努力をすることで認めてもらえるという体験をした人は多いと思います。
頑張ったり、努力をしたり、一生懸命にやっているということだけで認めてもらえる。
何を頑張っているかではなく、頑張っていることそのものに評価されてしまう状態です。
評価されていることは頑張っていることなので、結果や目的とかは関係がありません。
だから、もっと頑張ることそのものをするという循環になっていきます。
そして、おそらくその循環に入っている人が多いので努力することや頑張ることが正しいと思っている人が多いことでしょう。
ちなみに「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」とヨガの教典でもあるバガヴァッド・ギータには書かれています。
本当のところ、頑張ること自体が目的ではなく、その先に欲しい成果があるのだと思います。
その成果を得ることが「頑張る・努力する・一生懸命にやる」目的だと思います。
頑張ることは手段です。
この手段である頑張ることに翻弄されてしまっていることがありますよね。
だから、そもそも頑張らなくてもいいのではないか、という記事も書いています。
関連記事:頑張らない実践をしてみる、そして結局は最善を尽くすことになっていく【ヨガインストラクター日記ブログ】Kiyoshi vol25
バガヴァッド・ギータに背いているのかもしれませんけど、ギータも嫌なことを無理やりやろうとか目の前にないことを追い求めて頑張れとは書かれていません。
どちらかというと、無心の行為ですから「一生懸命に努力すること」とはかけ離れたものになるかと思います。
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」ということで、頑張ることよりも”ただやる”ということが大事なようです。
努力は簡単に夢を裏切るよ
頑張っても結果がでないことは多々あります。
頑張ることは簡単にあなたの夢を裏切ります。
頑張るということそのものは手段なので、結果ではありません。
結果を保証するものでもありません。
ある意味ではお金の方が全然裏切らないです。
千円出せば、千円分の商品を購入することができますからね。
頑張るはそういう取引とは別です。
教育や成長も取引とは別ですね。
頑張ったから報われるわけではない、というのは肝に命じて置く必要があります。
「頑張ることもいいことでしょ。そういう経験も大事」ということを言われますが自由に頑張っていただいて結構です。(誰に言われているかでかなり状況は変化しますが)
努力についても同じようなことを聞かれます。
「好きで努力をするのはいいでしょ?」ということを。
好きなら自由にして頂いて結構ですが、努力というのは嫌なことをすることに対して使う言葉です。
ですので、好きなことを一生懸命にやっていることは努力と呼びません。
「好きなことをやっているね」というだけです。
努力というのは「嫌なことを頑張っている状態」です。
努力は裏切るということです。
頑張りアピール
多くの人は当たり前のように頑張ると認められると思っていたりします。
だから、頑張りをアピールをする人がいる。
努力したら褒められるなども一緒ですね。
私は断捨離やミニマルな暮らしをおすすめしておりますが、そういったことを周りで実戦されている人たちをみていて気づいたことがあります。
その前に断捨離についてはご存知でしょうか。
目に見える欲望の集積である”物”との関係性を改めていく考え方ですね。
関連記事:「より少ない生き方」を読んで、かなりいい影響を受けてます。「断捨離」「人生がときめく片付けの魔法」「エッセンシャル思考」以来のヒット【より少ない生き方を実験中】
↑直接の断捨離についてはではないですが概要が分かるかと思います。
その断捨離において大切なことのひとつが物を減らすことです。(断捨離の捨にあたるところ)
物を減らすと、目の前で物が減るので成果が目に見えるのです。
少しでも物を手放すと目の前で物が減りますので成果が目に見える。
これが断捨離にハマるキッカケになります。
多くのことは目の前で成果が出ませんよね。
資格取得でも勉強したその日に資格が取得できることもないし、技術が磨かれることもありません。
ヨガの鍛錬なんて、ものすごい時間かけても見た目にも見えなかったりします。
(ましてや、ヨガだとヨガを深めていき身体がとても動けるようになった結果、逆に人からは「ヨガではない。」なんて言われたりしてしまいます。)
でも、断捨離は実践して手放していくと目の前の散らかっている物が減る。
確実に減っていく。
目に見えて減っていく。
すぐに成果として見える。
