直観は入ってきておりますか。
直観というのはフッと入ってくるものです。
直観的なことを気のせいと思ってしまうかもしれませんが、案外気のせいではありません。
意味があって直観が入ってきていたりします。
直観が入ってくる時の共通項がいくつかあると思います。
リラックスしている時や緩んでいる時などですね。
今までにフッと大切なメッセージなどを直観的に得た時は、このようなリラックスしている時だったと思います。
もちろん瞑想でも得ることはできますが、瞑想で得ようとは思わない方がいいです。
そもそも瞑想は「何かを得ようという行為」ではないからです。
関連記事:瞑想は無為になること
なので、瞑想も直観も流れにお任せできるといいのでしょうね。
直観はゆるんでいると入ってくる
直観は思考をガチガチにしていると入ってきません。
隙間がなく、色んなことを思考していては直観が入ってくる余地がありません。
なので、ぼぉ〜とゆるめることが大事です。
思考がゆるんでいるかどうか。
そして、ゆるんだ身体になっておりますでしょうか。
ゆるゆるだと集中できないと思うこともあるかもしれませんが、ゆるゆるとしてリラックスしているだけであり怠けるということとは別です。
怠けてきても、ガチガチの人はいます。
ゆるめるのですね。
余計な力を解いてゆるめる。
するとそこに隙間が生まれて直観が入ってくる。
物理的な身体もそうですし、スケジュールなどの時間にも言えるかもしれません。
たまにはぼぉ〜としてみよう
ですので、たまにはぼぉ〜としてみると良いと思います。
ぼぉ〜とする時間は普段忙しくしているとなかなかありません。
ぼぉ〜とリラックスしていると時間が勿体ないと観じてしまう人もいるかもしれません。
ですが、余裕や余白がない方が勿体ない。
せっかくの人生という生活の時間や心を切り詰めていると、大事なことを逃します。
大事なことをするために生まれてきています。(何を大事に思うかは人それぞれですけど)
なので余裕をもつためにもぼぉ〜としてみるといいと思います。
直観も入りやすくなってくることでしょう。
たまにはぼぉ〜としてみませんか。
タイミングを逃さないことも大事
直観が入ってきたら実行です。
即実行できれば最高です。
即実行するのは、なかなか難しいかもしれません。
わたしも直観を逃してしまうことがあります。
直観的にはこれだと思っていても思考や現実的な問題で逃してしまうわけです。
ですので、ここは思い切って実行です。
衝動や欲望を満たすために思い切っていては見当違いになります。
あくまでも直観を行動に移すこと。
思い切りが必要です。
勇気のようなものが必要なこともあるでしょう。
実行あるのみです。
失敗はあるようでない
直観を行動に移してうまくいかないこともあります。
それを失敗と捉える必要はあまりなさそうに思います。
仮に衝動や欲望を直観だと思って行動して、変な結果になっても「これは衝動的な行動であって直観的な調和のとれた行動ではなかったな」と気付けるからです。
これはかなり大事なことです。
直観を実行できたけどすぐにわからないこともあります。
なんの直観だったのか検討がつかない。
もちろん、面白い体験ができて、気づかなかったことを発見していけることも多々あります。
それが直観のすごいところであり信頼できるところに思います。
事後的にわかることもあるし、わかるまでに時間がかかることもある。
そんなもんだと思って楽しんでリラックスして直観をやっていければと思います。
その直観を行動していく道が王道だと思っています。
終わりに:直観は王道へとつながる
人生の王道というのがあると思っています。
幸福度の高い道です。
我欲が満たされるというよりかは、もっと大きな形での幸福ですね。
ヨガでは至福なんて呼ばれたりするものです。
今歩んでいる道が王道なのか外れているのか、それは結果としてしかわからないものです。
そして、その王道の道を歩むヒントが直観なのだと思っています。
直観がナビの役割をしてくれている。
直観が入ってくるだけではダメで、それを実行する必要があるのはナビだからです。
あくまでも実行する私がいて成立するということです。
直観を実行していくことで王道に乗れる。
そう思っています。
ご参考までに。
おまけ:オススメ書籍
直観に関するオススメ書籍はふたつ。
「あるがままに生きる 足立幸子」「波動の法則 足立育朗」です。
いつもの2冊ですね。
やっぱりオススメなのですよね。