ヨギボズ(ヨガと瞑想のクラス)にお越しくださいましてありがとうございました。
2016年1月31日(日)に六本木の妙善寺さんで開催されました、ヨガと瞑想クラスの報告になります。
クラス中に話したことや、説明させて頂いたことの補足説明を書いておきますね。
ご参考にお願い致します。
今までのヨガクラス開催報告でも、様々なトピックを扱ってますので、気になることがあれば読んでみてください。
特に、ヨギボズが初めての方は、阿字観瞑想についてなど、ご覧になるとヒントになるかと思います。
ヨガはメンバーによって内容が変化する
ヨガのクラスはLIVEを意識して行っています。
テーマやメニューはありますが、参加されるメンバーの様子や雰囲気、みなさんの顔つきなど、総合的に判断してメニューを繰り出しております。
今回は、今までにはやらなかったアサナもあったかと思います。
いかがだったでしょうか。バランスを意識したポーズですが、やりなれていないことをすると頭は混乱しますね。
その混乱の中でも、集中することでバランスを保ってみる、中心軸をとっておくというのは大切なことです。
ヨガのクラスは楽屋みたいなもの
ヨガのクラスは楽屋みたいなものです。
ですので、先ほどのバランスポーズにしても、ミスって大丈夫です。
ミスって大丈夫と言っても、適当にやるわけではなく集中してやるのですが、ミスをしても命をとられるわけではありません。
武道の稽古のようなものです。
では本番はどこか。それは日常生活です。
ヨガの定義はたくさんありますが、たとえば、ヨーガスートラではこのように書かれています。
”ヨガとは心の働きを止滅すること”
どこかで聞いたことがあるかもしれません。
私は、この定義とは別で、ヨガをすることで「生きる力を高める」ということも言っております。
こちらの記事でも、そのようなことに言及しております。
前回の繰り返しにもなりますが、ヨガをやることで生きる力が高まることが大事に思っています。
ヨガをやることで生活の質が向上するのもいいと思います。
ヨガを通して、身体を整えて、より自由に生きられるようにしたいものです。
それは、ただ「アサナが楽しい」でもいいし「瞑想が気持ちいい」でもいいのです。
ヨガを深めることで日常生活がすごしやすくならないのは「なんか変だな」と思うようにしています。
ヨガを通して心身状態が変化していった先に、生きる力が高まるというのを体感されることを目指しております。
ご飯がおいしくなるとか、人との会話が弾むとか、落ちこむことがあっても仲間と一緒に上がっていけるとか、あの人に連絡してみようと思うとか、とても素敵なことです。
ヨガと瞑想を通して、そんな生活を実現できるように精進しております。そして、それを伝えたいと思っています。
瞑想がうまいってなんだ
そこからの話で「瞑想がうまくいく」とは何かということです。
実際に瞑想状態における様々な変化はあります。体験も人それぞれですが、科学的にも立証されている脳への効果もあります。
ですから、そこから効果が出た場合は良いとか、効果が出ない場合は悪いということを論ずることは可能かもしれませんが、いったんその良し悪しはおいといて、ヨガと一緒で、瞑想を通して日常生活が充実していくのか、生きる力が高まっているのか、体は心地よいというシグナルを送っているのか、そこへと視点をずらすとよろしいかと思います。
その視点からは、競争というのは無くなります。比べる他者というのがいませんから。
気楽にやっていきましょう。
阿里坊主の感想も載せておきますね
阿里坊主からも感想をもらいましたのでご紹介させてもらいます。
終わりに:阿里坊主も最初は瞑想はあかんかった
今回のクラスで私から阿里坊主に質問をしましたね。
すこーん体験、わかります。
ですので、あまり焦ることなく気ままに続けていくことも大事だと思います。
坊主阿里にもそのあたりの話をまた聞きたいと思います。
ありがとうございました。
ー 瞑想へのヒント ー
人類全員をイルカにしたい。
にも関わらず、時間を割いてご参加頂き、ありがとうございました。
今回はよぎぼずクラスを初めて受講されるという方は一人もおらず、全員が二回以上受講したことがあるという有り難い回となりました。
皆さんさすがにヨガが上手な人が多く、Kiyoshiのヨガのレートが高くてヨガ素人もどきの私はついていくのが大変でした。
恒例のウルトラマンもいつもより多く出ていたんじゃないかと思います笑
今回印象に残っているのは、よぎぼず初心者がいないにも関わらず「瞑想にうまく入れなかった」という感想を持った方が多かったことです。
それは、ひとえに導師としての私の拙さ至らなさがあるということは勿論のことです。
しかしそれを踏まえた上でも、「瞑想にはそういうこともある」ということです。
どんなに慣れていても、集中しようとすればするほど、落ち着こうとすればするほど、水をつかむように散るということもあるのです。
心の難しいところですね。
それでもなお、瞑想に深く入れた入れないということに一々拘泥せずに、また優しく瞑想する。
その繰り返しが、瞑想をするということなのです。
ヨガを繰り返ししていくように、トレーニングを絶えず続けていくように。
瞑想もこだわらずに続けていくことが、その道を上達する一番の道かと思います。
私も精進して行きます(^^)