瞑想をスポーツの基礎練習のように習慣にする

MEDITATION-瞑想

KIYOSHI

【お知らせ】
・9/25(火)17:00〜18:30 BTY ゲスト講師でししょう先生が来ます。
・9/16,30(日)13:30〜15:00 日本一簡単な瞑想会SUWARU
・9/19(水)18:30〜21:30 潜在意識の可視化インサイトマップ講座
・9/30(日)15:30〜18:30 潜在意識の可視化インサイトマップ講座

瞑想を習慣にするときには、スポーツの基礎練習のように考えるといいかもしれません。

瞑想というと本格的に座らないといけないとか、微動だにしてはいけないとか、眠ってはいけないとか、いけないこと尽くしで考えてしまう人も多いと思います。

それだと、どうしても苦しさが先行してしまいます。

瞑想はあなたを縛るものではなく、あなたの可能性を広げるものです。

決して縛るものではありません。

また、瞑想体験に正しいとか間違いもなく毎回違うものです。

すごい深く瞑想体験をすることだけが瞑想ではありません。

浅くても深くてもいいですし、よくわからないうちに瞑想が終わったとか、思考がたくさん湧いたとか、ぼぉ〜としてただけだったとか、様々な瞑想体験があっていいのです。

例えば野球で「勝つことだけが野球だ」と言われても困りまし、イチローレベルでないと野球とは言えないと言われても無理があります。それと一緒です。

瞑想もスポーツのように調子が良い悪いがあっていいのです。

 

調子の良し悪しも含めて瞑想である

スポーツの良し悪しがある通り、瞑想にも良し悪しはあります。

それでいいと思います。

そうやって修正していくものに思います。

瞑想にはスランプはありません。

調子が悪いときはあるかと思いますが、それがあなたの調子です。

瞑想にはスランプはありません。

あなたのそのまましか現れませんので、スランプではなくあなたが今その状態で、そのような瞑想体験をしているということです。

瞑想で調子を上げようと思うこと自体がある種の調子の悪さを露呈しておりますので、瞑想はもっと気楽にやるのがよろしいと思います。

習慣化することに関しては頭を使って工夫して、日常の生活へと瞑想を組み入れるのはいいと思いますが、いざ瞑想をする状態になればリラックスしてあなたの存在である至福そのものにくつろぐことです。

 

至福であることを思い出す

「至福にくつろぐ」と書くと至福になろうとしてしまいます。

至福になろうとすることではありません。

至福だったことを思い出すのです。

瞑想の種類によっては、自分の体が金色に輝くのをイメージするものがあります。

これも金色をイメージするのは方便で、既にあなたという存在は金色に輝いていたことを思い出すということです。

瞑想というのはとても素敵なことなのです。

あなたは既に価値ある存在であることを思い出すのです。

それが瞑想体験のひとつでもあると思います。

 

瞑想を楽しいと思っていい

最初に書いた通り瞑想を苦行のようにしてしまうこともあります。

座禅の接心のように本格的に座るものもありますが、それはまた別の話。

日常生活で活かすなら瞑想を習慣にして、趣味ぐらいにしてもいいと思います。

趣味の延長でも、そこにしっかりと根付いた瞑想への意識があれば、瞑想の根っこは伸びていきます。

命の本質は成長です。

命というのは成長していくことを本質的に持っているので、瞑想を通してその命の根っこは確実に伸びていきます。

瞑想を続けることです。

楽しいものにしていいのです。

実際にくつろいだ瞑想状態というのは至福です。

繰り返すように本質が至福なのですからね。

瞑想で楽しい素敵な生活を送る手助けをしてもらうのも悪くありません。

本来の目的はそれではないかもしれませんが、瞑想はとても大きく有意義で人間の叡知に触れるものですので、自ずとわかってきます。

座ることを習慣にしていけば自ずと起こることが起こってくるのです。

命の根っこは確実に伸びていきます。

 

歩くことのように習慣にする

スポーツの基礎練習のようにと冒頭で書きましたが、瞑想というのはヒマラヤの奥地でやるよりも、もっと日常的なものに思っています。

落ち着けるために深呼吸をするように、朝にシャワーを浴びるように、少しだけ長く歩いてみようかなと体を使ってみるように、瞑想を日常生活に当たり前のように組み込めるし、そういった当たり前のものだと思います。

興味を持った方は、10分だけ座ろうかなというのを取り入れてみてください。

歩くとすっきりするように、ぼぉ〜と座るだけでもすっきりするのです。

座ることを通して何かに触れるのです。

その何かというのは、さっき書いた至福であったり命であったり人それぞれの表現があると思います。

ですが、何かに触れるというのはわかります。

必ず何かに触れるのです。

歩くだけでも、生活への変化を起こすのですから短い時間の瞑想だけでも変化起こります。

無意識かもしれない層にまでそれは影響を与えていきます。

歩くことを例えに出していますが、歩くこともかなり瞑想的です。

歩くだけで心というのは落ち着いていきます、一定の距離歩かれた方はわかるように心身の変化があります。

歩くことをも瞑想の準備として使うのもありです。

歩くことやランニングすることで、心身を整えて瞑想を呼び込む準備に使えるのです。

ヨギボズQA:瞑想ではありませんが、ウォーキングも心を整えるのにいいですか?

2016.04.12

 

瞑想に目的を持たない

瞑想には様々な効果があるのでどうしても「あれを治したい、これをよくしたい」と思ってしまうものです。

ですが、目標を持たずにやってほしいです。

目標を持つのがダメということではなく、そういうものではないということです。

例えば仕事においては効率というのは大事ですよね。

企業が存続するために目的もあり、利益を上げる行為を永続的にやっていかないといけないので短期か長期かの差はあれど、利益を追求するものです。

だから効率は大事です。

ですが、デートはどうでしょうか。

新しい彼や彼女ができたときに、効率よくデートをしますか。

効率よく行きたいところを巡って「2時間も短縮して家に帰ることができたね」というのはありませんよね。

むしろ3箇所回るのが1箇所だけになってしまっても「残りのところも今度行けるね、楽しみだね」となります。

瞑想も、仕事とは違い効率というものあがあるわけではないのです。

 

終わりに:瞑想に依存しない

瞑想ってやり始めると結構いいものです。

すごく良いといっても過言ではないのです。

そして効果もかなり期待できる。

あなたの存在としての価値を認識できます。

いきなり分かってしまいます。

あらゆることが瞑想で解決できるのではないかと思うほどに、良い効果があります。

でも、瞑想に依存してはいけません。

瞑想というのは状態です。

瞑想で現実世界が変化していくのが楽しくなり、現実世界を変えるために瞑想をし始めてしまいます。

瞑想は瞑想それ自体で完結です。

意味不明でも、瞑想している状態で終わりなのだということを認識しておいて欲しいと思います。