瞑想とリラックスはイコールではありませんが、瞑想で大事なことにリラックスやくつろぐことがあります。
完全な無思考状態でくつろぎの中にいることが瞑想だといってもいいと思います。
ただ在るという状態が瞑想そのものだと思いますが、寛いでリラックスして心身脱落状態になっていればそれは瞑想です。
瞑想状態に入っていくには、くつろぐことが大事なのです。
ただ見守る
瞑想では座って目を閉じることが多いと思います。
その際に、様々な雑念が出てくることがあるでしょう。
多くの人は必ず出てくると思います。
実は日常から雑念が大量にでておりますが、それに気付かないで生活しているので目をつぶることで一気に湧いてくるように思うのです。
その雑念や思考に対して何かする必要はありません。
ただ見守るだけでいいのです。
ただ見守る、何かしようとするのではなく、ただ見守るのです。
それが、ひとつのくつろぎです。くつろいで何もしようとしないのです。
思考はコントロールできない
思考はコントロールできません。
なぜなら、思考は勝手に起こることだからです。
勝手に出てしまうのです。勝手に出てしまうから「雑念がすごくて大変です」ということが起こるのです。
自動的に出てしまうので、そもそもコントロールすることができません。
だから、先ほども書いたとおり、見守ることです。くつろぐことです。
見守ると思考は消えていく
思考は見守っていると消えていきます。
万物は変化しているという真実の通り、思考も勝手に変化し、消えていきます。
変化して消えていくものに対してエネルギーを注ぎ、今に残してしまうのが、あれやこれやと意味づけしてしまうことなのです。
自分自身で意味づけをしてジャッジして固定化させてしまっているので、本当は消えるはずの思考が残ってしまうのです。
だから、見守る。
観察しておくだけで、それも過ぎ去るのです。
瞑想は集中ではない
瞑想は集中ではありません。
くつろぐことです。
「瞑想は神的であり、集中は人間的である」という言葉もあります。
瞑想は「起こること」ですので、何か働きかけをすることができません。
雑念の観察と一緒で、何もしないことです。やってくるのを待つのです。
それは睡眠のように準備することしかできないのです。
目をつぶり、くつろぐことが準備なのです。
終わりに:開く
瞑想を続けていくと、開いてくるのがわかります。
何が開くのか。
それは、あなたが開くということです。
存在として開いてくるのです。
わたしは、まだまだ完全に開ききっておりませんが、瞑想前と瞑想後とでは幾分かは開いてきております。
本来の自分と言うものも自然と出てきます。才能も自然と開花していくのだと思います。
今では様々な分野で瞑想が推奨されてきておりますが、瞑想を続けることで実際に効果が期待できることも多いでしょう。
ぜひ、瞑想をチャレンジしてみてください。簡単なところからで結構ですので、まずは一度体験を。
瞑想は集中ではなく、くつろぎだということ。人は単純に自分自身にくつろぐ。くつろげばくつろぐほど、自分がよりオープンに、素直になり、堅さが取れてくる。
あなたはますます流動的になる。すると、突然、《存在》が浸透してくる。
あなたはもはや岩のようではない。あなたは開きはじめる。