これは楽しいことです。
ですが、ある種の危険をはらんでいます。
「コーヒー飲めば頭がスッキリする」「スイッチひとつで料理が完成する」「この栄養剤飲んでいれば大丈夫」のようにインスタントに気持ちを上げてくれるツールになってしまうのです。
捨てることで気持ちが高まるので、気持ちが下がっている時に気持ちを上げるために捨てるということにハマってしまうという人もいます。
多くのことは時間がかかるのに、目の前で一つでも成果が見えるのでやった感が強く出てくる、これに依存していく人がいるのです。
当然、部屋やオフィスは片付いた方がいいのですよ。
片付けて整理されて余計な情報がなくなると頭も回転してきますし、ストレスも軽減されるし、それによって気分もよくなり、当然仕事や家事の効率もアップします。
関連記事:片付けをやっているとしっくりくる瞬間がある。片付けることでリソースを解放しよう
だからミニマルへと進んだ方がいいのですけど、鍛錬やヨガや何か大きな目標達成は時間のかかることです。
大きなこと(人生の幸福、難関資格、ヨガ、大きなプロジェクト)に関してはちょっと頑張ったとか、けっこう努力している、毎日やっている、とかいう普通の気持ちではダメなんですね。
だから、そもそもの努力呪縛を手放すといいと思います。
努力してすくに成果が出ることに依存しないですみます。
ヨガものんびり継続していればいいじゃないですかね。
頑張っても認められない方が自然
頑張るということも、ちっとやそっと頑張ったところで認められないのが社会です。
そんな簡単に認められません。
そして、そもそも頑張ること自体が自分が認められることと因果関係がない。
認められることは他のところにあります。
頑張り呪縛から解かれるとよろしいかと思います。
頑張っているのにひどい目に会う、という人もいらっしゃると思います。
実は頑張るってそういうものですよね。
「頑張ってるのに」の「のに」が人を不幸にしていきます。
努力していると言う人は、実は頭の中で不平不満も多かったりします。(だって嫌々やってますから)
頑張ることはうまくいくこともあれば、全く逆の結果になることもあります。
全然、頑張っていない人が報われていたりもします。
「どういうこと?」って感じですが、努力そのものに因果関係がないってことです。
そういうものなのです。
社会というのはそういうようにできています。
また、頑張ることを強要してくる人もいます。
それがあなたの会社の上司だったら更に危ないです。
相手にとってメリットがあり、あなたにとってはデメリットがあるということですから、何か搾取されている可能性もあります。
頑張ってる呪いをとる
だから、「頑張っているのに」の「のに」をやめること。
「のに」が呪いとなってあなたを辛い現実へと引き込みます。
頑張るのは、頑張りたい自分がやっているからです。
「頑張ってるのに」というのはちょっと今調子良くないかもと気づかせてくれる感覚です。
本来は結果なんて気にしないで好きにやればいいのに、ちょっとズレているサインのようなもの。
あなたは好きで頑張っているだけ。
結果は気にしない。
それでいいではないですか。
「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」ということ。
すると、頑張っているのに幸せではないとか余計なことを考えずにすみます。
好きなことなら当然ですが「頑張っているだけでも」幸せになります。
頑張りが足りないという勘違いもする必要がありません。
すでに幸せだからです。
足りないと思ってしまうのは呪いなので、スルーしましょう。
頑張っても頑張らなくてもいいのです。
自由です。
頑張ろう、努力しようと意気込まないでできる「本当にやりたいこと」をやれるといいですね。
終わりに:やりたいことをやっていくだけ
成果を気にしすぎずにやれるといいですね。
やりたいと思ったことを自分なりに一生懸命にやることです。
それで、もっと好きになり極めたいと思ったら、自分の基準を超えて世界基準でやっていけばいいのです。(あなたの心地よさや直観がコンパスとなります)
いくところまで来ることができれば基準値も上がってくるでしょう。
基本的に上達したい場合は基準値を高めておくのがポイントにはなります。
関連記事:ヨガでも「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」というところを目指したいので、私は淡々とゆっくりとやっていきます
それはいったんおいといて好きなことをやっていくといいでしょう。
人生が楽しくなっていきます。
わたしも直観で動いていきます。