ヨーガスートラは、古代インドの哲学者パタンジャリによって編纂されたとされるヨガ哲学の古典的なテキストです。 約200の短いスートラ(格言)から成り、ヨガの実践方法、心の状態、解脱への道などを体系的に説明しています。 その冒頭、第一章(サマダーヤ・パーダ)の第2スートラ「チッタ・ヴルッティ・ニローダ(योगश्चित्तवृत्तिनिरोधः, Yogaś citta-vṛtti-nirodhaḥ)」は、ヨガの定義として極めて重要です。 本稿では、このスートラ「心の作用を止めること」の意味を深く掘り下げ、ヨーガスートラの真髄、そして現代社会におけるその意義について考察します。
もくじ.
チッタ・ヴルッティ・ニローダ:ヨガの定義
「チッタ・ヴルッティ・ニローダ(योगश्चित्तवृत्तिनिरोधः, Yogaś citta-vṛtti-nirodhaḥ)」を直訳すると「ヨーガは、チッタのヴルッティをニローダすることである」となります。 このスートラを理解するために、個々の言葉を丁寧に見ていきましょう。
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ヨーガ(Yoga): サンスクリット語で「繋ぐ」「結合する」という意味を持ちます。 ヨーガスートラにおけるヨーガは、単なる身体のポーズや呼吸法にとどまらず、心身と、究極的には宇宙の根源と繋がることを目指す、包括的な実践体系を指します。
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チッタ(Citṭa): 「心」「意識」「精神」などを意味するサンスクリット語です。 ヨーガスートラにおけるチッタは、思考、感情、感覚、意志など、心のあらゆる活動を包含する、より広範な概念です。 単なる「脳」ではなく、心の全機能を含んだ、より包括的な意識の場を指すと考えられます。
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ヴルッティ(Vṛtti): 「作用」「活動」「変動」などを意味するサンスクリット語です。 チッタのヴルッティとは、チッタ(心・意識)が絶え間なく行っている、思考、感情、感覚、記憶、想像といった、様々な活動や、揺らぎを指します。 これらのヴルッティは、絶え間なく生じ、変化し、私たちの心を不安定な状態に保つ要因となります。
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ニローダ(Nirodhaḥ): 「止める」「抑制する」「静止させる」などを意味するサンスクリット語です。 チッタのヴルッティをニローダするとは、これらの心の作用を抑制し、静止させることを意味します。 単なる思考の停止ではなく、心の揺らぎを鎮め、静寂な状態に導くことを意味します。
したがって、「チッタ・ヴルッティ・ニローダ」は、ヨガとは、心の様々な作用や、揺らぎを静止させる実践であると定義づけているのです。 これは、単なる身体的な鍛錬ではなく、精神的な修練がヨガの中心にあることを明確に示しています。
心の作用(ヴルッティ)の種類と性質
ヨーガスートラでは、チッタのヴルッティを、大きく分けて5種類に分類しています。
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プラマ(Prama, 正知覚): 正しい知識や理解に基づいた、正確な知覚。
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アプラマ(Aprama, 誤知覚): 誤った知識や理解に基づいた、間違った知覚。
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ビカルパ(Vikalpa, 想像): 現実とは異なるものを想像する作用。
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ニドラ(Nidra, 睡眠): 意識が眠っている状態。
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スマリティ(Smṛti, 記憶): 過去の経験を思い出す作用。
これらのヴルッティは、絶え間なく生じ、私たちの心を揺さぶります。 特に、アプラマや、ビカルパは、誤った判断や、不安、ストレスの原因となります。 ニドラは、休息には必要ですが、過剰な睡眠は、活動性を阻害します。 スマリティは、過去の辛い経験などを反芻し、心を苦しめる原因となります。
ヴルッティの止滅:実践方法と効果
ヨーガスートラでは、ヴルッティの止滅(ニローダ)を、以下の様な実践を通して行うことを推奨しています。
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ヤマ(Yama, 社会規範): アヒムサ(非暴力)、サティヤ(真実)、アステヤ(不盗)、ブラフマチャリヤ(禁欲)、アパリグラハ(不貪)の五つから成る社会規範。 これらの規範を守り、倫理的な生き方をすることで、心の状態を安定させることができます。
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ニヤマ(Niyama, 倫理規範): サウチャ(清浄)、サントーシャ(満足)、タパス(苦行)、スヴァーディヤーヤ(自己学習)、イーシュヴァラプラニダーナ(神への献身)の五つから成る倫理規範。 これらの規範を実践することで、心の状態をより深く安定させることができます。
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アーサナ(Asana, 身体のポーズ): 身体のポーズを通して、心身をリラックスさせ、集中力を高めることができます。
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プラナヤーマ(Pranayama, 呼吸法): 呼吸法を通して、自律神経のバランスを整え、心の状態を安定させることができます。
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プラティヤーハラ(Pratyahara, 感覚の制御): 感覚の集中力を高め、外界の刺激から心を守ります。
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ダーラナ(Dharana, 集中): 特定の対象物に意識を集中することで、心を静め、集中力を高めます。
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ディヤーナ(Dhyana, 瞑想): 瞑想を通して、心の雑念を取り除き、心の静寂を体験することができます。
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サマーディ(Samadhi, 三昧): 意識の集中と、対象への没入状態。
これらの実践を通して、チッタのヴルッティを徐々に抑制し、最終的には止滅させることで、心の平安と、悟り、そして解脱に至るとヨーガスートラは説いています。
チッタ・ヴルッティ・ニローダḥと現代社会:心の平安への道標
現代社会は、情報過多、競争社会、ストレス社会など、心の状態を不安定にさせる要因が多く存在します。 チッタのヴルッティは、現代社会において、より活発化し、心の平安を脅かしていると言えるでしょう。 ヨーガスートラの教えは、現代社会で生きる私たちにとって、心の平安と、自己実現への道を示唆する、貴重な指針となります。
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ストレス軽減: アーサナ、プラナヤマ、瞑想は、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌を抑制し、ストレスを軽減する効果があります。
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集中力向上: ダーラナ、ディヤーナは、集中力を高め、仕事や日常生活のパフォーマンス向上に繋がります。
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心の安定: ヨーガスートラの教えを実践することで、心の安定を保ち、穏やかな日々を送ることができます。
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自己認識の深化: ヨーガの実践を通して、自分自身の心の状態や思考パターンを観察し、自己理解を深めることができます。
結論:心の作用を止滅し、真の自分と繋がる
「チッタ・ヴルッティ・ニローダ」は、ヨーガスートラの真髄を示す重要なスートラです。 心の作用を抑制し、静寂な状態に導くことで、私たちは、真の自分自身と繋がり、心の平安と、充実感を得ることができるでしょう。 ヨーガスートラの実践を通して、現代社会のストレスや、不安から解放され、より穏やかで、より豊かな人生を目指しましょう。
ヨガの基本情報まとめの目次は以下よりご覧いただけます。