ヨギボズQAとはEngawaYogaオーナーKiyoshiと高野山真言宗の阿里僧侶が読者の質問に対して回答したもの(ヨギーとボーズの回答集)となります。
その場のノリに任せて回答しておりますので至らない点や少々眉をひそめる回答もあるかもしれません。
寛大な心でお読みいただければと思います。
ヨギボズQAの回答集は以下にございます。
ご興味があればご覧ください。
では今回の内容をどうぞ。
もくじ.
質問:瞑想のあとにシェアする時間があるのはなぜですか?
ヨギボズでは、瞑想のあとに感想をシェアリングする時間があります。
本当に一言でいいのですが、わりと皆さん話し始めると色んなことを話し始めます。
そのシェアリングの時間をなぜ設けるのかということですね。
このような質問をされているということは、何かしらの意味があると読み取っているということでしょうか。
瞑想後のシェアリングに深い意味があるのかないのか。
それでは、以下の回答をご覧下さい。
回答:瞑想体験から金脈を掘り当てる。 BY KIYOSHI
実は瞑想体験には金脈があります。
それは意識しないと出てこないものです。
金脈なので掘らないことには気付くことができません。
その為にも、意識的に「何が起こったのか」を観察するのです。
意識をしないと、人は何が起こっているのか分からない
瞑想体験を意識化にのぼらせることも、シェアをする目的のひとつです。
体験の中身は、まずは置いといてですね、意識して何が起こっているのかを認識することです。
瞑想の体験というのは最初はよくわかりません。自分が何を思っていたのか、何が起こっていたのかも夢のように忘れてしまいます。
雑念がすごく浮かんだと言っても、その雑念に動揺したのか、観察していただけなのか、本当に真摯に向き合わないといけない事なのかもわかりません。
それらの雑念や、雑念に対して感じたこと、瞑想中に何を思っていたのかを意識していくことで、輪郭が分かってくるのです。それがシェアリングの言語化の恩恵です。
言葉に出すと、心も晴れる
瞑想体験というのは、なかなか表現するには難しいことです。
自分が瞑想を通して何を理解しているかもよくわからないと思います。
奥といいますか、瞑想体験をシェアすることで自分の奥に意識を向けるのです。
そこの奥にある何かを外に出しておかないと「なんとなく」溜まっていきます。(既にたまっている可能性もあります)
その”なんとなく”が溜まると、気付かない間に重くなることもあります。
それを言葉に出しておこうということです。
言葉に出しておくと、心がスッキリします。スッキリと晴れた心にすることができますね。
人は言葉に出す事で心も開いているのだと思います。「開示する」という表現もありますよね。
言葉にして表現することで、重みと一緒に、自分の閉じた胸の扉もオープンになっていくのだと思います。
人の体験を聞くと安心する
人のシェアを聞くと心が安心します。
これは聞いてみればわかりますが、なぜかというと「私もそう思っていた」ということではなくて「あなたはそう感じたのですね」という体験が新しく生まれるからです。
シェアにはそのような力があります。
それが狙いめです。もちろん「わたしもそう思った」というシェアもありますけど、意外な意見を聞くと自分の幅も広がります。
たくさん聞いていると、かなり何でもありな心境になってきます。
自分をなんでもありにして、シェアを聞いていれば、瞑想体験もこだわりが取れて認識できます。
そして、スッキリとした瞑想状態へと入っていけることでしょう。
シェアリングでは良い悪い関係なく、適当に聞く
心が安心するからと言って、人の瞑想シェアの内容を頑張って聞く必要はありません。
適当でいいのです。こんな言い方で申し訳ありませんが、頑張っても仕方がありません。
適当というのはリラックスして聞くとも言い換えられると思います。
頑張って、自分の糧にしようなどと考えない方がいいです。
楽に聞いてください。いいなと思った話しは覚えているものです。
それに、人の体験は、聞けばわかりますが、非常にバラバラな感想になります。
それを頑張って聞くのではなくて、この人はこのように感じたのだな、というだけにしておくといいですね。
このように、自分自身へと聞いていくことで金脈が見つかる
シェアをすると考えていないことも話し始める自分がいます。
人にわかるように表現していくと「へぇ、こんな風に感じてこのような瞑想体験をしていたのか」と自分が関心するような言葉を紡ぎ始めます。
これをどんどん掘っていくことで金脈に当たるのです。
