最近疲れやすくなりました。
って、何かのCMのような発言ですが。
人は歳を重ねるので、どうしても体力に限界がくることがあります。
本当に体力が落ちているかというとそうではなく、自分の思い込みも大きい。
老化もまた思い込みでしかないのですが、まだ強固な思考回路があります。
そういった外してもいい思い込みを取り除いていくのが瞑想でもあります。
当たり前という常識を外す。
瞑想習慣の見直しで老化も外していきたい
そこで、改めて瞑想習慣を見直しました。
瞑想で体力の回復をするのが私の定番のひとつなのですが、最近は瞑想そのものを大事にしていたので、ルーチンにはしておりませんでした。
「瞑想をしたい時にする」というと何か強い発言と言いますか、瞑想ができる人間のように聞こえますが、そんなこともなくただ感覚的なタイミングで瞑想をしておりました。その方が瞑想的だしと。
それを少々変更しまして、朝昼晩と瞑想の時間をとろうと思います。
要するにある程度のルーチンにするということです。
ルーチンにするメリットはたくさんありますが、デメリットは「こなしてしまう」ということに尽きるでしょう。
こなすことなく、ひとつひとつの瞑想を丁寧な時間にしたいと思います。
丁寧な瞑想習慣が大切になると思います。
老化の思い込みを外すのが目的ではありません。
今のテーマは「時間がない」というのをしっかりと体感したいというのがあります。
物理学の本でも、スピリチュアルの本でも、哲学の本でも「時間はない」と書かれております。
頭でわかってもまだ時間の縛りを受けております。
これをできる限り外していく。
これがテーマです。
瞑想にも種類がありますね
瞑想といってもいくつも種類があります。
私はSIQANというただゆるめることに集中する瞑想を推奨しております。
日常的にはこのSIQANを軸に瞑想しております。
今回の朝昼晩は少し呼吸法などの準備をしてから瞑想(SIQAN)していこうと思っております。
これを機にアーサナ、呼吸法、瞑想というのをまとめたクラスも作っております。
様々な思い込みを外していくヨガと瞑想のクラスです。
ミニマルなヨガ体験となることでしょう。
近々、発表できたらと思います。
じゃんじゃん憑き物を外していきましょう。
お楽しみに。
朝昼晩の瞑想はいい感じになっています
朝昼晩の瞑想はすでに少し始めておりまして、改めて瞑想の時間をとるというのは良いものだなと実感しております。
私たちは大きな世界ではつながっていると言われます。
大きな世界というのは魂レベルという言い方でもいいのかもしれませんが、無意識で集合的な意識でつながっていると言われます。
集合的無意識という言い方を私は使ったりしておりますが、この集合的無意識にアクセスしているのが瞑想です。
さらに上の次元(科学で言われる次元とは少し意味が異なりますが)では、宇宙全体の集合意識にもつながります。
そのようなところから情報を持ってきている方もいらっしゃいますし、他宇宙レベルでつながる方もいらっしゃいます。
面白い世界ですので、この探究は終わることはないでしょうが、そういった集合意識につながっている時間が増えると感覚が変わることでしょう。
みんなが一緒なんですから、思考も変わることでしょう。
戦争もなくなるといいですね。(唐突)
瞑想にハマると少し罠がありまして、現実世界が疎かになる人がいます。
現実逃避ではありませんが、私も肉体を度外しして瞑想をしてしまった時期があります。
単純に体調を崩したり、食欲がなくなってしまったり(今も食欲はかなり少ない方ですが)、運動機能が落ちてしまったりします。
日常的に運動習慣をもたれた上で瞑想にも励むとよろしいかと思います。
その運動にはヨガがおすすめではあります。手前味噌ですが。
武道も良さそうですね。筋力トレーニングは少し微妙かもしれませんが。
運動というと鍛えることに重きを置いてしまうこともありますが、それは趣味としては全然かまいませんが、瞑想のためにはヨガなど精神統一していくようなものがいいと思います。
そういった意味では、スポーツでも精神統一するものがありますね、そういうものでしたらいいのかもしれません。
ランニングもひとつの瞑想として使うこともできます。
スポーツとして見過ぎてしまうと記録や勝敗が大事になります。
それはスポーツとしては当たり前のことですが、瞑想としては目的から離れてしまうこともあるかもしれませんので、それもまた練習だと思っていただければと思います。
ということで、朝昼晩の瞑想で時間を超越する体験を増やしていきます。
何か気づいたらまたご報告いたします。
ではでは。