

整った結果がみんな一緒なわけではないし、同じ状態をめざしているものではないと思います。

全員が明るくなる必要もないですし、落ち着き払う必要もないですしね。

共通することは、欲を追い求めて奔走したり、自己実現に固執したり、見た目や社会的な影響に縛られてしまったり、ということがとても減るということに思います。

 

こういった心が整うというのはヨガや瞑想の目的でしょうか。

実際のところ整うことは目的ではございません。

サウナで整えるのは、整えることそれ自体が目的かもしれません。

「サウナが目的であり整うかどうかはどちらでも良い」というのはサウナ原理主義的で面白いですけど、サウナそれ自体が目的ではなく整うことやサッパリすることが目的であることが多いでしょう。

瞑想やヨガは悟りや覚醒や解脱を目的としております。

ですので、整うのは付加価値に過ぎません。

とてもよい付加価値ではありますけどね。

 

ここで言っている心が整うというのをまとめておくと、

  • 欲を追い求めて奔走したりすることが減る
  • 自己実現に固執することが減る
  • 見た目や社会的な影響に縛られなくなる

というような意味合いです。

 

ヨガポーズの上達は大切なことだけど、ポーズができるからと言ってその人がヨギーかは別問題

ヨガのポーズ(以下アーサナと記載します)もそうですね。

アーサナをやることで柔軟性が高まります。

筋力も上がります。

でも柔軟性を上げることが目的でもありませんし、柔軟性を上げるための手段にヨガをすることも殆どありません。

筋力を上げることがアーサナの目的でもありません。

目的はアーサナで心身を整えて悟りや覚醒や解脱を目指すものです(瞑想と一緒)

もちろんアーサナをやることで柔軟性も高まりますし、筋力も上がります。

これはそういったポーズがたくさんあるからです。

そこだけ(筋力や柔軟性)にフォーカスすると目的と結果とがバラバラになってしまいます。

駅で階段を上がる目的は、改札を出て予定のお店に行くことであり、太腿の筋トレではありません。

太腿の筋トレが目的でしたらスクワットやジムに行ってやることでしょう。

でも外でも刺激を与えたいからついでに階段を使うというのならそれはいいのだと思います。

そういったことがごちゃごちゃになり、ヨガの目的、仕事の目的、結婚の目的、読書の目的、などなどあらゆることが目的と結果と手段がごちゃごちゃになります。(太腿のトレーニングのために駅の階段を降りたり上がったりしている人がいたら通報されます)

これを読んでいるあなたはヨガをやっているかと思います。(やっていない人すみません)

あなたは何の目的でヨガをやっているでしょうか。

本当にそれはヨガでなくてはいけないでしょうか。

ヨガ以外でも全然あなたの目的は達成されるのではないでしょうか。

そうすると、なぜヨガなのでしょうか。

それでもヨガをやっている理由はなんでしょうか。

そこにあなたの本当の動機や思いがあるはずです。

ヨガが流行っているのはとてもいいことです。(もう流行ってないかもしれないけど)

ヨガは自由になっていく方向性のものです。

ある程度のルールはありますけど、それは欲を増やすのではなく減らしていくという方向性です。

自由というのは「欲やエゴ」からの自由です。

ヨガをやってヨガに縛られていては本末転倒です。

もっと自由にヨガで羽ばたいていきましょう。

そのためにヨガで心を整えていくことを意識することです。

 

  • 欲を追い求めるのを減らす
  • 自己実現ではなく自己表現していく
  • 見た目や社会的な影響を受けていることに気づく

ということになるかと思います。

ヨガを通して、アーサナを通して、瞑想を通して気づいていけるといいですね。

 

終わりに:結果と目的と手段を混同しない

ヨガをやっていると心が整うとか、身体が軽くなると言われます。

そもそも修行法なので、そりゃ欲を減らす方向性のものですので、軽くなっていきます。

だから、自分をよく見せたいとか、あれを達成したいとかはあまりにもヨガっぽくない。

どうせなら、超人を目指す方向でヨガを使っていける方がいいのかと思います。

より自由になるというのは素敵であり、大変なものです。

それでもヨガや瞑想に出会い、なんかいいぞと観じられた人はぜひヨガや瞑想を継続されてみてください。

たとえ意味がわからなくても。

何かしらの意味というのは後からわかってくるものですから。

ではでは。