早速、EngawaYogaのサイトを解説してもいました。すべてAIです。私はアドレスをいれてエンターキーを押すだけ。
いかがでしょうか。
いい感じにまとめてくれております。
このような時代になってきましたね。
AIが全部やってくれるのも2026年中に起こるかもしれませんね。
全部というのは、本当に仕事全般。全部です。
今現在、AIにプロンプトや指示を出していることそのものがAIがやってくれるようになります。
もうなっているのかもしれません。
そうやって、「それもまたAIにやってもらう」ということになる。
すると、個人的な体験や経験が重要視されるのかもしれませんね。
AIに代わりにご飯を食べてもらうわけにはいきませんし、代わりに映画を観させて解説を聞いても何の意味もありません。
友人と食事に行くのをAIに任せるのも意味がわかりません。
そうやって、余暇の時間だけになっていくことでしょう。
余暇のように仕事やクリエイティブをやられている人は継続して何かを生み出すでしょう。
それもまた、趣味として消費されそうですね。
チェーン店と個人店で味も質も違いがないという状況になってしまうからです。
全く違いがないとまでは言いませんが、些細な差になることでしょう。
その些細な差は、玄人や熟達者にしかわからない差になる。
となると、趣味としての仕事になり、そこに対して趣味としての消費をするのでしょう。
消費も変わる
消費ということを書きましたが、これからの消費も変化しそうですね。
どう変化するかはわかりません。
AIがすべてを代替する時代、私たちが消費するのは「記号」ではなくなると思いたい。
そう、思いたいのですが、結局は私たちは記号を消費し続けるのでしょうかね。
Beingが大事だとヨガレッスンではよく言っております。
あり方というやつです。
どういったあり方で過ごすかでその人の人生は決まる。
あり方は状態なので、純粋な意識に近い感覚となります。
周りにある記号に引っ張られない、それがBeing。
ジャン・ボードリヤールが喝破したように、消費社会は「差異という記号」を消費するゲームでした。
しかし、AIがあらゆる「正解」や「高品質」を安価に複製できるようになったとき、にどうなるのでしょうか。
ブランドや肩書きといった「ラベル(虚構)」の価値は暴落するのでしょうか。
先ほども書きましたが、意外とラベル依存が変わらない人が多いんじゃないかと思ったりします。
私はヨガや瞑想というのを実践する世界にいますが、ここの世界でもラベルで簡単に人は行動を変えます。(見た目、雑誌に出てる、人を呼べる、稼いでる、履歴)
そんなものなのです。(悪い意味ではなく、人間の性なのだと思っています)
そしてそれを超えること、要するに虚構を超えていくのがヨガや瞑想、仏教などで実践することでもあります。
マニュアルはAI担当、実存は人間
誰がやっても同じ結果が出るようなマニュアルな世界はすべてAIがやってくれるでしょう。
すでにやってくれています。
次に、人間が作り出してきた虚構となるラベル(ブランド作り)もまた、AIがやってくれることでしょう。
では、その先に残る「些細な差」とは何でしょうか。
それは、効率や損得を超えた「オーラ」のようなものです。
怪しい表現になってきました。
が、人間臭い何かって、効率や損得を超えた実存的なやつであり、それがオーラなのだと思います。
「なんとなくこれがいい!」という雰囲気を感じ取れるか。
すでに、現代の私たちは、SNSのフォロワー数や学歴といった「虚構システム」に酔わされ、依存症(精神的アルコール依存)に陥っています。
ですが、AIがプロンプト一つで「それらしい虚構」を量産するようになれば、人々はその空虚さに「うんざり」し始めるはずです。
そして、うんざりし始めてますよね?ですよね?
そこにヒントがありそうです。
記号消費をやめると軽くなる
「記号の消費」を抜けた後、世界は驚くほど「軽く」感じられるはずです。
それがEngawaYogaで目指しています「軽い人」です。
固定された現実は、ただの虚構に過ぎなかったと知ることです。
特別な演出がただあっただけで、それはただの演出に過ぎなかった。どんなにすごい演出も、演出であったと知るわけです。
これからの消費は演出ではなく、リアルに共感する何かに向けて使われるのではないでしょう。
それが何かはまだわかりませんが、エゴからの脱却は大事に思います。
酔いから醒めないといけませんね。
ではでは。