シェアリングでは第三者がいますよね。これがまた金脈堀りに大事なのです。
人は一人で考えると時と、対人で考えるときとで表現や思考の幅が変化します。
グループでのシェアリングは一人ではたどり着けない表現を外に出すことができるのです。
わたしの体験ですと、瞑想中よりも日常生活の中で直観がおりてきます。
万物のつながりを肌で感じるような体験もありました。
回答:夢から覚めてすぐに夢日記をつけるように、瞑想から覚めたら言葉にする BY 阿里坊主
「一言でも良いし、長くても良い。感想が無いなら無いで構わない」
「良いことも悪いことも、感じたことをそのまま言って良い」
「まとまった内容でなくても考えながら話しても大丈夫」
こんな感じで、瞑想が終わった後に参加者全員に自由に気負わずにお話し頂いてます。
このシェアリングの時間をよぎぼずではとても大事にしております。
シェアは自分を深めるためになる
日常生活の中では自分の行動をすぐ振り返る、それも言葉にして他人に話す。
そんなことはあまりしませんよね。
しかし、自分が見た夢を知る為には、夢から覚めてすぐに夢日記をつけることが効果的なように。
自分の瞑想を知る為には、すぐに振り返り感覚を確かめることが大事です。
それも体験を人に話すということが、より感覚を深める上で重要なのです。
言葉には言霊が宿るなんて言い伝えもありますが、話すことで感情の昇華にもつながります。
体験をより深めるため瞑想後にすぐにお話し頂いています。
他人を深めるため
自分の抱いた感想が、他の人と全く違うことを知ることも重要です。
もちろん色々な感想が出ます。
「瞑想にすごい入れた」
「全く入れなかった」
「最初は良かったけど後はダメだった」
「足がしびれた」
「意味わかんない」
などなど、みなさん結構色々とたくさんお話しされます。
こちらは困ったものです笑
自分が他の人と違うということを、たくさんの感想から知るということは
自分の体験を「正解・不正解」と判断することなく、体験をそのままに許容することにつながるのです。
逆説的ですが、多様性を知ることで、自分が深まるのです。
まさに、他人を知ることで、自分を知ることになります。
全員でするからシェアリング
自分も深める、他人も深める。それがシェアリングです。
だから、参加して頂いた方に意識してほしいことは、私に話すのではなく、参加した全員に向けて話して頂きたいのです。
全員でするからシェアリングです。
だから、自分も深まり、他人も深まるのです。
シェアリングは、むしろ私が聞きたい
ここまで書いておいてなんですが、皆さんの感想というのは、実は私が一番聞きたいのです。
「上手くできたかな」「次はどうしようかな」と私自身が参考にさせて頂きたい気持ちがあるのは勿論です。
それもあるのですが、それと同時に「参加者された方が瞑想で危険な状態になっていないかどうか」をきちんと判断したいという気持ちもあるのです。
このよぎぼずQAでも折に触れて書いてますが、瞑想は、もちろん良い面もたくさんありますが、一方である種の危険性をはらんでいる行為です。
それは無意識の表出だったり、精神の暴走だったり、洗脳や魔境の危険だったりと色々あります。
よぎぼずでは、瞑想の良い面だけをクローズアップして、手放しで無責任に勧めることはしたくないのです。
だから、参加者が瞑想をすることで危ない状態になっていないか見届ける意味もシェアリングにはあるのです。
瞑想から日常生活に帰るための大事な時間でもある
瞑想は、終える時にきちんと終えることが大事です。
きちんと終えないと心身のバランスに影響します。
「ヨギボズQA:瞑想が終わったあとに、ぼぉ~としてしまうのですが、大丈夫でしょうか?」で言及したとおりです。
瞑想を終えてすぐに解散して日常に戻るのではなく、シェアリングをすることで瞑想から日常に戻るまでに少しの余裕が生まれます。
瞑想から日常生活へ戻る時に、その余裕が体と心への緩衝材となってスムーズに日常生活へ戻ることができます。
こうして見ると、瞑想後のシェアリングって本当に良いですね!(自画自賛)
とは言うものの、シェアリングは自由に気負わずお話する時間です。
気楽に楽しんでくれれば幸いです。
終わりに
不定期ですが、まだまだ更新していきますので少々お待ちください。
「ヨガをより楽しめるように」
「瞑想がより起こりやすくなるように」
「日常生活の深刻さが減少するように」
ご活用頂ければうれしく思います。
それではより素晴らしい日々が送れることを祈っております。
・Kiyoshiの紹介 → Kiyoshiプロフィール
・阿里坊主の紹介 → 阿里坊主のプロフィール