ミニマルな考え方が好きですが、ヨガや瞑想をやっていくことそのものがミニマルな生活になっていきます。
ミニマルというのは最小限という意味で、ミニマルな考え方というのは必要最小限のことで生活やアウトプットなど表現していこうとする態度になります。
ですので、そもそもヨガというのはミニマルなものに感じます。
ヨガは最大限に何かを求めるのではなく、最小限に求めて生活をしていく態度をとりますから。
瞑想も削ぎ落としていく引き算思考です。
ですので、瞑想もミニマルな思想です。
私はミニマルな生活が好きです。
必要最小限の物を持ち活動をしていきたいと思っています。
ヨガや瞑想、BORN TO YOGもミニマルな思想に合い通じるので今後も継続していこうと思っています。
もくじ.
ミニマルなスタイルは瞑想と相性がいい
ミニマルな最小限主義は瞑想と相性がいいです。
瞑想ではゆるめることを中心に行います。
全身をゆるめていきます。
ゆるめることは力を抜くことです。
できる範囲で余分な力を抜いていきます。
これは手放す方向のものです。
力を入れていく足し算ではなく、手放していく方向です。
瞑想は足していくのではなく引き算していくのです。
ミニマルな考え方も引き算です。
必要最小限なのですから足し算ではなく引き算です。
瞑想も引き算、ミニマル主義も引き算。
瞑想を集中してやる場所も引き算思考でシンプルに整った場所が良いです。
その方が瞑想に入れます。
禅寺も引き算思考で作られていますね。
その方が座禅に適しているからです。
ミニマルに考えて瞑想に取り組むのもとても有効です。
瞑想のあるシンプルな生活を作る
ミニマルに考えて瞑想することがオススメです。
最小限の物で囲まれている空間での瞑想は最高です。
そもそもざわつく物がないので集中して座ることができます。
ざわつかせる物があれば、それはノイズになってきます。
ノイズがあっても瞑想に入れることはもちろん大事なことですが、瞑想を深めたいのでしたら先ずは場所も整えることが必要です。
必要最小限の物だけになっているから瞑想する場所をチェックしてみてはいかがでしょうか。
いかがでしょうか、と聞いたところで普段から瞑想していない人はどうでもいいかもしれませんが、瞑想していない人もリラックスする場所、落ち着かせる場所、集中する場所、仕事をする場所、寝る場所、全てミニマルにすることは重要に思います。
必要最小限ということですから、そこの場所にふさわしい物だけにするということです。
仕事部屋でしたら仕事に必要な物だけにするということです。
寝室でしたら寝るのに必要な物だけにするということです。
そのようにしてミニマルに生活していくことで生活の質が上がります。
生活の質が上がることがは人生の質が上がるということです。
瞑想もより深く入れるミニマルな空間を作ってみてください。
EngawaYogaスタジオ@新宿・代々木においてもミニマルな空間にするべく、断捨離や全捨離に励んでおります。
ミニマルな考え方、いいですよ。
オススメです。
ヨガとミニマル
ヨガとミニマルも相性の良いものに感じます。
ヨガの哲学とも相性がいいと思いますが、普通にヨガをやっている時の荷物を見ても相性がいいと思います。
ヨガはヨガウェア(要するに動ければなんでもいいです)とヨガマット(手や足を怪我しないところなら何処でもいいです)だけですから、身一つでできます。
これってとても素敵なことです。
身一つで出来ると幅が広がりますし、手軽にやることができます。
日々の習慣にも落とし込みやすいですね。
身軽で習慣に落とせるのがヨガなので、物理的なハードルも低いですからどこでも直ぐにできます。
精神的なハードルも低いです。
ヨガスタジオも今ではマットを貸してくれるところも多いですし、ウェアも速乾性のあるミニマルなウェアが増えています。
ありがたい限りです。
このミニマルな荷物って実はとても大事なことです。
精神的なハードルが下がることで制限が下げられます。
制限が下がると自然とやりたいならやれるようになるということです。
ヨガは身一つということで、動きも原始的に感じます。
呼吸と身体をあわせて動いていくことが基本ですが、ヨガでとるポーズも特に道具のいるポーズはありません。
道具を必要としないのもとてもいいです。
身一つで行うというミニマルな思想が根付いているのだと思います。
昔のヨギーが外で着の身着のまま修行されていたのですから当然ミニマルなものになります。
こういった身一つでやれる原始的なものをひとつはやっておくといいと感じます。
現代においては道具もそうですが、何かしらの工夫やバーチャルな画面やいろんなものを駆使して煩雑になってきています。
なんでも組み合わせればいいのではなく、原始的な純粋な動きというものを取り入れておくと身体は元気にタフになると感じます。
遊びや体験を楽しむのに様々なアトラクションは楽しいと思いますが、根源的なことに取り組むのでしたらやはり野生的で原始的なものがあるといいでしょう。
BORN TO YOGを通して野生的な身体を作る
原始的なことを通して野生的な身体というのは作られていきます。
身体を直に使う原始的な動きは楽しいです。
だから、BORN TO YOGも瞑想にもハマっています。
余分なものを足さずに、そして極端に引きすぎずにあるメソッドに感じます。
昔から瞑想もヨガも行われており、現在も続いているというのは意味があることに感じます。
狩猟民族的な暮らしもいいなと感じていますが、そのような狩猟民族的な暮らしにも関係していると思っています。
BORN TO YOGでは食事も大切にします。
それは各々が決めることですが、やはり野菜は多めがいいと私は感じていますし、肉も極端に何も食べないのも違和感を感じています。
もちろん現段階の結論なので変わると思いますが、自在に自分に合わせた食事をとることが大事です。
朝に食べずに運動するのもいいと感じています。
もちろんBORN TO YOGはヨガなのでクラス前に食事はとりません。
早朝のBORN TO YOGクラス前にも基本的に食事はとりません。
それでも元気なだけでなく、身体の感度が良いと感じます。
野生的な生活と身体を手に入れるべくこれからも楽しくBORN TO YOGやヨガや瞑想で遊んでいきたいと思います。
終わりに:最高のパフォーマンスは何も考えないことで出力される
考えて動いた身体というのは遅いです。
何も考えずに体が動いた時のパフォーマンスは高いです。
運動神経の良い人はいきなりできます。
スポーツでの素晴らしいプレイも後からは説明できても、その場では体が先に動いています。
考えてからでは遅いし、パフォーマンスも低いです。
無意識的に動いた体は早く速いです。
天才は何も考えずにできます。
天才というのは常に考えることなく身体を操作できるのだと思います。
普段からも身体に任せるようにして練習していくとつながっていくと感じます。
考えずにプレーできるまで修練する手もあります。
お気楽なプレーのようにできるようになります。
混乱するぐらいの状態での練習がいいのだと思います。
混乱するぐらいの情報量の中、直観と身体の感覚だけでプレイする練習をすると身体が考えずに動けるようになっていきます。
元から身体感覚が優れている人は基本練習をしすぎると、逆に可能性を閉じてしまうこともあるのでしょう。
それは、本来は勝手に動いて身体に対して理屈をつけて、一歩送れる形で動かすようになっていくからです。
パッと反射的に動けること、サッと当然のように一歩踏み出せることが考えない身体には大事です。
もちろん、単なる闇雲や当てずっぽうではいけません。
自分の身体や直観とひも付いた形での行動です。
そのような身体を培っていくべくヨガやBORN TO YOGをこれからもやっていこうと思っています。