色々と頑張りすぎてしまう人がいます。
それもわかります。
私も心配性だから頑張りすぎてしまうこともあります。
頑張りすぎてしまう裏には、不安や心配や恐怖があるのでしょう。
不安や心配をスタートすると、意識の方向がそちらに向きますので、スキーで目線を向けた方に滑っていくのと一緒で、意識を向けた不安や心配に向かっていってしまいます。
ですので、リフレーミングするようにどのように見たら気持ちが上がり、軽やかに動けるか捉え方を変えることは大切に思います。
リフレーミングというのは物の見方を変えることです。
「仕事が忙しくて辛い」というのを「能力が磨かれて夢につながっている」と捉え直すとか。
「あの人みたいにいろんなことができない」というのを「私は色々はできない分、これだけは突き抜けるというものが持てる可能性がある」と捉え直す。
物の見方を変えるだけで人生は劇的に変わります。
そういうことも含めて結局は大丈夫なのです。
自分に起こることは全てが良いことだと思ってみるといいと思います。
なんとかしようとせずに、なんとかなる
なんとかしようとしないことです。
なんとかしようとしている時は、なんとかできません。
なんとかできないから、なんとかしようとしているのです。
考え方ややり方を変えないといけない。
なんとかしようとしない。
これでいきましょう。
それでもなんとかしようとしてしまう。
そういった時は、いったん放置しておけばいいのです。
どうにもならないんですから。
他のやることをやる。
他にやりたいことがあればやる。
するとなんとかなってしまう。
問題自体がなくなることもあります。
時間が解決するということもあります。
結局は大丈夫だったりするから面白いです。
なんとかしようとしている間はそれを問題だと思っていても、実際は問題でもなんでもなかったのです。
生きているだけで儲けもん
「生きているだけで儲けもん」というのを誰かから聞きました。
正直、今生きているだけで儲けもんです。
本当にそうだなと思います。
案外、大丈夫なんですよね。
やることをやることは大事です。(意味不明)
やる必要があることを取り組むことは大事なことではあります。
それとは別の話で大丈夫なんですよ。
出来ても出来なくても大丈夫。
そういう風になっているのですね。
人生というのは大丈夫なようになっている。
どうもそのようです。
歳を積み重ねるとわかるようになっています。
一定の経験値が必要なのでしょう。
そうでないと、なかなか結局は大丈夫という俯瞰視点に立てにくいのかもしれません。
ともかく、大変でも大丈夫です。
あなたは大丈夫です。
結局は大丈夫だから
そう、結局は大丈夫。
大丈夫という視点に立って物事を俯瞰するといいと思います。
敢えて、大丈夫俯瞰視点に立つ。
すると必要な行動もとれるし、悲観的になったりもしない。
そういう視点に立つだけでいいのです。
悲観的になることが悪いのではなくて、悲観的になる必要もないところで悲観的になり、打つ手を間違えるのが問題です。
まぁ、間違えても大丈夫なんですけど。
どうせなら、自分にとって面白い方に転がっていく方がいいですからね。
大丈夫なんです。
「もし仮に全部大丈夫ならどんな感覚だろう。全部が大丈夫ならどんな視点で見るだろう」と観じられてください。
どうでしょうか。
かなり大丈夫になってきませんか。
実際にも大丈夫なのです。
終わりに:腹をくくればどうにかなる
結局は言いたいことはなんとかなるから大丈夫です。
私たちはなんとかなってきました。
だから、なんとかなるのです。
大丈夫なのです。
大丈夫だと腹をくくれば本当に大丈夫。
行動をしたい人は腹をくくって行動です。
いったん逃げ出したい人は腹をくくって逃げ出す。
静観する人は腹を括って静観する。
すると案外いい感じになっていきます。
腹をくくればどうにかなります。
大丈夫なようになっています。
ぜひ、大丈夫視点で過ごしていきましょう。