ヨギボズQAとはEngawaYogaオーナーKiyoshiと高野山真言宗の阿里僧侶が読者の質問に対して回答したもの(ヨギーとボーズの回答集)となります。
その場のノリに任せて回答しておりますので至らない点や少々眉をひそめる回答もあるかもしれません。
寛大な心でお読みいただければと思います。
ヨギボズQAの回答集は以下にございます。
ご興味があればご覧ください。
では今回の内容をどうぞ。
もくじ.
質問:世界が幻想というのはどういうことですか?幻想なのですか?
マーヤの話をしたところからの質問かと思います。
マーヤというのはサンスクリット語で幻想という意味です。
そしてこの世界のことをマーヤと古代のヴェーダ哲学(インド哲学の源流となる思想)では書いてあるそうです。
この世界はマーヤである。すなわち幻想であると古代のインド哲学では断言しているわけです。
本当に幻想なのでしょうか。
それでは、以下のヨギーと坊主の回答をご覧下さい。
回答:この世界はゲームのような世界なんだと勝手に思っています。 BY KIYOSHI
マーヤの思想は、私には実はかなり馴染み深いものです。
小学校の時にこのようなことを感じたのです。
感じたというか、そのように決めたのかもしれませんね。
この世界は劇場である
その前にマーヤについてもう少し書きます
マーヤは幻想と言いましたが、よくインドでは劇場に例えられます。
わたし達が見ている世界というのは劇であると。
本当の私は劇を見ている側です。
見ている側が本当の自分であるということです。
だから、劇場というこの世界は幻想ですよ、というメッセージがあるわけです。
劇場は幻想だから、本当の自分はいつでも安心のところにいるわけです。
劇場中の役者側(今、わたし達が認識している私)はどんなに苦しんでも悲しんでも、本質の私とは関係ないという意味はそういうことなのです。
「本当の私が向こう側にいるのだから、今のあなたをひっぱたいても大丈夫だろ?」という質問は少しずれていて、役者は役者でひっぱたかれれば痛いし、嫌なことは嫌なのでそれは役者の辛さとして出てきます。
本質は劇にあるのではなく、見ている側にあるというのがインド哲学での解釈です。
小学校の高学年ぐらいの時に気付いた
マーヤの思想はこのように「劇とそれを見ている人」に分けられるのですが、これを小学校の時に気付いたのです。
小学校の時から「この世界はどうなっているだろう?」という疑問がありました。
「どうしたら、この世界の仕組みを知ることができるのだろうか」と思っていました。
すごく疑問に思っていたわけではないにしろ、なんとなく頭にはずっとあったと記憶しています。
そんなある日、ドラゴンクエスト3をやっていた時に起こったのです。
「世界は、このようにゲームなんじゃないの?」ということがフッと降りてきました。
ゲームの世界にいるから、この世界を出るまではゲーム自体を知ることはできないんだと直観したわけです。
しっかりと言語化できたわけではないですが、なんとも言えないスッキリ感が出たのは覚えています。
「自分はここにいるのではなく、どっか別のところにいるぞ」とワクワクと納得が襲ってきました。
ヨガでも全てはクリシュナの現れであると書いてある
世界はゲームだと、そして主人公は外にいると思ったわけです。(小学生の時なのでもっと稚拙な単語で理解したはずです)
だから、みんな同じなんだと直観して納得したのです。
みんな同じというのは、結局はゲームの外の世界から見れば一緒だということです。
本当に一緒だとその時は思いませんでしたが、ヨガの哲学でもある通り、みんなクリシュナであるということからも一緒なんだなと思っています。
みんなが私であり、つながりのある人同士であるわけですね。
変な思想といえば変な思想ですが、面白いなと思ってこのゲーム理論は自分の中に未だに残っています。
映画のマトリックスも、この幻想を描いた作品になっています。
マーヤと自我の働きについての映画です。
その視点で見るとまた面白いですね。
ということで、この世界はゲームであると直観するまでは、そのようには見えません。
劇の中に埋没するのか、外から見ている人こそ真の私と見るのかで世界の見え方も変わってくることでしょう。
好きに選んでよろしいと思います。
回答:考え中。 BY 阿里
阿理坊主は考え中です。
終わりに
不定期ですが、まだまだ更新していきますので少々お待ちください。
「ヨガをより楽しめるように」
「瞑想がより起こりやすくなるように」
「日常生活の深刻さが減少するように」
ご活用頂ければうれしく思います。
それではより素晴らしい日々が送れることを祈っております。
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