ルーチンワークと聞いてどんなイメージがありますか。
マイナスのイメージがある人も多いと思います。
リーチンワークでうんざりするとか、同じことの繰り返しでつまらないなど、あると思います。
ですが、ルーチンワークは「極めたい対象がある人」にはとても大事な行動だと思っています。
ルーチンワークの神様的な存在は、村上春樹さんだと思います。
他にも久石譲さんもルーチンワークを大切にされています。(もちろん、多くの方が大切にされていると思います。)
村上春樹さんからルーチンワークがいかに凄く、いかに大切かを学んだので、そのあたりをまとめてみたいと思います。
成長の為のルーチンワークを作って日々を過ごすことをやりたくなると思いますよ。僕はなりました。
もくじ.
長編小説を書くときは淡々と毎日同じ時間に起きて始める
小説家の村上春樹さんは、長編小説を執筆される際には、同じ時間に起きて活動されるそうです。
毎日同じ時間に起きて、同じ時間だけ執筆活動をされて、そして終わる。
午後はゆっくりしたり、音楽聴いたり、ランニングをしたりとされているそうです。
長編小説を書くときにはこれを永遠と繰る返すそうです。推敲を何度もするのでも知られていますよね。
なので、本当に最強のルーチンワークから、世界的な文学が生まれているのです。
しかも、長編小説は思いついたまま書き進めているそうです。だから推敲も何度も繰り替えすのでしょうけど、シンプルなルーチンだだけで世界文学を作られているのには驚きです。
もし自分で決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらくむずかしくなる
このような気持ちで小説も書かれているのですね。
これだけで繰り返すことの重要性、大切さを感じることができます。
毎日、同じ時間が大変なのではなくて、同じ時間だから続けられるととも捉えることができます。
根を伸ばしているのでしょうね。少しずつ。でも確実に。
判で押した生活から、それはもう沢山の恩恵を授かることでしょう。
だから、禅でも掃除や只座るという日課があるのだと思います。
学習をされている場合には、学習の定着率も上がることでしょう。
コンテンツを提供されている方なら質と量の両方がプラスに傾いていくことになるでしょう。
表現をされている方なら、積み重ねで表現力を高める場にもなるでしょう。
ルーチンにはこのようないろんな効果があると思うのです。
ルーチンはリズムでもある
ルーチンは一種のリズムでもあります。
リズムに乗って動きだす。それがルーチンです。
いつも同じことを繰り返す先に、リズムの先に何があるのでしょうか。
それを楽しみにルーチンを続けるのもよろしいと思います。
リズムを携えるためには、工夫も必要です。
三省という言葉があるとおり、ルーチンの内容をよりリズムに乗れるように修正を加えるのも大事ですね。
是非、今のルーチンをより良いものにするために見直してみるといいでしょう。
わたしも定期的にヨガプラクティスメニューは手を加えております。
このルーチンへのリズムは、気を使いすぎてもいいぐらいに、気を使うといいと考えています。
またリズムは体の影響を受けます。体が資本です。
体調管理はルーチンをする上で必須かと思います。
それはやるだけの価値のあることだ(少なくともやらないよりはやった方がずっといい)と信じている。
そして、ずいぶん平凡な見解ではあるけれど、よく言われるように、やるだけの価値のあることには、熱心にやるだけの(ある場合にはやりすぎるだけの)価値がある。
ルーチン的な礼拝に関しても、それを繰り返していると凄みを増すのです。
闇雲にルーチンをやっても、もちろん意味はありませんが、そこに意図があれば、凄いものになるのです。
ただの沈黙している礼拝風景だけで、これほどまでに空間が変わるのかと思った体験があります。
直接見たのではなく映像なのですが、こんなにも沈黙というものが”色がある”ものであるのかと覚えております。
そう、こちらの「大いなる沈黙へ」を映画館で観た時でした。
「大いなる沈黙へ」はグランド・シャトルーズ修道院という世界的に有名な修道院を撮影した作品です。山頂にあり、極寒の地にある修道院で沈黙を守って祈りをし続ける過酷な修行をされている修道院も撮影されております。
カトリック系の厳格な戒律のある由緒ある修道院だそうです。
監督がグランド・シャトルーズ修道院に取材を申し込んだのは1984年のことだそうです。そこから撮影許可が下りたのは16年後ということでした。
