今月のアーサナテーマはナタラジャアーサナです。
そして、ヨガ哲学の実践テーマは「チッタ・ブルッティ・ニローダハ(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」です。
これが今月のテーマです。
ナタラジャは膝を伸ばすのが大変ですよね。
私も伸ばせなくなっております(怪我の影響もありますが、、、)
それでも、練習して踊っていきましょう。
必ずできるポーズですし、バランスが楽しいので、気楽に取り組むのがオススメです。
「チッタブルッティニローダハ(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」の方が問題ですね。
ヨガの目的がこれです。
ヨガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』において、「心の作用を止滅することが、ヨーガである」と定義されている言葉です。
「心の作用を止滅すること」=「チッタブルッティニローダハ(citta-vṛtti-nirodhaḥ)」
ヨガの本丸をやろうという試みです。
チッタというのは、以下の要素に分けて考えます。
個人的な解説になるのでご了承ください。
1. チッタ(心)の構成要素
ヨガにおいて「心」とされる「チッタ」は、主に3つの要素で構成されています。
• ブッティ(知覚): 物事を認識・認知する能力です(例:「コーヒーがある」と認識する)。
• アハンカーラ(自我): 自己への執着や主観です(例:「私はコーヒーが好きだ」というエゴ)。
• マナス(思考): 意思表示や具体的な思考マインドです(例:「このコーヒーを飲もう」と考える)。
2. ブルッティ(作用)とニローダハ(止滅)
人間は意識がある限り、この心が常に「コロコロと動き続けて」おり、終わりのないシミュレーションを繰り返しています。この絶え間ない思考の動きやシミュレーション回路を「作用(ブルッティ)」と呼び、それを遮断し、とらわれない心の静けさに至ることを「止滅(ニローダハ)」といいます。
3. 本質的な目的:自我から真我へ
チッタの作用はあくまで「自我(エゴ)」のものであり、本来の自分である「真我(プルシャ)」とは異なります。
• 私たちは、精神原理である「真我(プルシャ)」が物質原理である「自我(プラクリティ)」と結びついているために苦しんでいるとされます。
• ヨガの修行(八支則など)を通じて、観客(真我)と映画(自我の作用)を切り離し、観客が映画に混ざらずに本来の自分に気づいている状態を目指します。
いかがでしょうか。
単純ですよね。(私が単純化してしまっているだけなのだと思いますが)
ちなみに、私はこの考えとは少し違う立場をとっております。
戻しまして、
要するに、【絶え間ない思考の動きやシミュレーション回路を「作用(ブルッティ)」と呼び、それを遮断し、とらわれない心の静けさに至ること「止滅(ニローダハ)」する】ために、ヨガをやりましょうということになります。
ですが、今回は違う方法でニローダハしてみようと思っています。
ヨガは普段から実践しておりますので、違う視点も良いと思いまして、違う方法を提案しております。
その方法はすみませんが、ヨガレッスンでお伝えしております。
文章にするのが難しいので、ニュアンスが伝わらないので、すみません。
まったく何も書かないのも申し訳ないので、その方法以外にも採用しようとしている方法をご紹介します。
エックハルトトールさんも紹介していましたが、昔の有名な話しから方法を拝借します。
それは、「それもまた過ぎ去るだろう」という言葉を常に使うこと。
良いこと、悪いこと、イライラすること、悲しいこと、楽しいこと、全てに「それもまた過ぎ去るだろう」と宣言します。
いいでしょ?
エゴのシミュレーションシステムを落ち着かせる作用があります。
諸行無常であると言われますが、それを日常の言葉で体現されていると思います。
マイナスの意味合いもないし、真実ですから、とても使える言葉です。
気持ちが気楽になり、EngawaYogaで目指している軽い人にも近づくことでしょう。
「それもまた過ぎ去るだろう」です。
「それもまた過ぎ去るだろう」と言ってみてください。
変化しますよね。
とても軽い言葉だと思います。
「それもまた過ぎ去るだろう」、実践されてみてください。
ではまた。



