雨月ヨガが始まります。
このクラスを作った動機の半分は、たぶん自分のためです。
きちんと体系を作ると、その体系が自分を守ってくれます。何を聞かれても答えられるし、誰にも怒られない。安全です。安全なんですが、安全な場所からは新しいものが出てこない。
僕の設計思想は昔から「単一の真実の源」で、同じことを二箇所に書かないようにしてきました。重複コードは腐る。だから体系は美しくなる。(調子に乗っているプログラマーみたいな発言ですが)
でもここ数年、気づいたことがありまして。
人間は、綺麗に整理された正論では動かない。いまさら。
動くときはだいたい、変な話を聞いたときです。
私がそうでした。
「へえ、そんなことあるんだ」で身体がゆるむ。理屈で説得されて肩の力が抜けた人を、僕はほとんど見たことがありません。
だったら、変な話をする枠を、ちゃんと設計に組み込めばいい。例外処理を隠すんじゃなくて、専用のモジュールを切る。それが雨月ヨガです。
「効いたかどうか」は、あなたが決めてください
このクラスで一番はっきりさせておきたいのは、ここです。
僕はワークの効果を保証しません。「これをやると邪気が取れます」とも「エネルギーが上がります」とも言い切りません。(言っちゃうんだけど)
やってみて、どうだったか。その判定はあなたがしてください。
これは逃げているわけではなくて、むしろ逆で。この手のジャンルで一番よくない事故は、先生が判定係になってしまうことです。
「私、良くなってますか?」 「うん、良くなってるよ」
終わってますね。なんなら先生の顔色を伺うヨガクラスもあるのだとか。こわいね。
この会話が成立した瞬間、その人は自分の感覚のハンドルを他人に渡します。
そして次からは、先生に確認しないと自分の状態がわからなくなる。
依存の完成です。
ヨガは依存を完成させるのではなく、自立を完成させるものです。
優しさの顔をした支配。僕はこれを何度も見てきたし、正直、やろうと思えば簡単にできてしまう。できてしまうからこそ、やらないと決めています。
だから雨月ヨガは、判定をあなたに返し続けるクラスです。
ゆるい見た目をしていますが、ここだけは硬いです。
「もっとちゃんと取り組みたい」と思ったら、そのときはENQANへ、SIQANへ、JIQANへどうぞ。うちには続きがあります。雨月ヨガは入り口であって、行き止まりではありません。
誰に来てほしいか
想定しているのは、この二種類です。
ひとつは、スピリチュアルは好きだけど、ガッツリ動くヨガはしんどい人。世の中のヨガクラスは、だいたい体力のある人向けに作られています。ついていけなくて諦めた人が本当に多い。運動量を落とせば、その人たちの席ができる。
とはいえ、こういった方々も身体を動かしたいとは思っているとも感じます。
もうひとつは、ヨガとスピリチュアルを自分の中で統合したい人。この二つ、本来は地続きなのに、なぜか日本では別々の棚に置かれています。
アーサナの棚とチャクラの棚のあいだに、変な壁がある。その壁の上に橋を架けたい。
あと個人的な予想として、主婦の方が意外と多いんじゃないかと思っています。理由はうまく説明できません。でもたぶん当たります。当たったらここに追記します。
そして、状態が少し不安定な人が来ることも、織り込み済みです。
ENQANはそもそも構成上そういう方が来にくいクラスになっていて、それはそれで設計として正しい。でも雨月ヨガはドアが広い。だから来ます。
来ていいです。ただし、さっき書いた通り、判定はご自分で。ここで自立心が育つなら、それは僕の仕事の中でもかなり上等な部類だと思っています。
オカルトを「本気で」混ぜるということ
ここ、誤解されたくないので丁寧に書きます。
オカルトを混ぜると言っても、僕は「信じさせる」つもりがまったくありません。かといって「まあ遊びですけどね」と最後に予防線を張るのも、いちばんダサいと思っています。
信じさせもしないし、茶化しもしない。真顔でやる。
チャクラの話をするときは、生理学的にどうこうという逃げ道を用意せずに、チャクラの話として最後まで喋ります。体外離脱の話も同じ。そのうえで、「で、どう思う?」を投げ返す。
これは僕が数学をやっていた時期の癖かもしれません。公理は証明しません。証明せずに「これを認めたら、この世界はどう見えるか」を最後まで走らせる。走らせた先の景色を見てから、採用するかどうか決めればいい。先に採用しないと見えない景色があるというだけの話です。
信じるのは、あとでいい。というか、信じなくてもいい。信じる必要もない。
ということで、つらつらと書きましたが、こんなイメージでやっていこうと思っております。
雨月ヨガのお知らせも出しました。
毎週やりたいのですが、まずは9月27日(日)13:30からやります。
ではまた。