それだけでなく、撮影条件もありました。それは監督一人で入ること。そして公開時には、音やナレーションを一切入れないこと。
「大いなる沈黙へ」は構想から21年の歳月を費やして製作され、長らく日本公開が待たれていた異色のドキュメンタリーである。
フランスアルプス山脈に建つグランド・シャルトルーズ修道院は、カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の男子修道院である。修道士たちは、毎日を祈りに捧げ、一生を清貧のうちに生きる。自給自足、藁のベッドとストーブのある小さな房で毎日を過ごし、小さなブリキの箱が唯一の持ちものだ。会話は日曜の昼食後、散歩の時間にだけ許され、俗世間から完全に隔絶された孤独のなか、何世紀にもわたって変わらない決められた生活を送る──これまで内部が明かされたことはなかった。
ドイツ人監督、フィリップ・グレーニングは1984年に撮影を申し込み、ひたすら返答を待つ。そして16年後のある日、突然、扉が開かれた。
彼は修道会との約束に従い、礼拝の聖歌のほかに音楽をつけず、ナレーションもつけず、照明も使わず、ただ一人カメラを携えて6カ月間を修道士とともに暮らした。なにも加えることなく、あるがままを映すことにより、自然光だけで撮影された美しい映像がより深く心にしみいり未知なる時間、清澄な空気が心も身体も包みこむ。
オフィシャルサイトからも写真を引用しておきます。
沈黙はルーチンを助ける
沈黙の時間というのは、ここまで過酷でなくても必要に思います。
ルーチン化と沈黙時間は相互補助し合っていると思います。
人は黙々と続けることで、自らの中を掘り進んでいます。
掘りすすめる時は黙々という単語が似合います。
自分の中をつべこべ言わずに、固いところももろともせず淡々と掘り進んでいくこと。
やはり黙々と掘り進んでいかないといけない時というのがあると思います。
最初はわからなくても、何かしらのきっかけで、自宅に新しい部屋が突然現るぐらいの衝撃で、その掘ってきたものの凄さを認識するのでしょう。
インパクトのある瞬間があるときまで進むのですね。
案外、ワクワクするものです。
一人きりになりたいという思いは、常に変わらず僕の中に存在した。
だから一日に一時間ばかり走り、そこに自分だけの沈黙の時間を確保することは、僕の精神衛生にとって重要な意味を持つ作業になった。
体を鍛えるのも増強するのではなく、質を変える
ドラゴンボールで言うと、カメハメ波を強くするのはルーチンではないです
ルーチンで行きたい先は、筋力で例えると、筋力増加ではなく、筋肉の質を変えることです。
ドラゴンボールで例えると、カメハメ波を強くしたいのではなくて、界王拳を覚えたいのです。
分からない方いたらすみません。
ワンピースにします。ロロノア・ゾロという世界一の剣豪になることを目指す男ですが、けっこう重たいものを持ってトレーニングしているのですね。
重たいものの重量を上げていく成長ではなくて、体の使い方自体の質を上げていくことです。
より重たいものを持ち上げていくことは、ここでいうところのルーチンの目指すところではありません。
質の変化を目指しています。
そして質の変化は、トレーニング方法までも有機的に変化させていきます。
より重たいものを持つのではなく、同じ筋力でより簡単に身軽に”持てる”ようになるということです。
もし忙しいからというだけで走るのをやめたら、間違いなく一生走れなくなってしまう。
走り続けるための理由はほんの少ししかないけれど、走るのをやめるための理由なら大型トラックいっぱいぶんはあるからだ。
僕らにできるのは、その「ほんの少しの理由」をひとつひとつ大事に磨き続けることだけだ。暇をみつけては、せっせとくまなく磨き続けること。
終わりに:やっぱりルーチンっていいよね
ルーチンといイメージはマイナスになってからどのくらいが経過しているのでしょうか。
昔の剣豪から、野球のイチロー選手、そしてラグビーの五郎丸選手もルーチン的な儀式を大切にしておりました。
ルーチンの中にビューティフルさを見出すことが出来ると、革命が起こるかもしれません。
それは、初めはあなた個人の革命かもしれませんが、やがて、大きな革命の波が周りへと巡っていくと思います。
直ぐには見えないかもしれませんし、永遠に目には見えないかもしれません。
ですが、あなたの心の変化は、確実に世界へと影響を与えているのです。
ルーチンから始めてみませんか。