人には性格や性質や趣味があります。
苦手なことや得意なこともあります。
好きなことや嫌いなこともあります。
こういったことの多くが記憶で作られていたりします。
記憶で作られているだけ。
だから、記憶を変えるだけで人も変わります。
記憶で自由にもなるし、記憶で縛られてもいるのですから。
社会との関係性も記憶
社会との関係性も記憶で作り出しております。
記憶を書き換えたら、どうでしょうか。
変わってしまいます。
「会社で不当な扱いをされ、国の制度を使って色々と訴えたけれど、とても大変でうまくいかず、最終的にはなんとか収まったけど、解決されることなく、状況は続いている。」
という想像するにもなんだか悲しいことがあったとしまして、この記憶が全部逆の素敵な記憶になったとしたらどうでしょうか。
事実がどうだったかということではなく、記憶だけでも変わってしまえば社会に対する見方は変わり、社会との関係性も変わりますね。
記憶で決まっているということです。
自分を記憶で作っているのです。
自分の行動も価値判断も記憶で作り上げています。
人は自分で自分を作りあげている
今ここで、全く知らなかったあなたの真実を教えられたとしましょう。
そしたら、あなたは別人になります。
「実は〇〇だったのよ」ということを打ち明けられた瞬間からそれが真実になり、記憶があなたを作り上げ、別人にします。
今までの自分とはおさらばです。
本当に全くの別人になります。
人は、自分で自分を作っています。
自分が勝手に信じている記憶で作っているのです。
真実というのは、自分で決めたことです。
自分で勝手に信じていることが自分には真実です。
どんな真実を採用するのかは自分次第。
過去にあった出来事は変えられないとは言われますが、自分で変えてしまえば変わってしまえます。
記憶は曖昧なものですからね。
真実を記憶しておけません。
別人になるのも自由
案外、別人になることは簡単なのかもしれません。
記憶を自分で書き換えてしまえばいいのです。
自分で自分を信じればいいだけです。
そして、それは既にしています。
信じた記憶の通りの人間になっているからです。
あなたが信じた記憶で、信じた通りの人をしているのです。
いかがでしょうか。
だから、別人になるには記憶を変えてしまえばいいのです。
出来事は変えられなくても認識を変えるという手もありますね。
「〇〇だったからダメなんだ」というのを「〇〇だったからこんな良いことがあった」に変えるとか。
これは、そのまますぎて面白くないですけど、認知を変えるだけで記憶なんてどんどん変わります。
そのぐらいに記憶も認知も曖昧で勝手なものです。
とある教えでは「あなたはすでに完璧です」といいます。
わたしも言ったりしております。
それは自分のことを自分で完璧に決めているからです。
「もしかしたら、自分で自分のことを決めることができるのかな」と思ってほしいのです。
そうやって、自分を作ってきたのですから。
自分で自分を決めることができるならどのような自分であると決めますか。
ちょっと楽しそうではありませんかね。
終わりに:どんな記憶を採用するか
どんな記憶を採用するかは自分次第です。
自分で決めることができます。
今から変えることができます。
認知を自分で作り変えることができます。
スキルやなんやかんや(?)をすぐに変更することはできないかもしれませんが、それさえも、すぐにできる自分に変えていってしまえばいいのです。
どんな記憶を今までに自分で作ってきましたか。
今後はどんな記憶を作っていきますか。
今ここから変えることができます。