ヨガクラス報告:やっぱりアサナは楽しむに限る@六本木

クラス報告

六本木の妙善寺さんでのヨガクラスを開催させて頂きました。いつもありがとうございます。

こちらの報告は少し前の報告になりますが、メモがあったのでアップしますね。

ヨガクラスを通してつくづく思うのは、やっぱりアサナは楽しむに限るということです。

楽しんでこそ上達があるし、楽しむことで最後の大事なシャバアサナでもエネルギーの流れを体験できることにも繋がると思います。

 

ヨガのクラスメニューについて

ヨガのクラスはLIVEだと言っております。

テーマやメニューは考えてクラスを作りますが、フレキシブルにヨガのメニューが変えられるようにしております。

音楽のLIVEでは定番の曲から、新曲まで楽しみですよね。

ヨガクラスも同じように、定番から珍しいアサナまでを楽しめるように選曲しております。

説明も出来る範囲でするようにしてますので、自分にとって刺さるワードがあれば、それを勝手に自分へのメッセージだと思って受け取るのがよろしいかと思います。

「わたしの言っていることを大切に」という意味ではなく、あらゆるものを自分へのメッセージとして受け取るということです。勝手に受け取っていいということです。

 

変なことをいいますが、ヨガクラスを作りこむと人が来なくなる

engawayoga-yokohama-shabaasanaメニューをしっかりときめておいてやると、来る人が少なくなるんです。面白いですよね。

それは、準備段階の話ですよ。準備の段階でいつもメニューやテーマは決めますと書きましたが、なるべく作りこみすぎないようにしています。

なぜなら、それはメニューの固定化によりエネルギーの固定化が起こり人が来にくくなるから、というのは冗談でして、なぜかはわかっておりません。

ヨガクラスというのは作りこむものではない、というメッセージでしょうか。

それなりにメニューは考えて作ってますが、直観も大切にしております。

日々のプラクティスや勉強をして、新しいことを学んだら、それをヨガクラスへ組み込んでいきます。

「これだ!」と思ってやり続けていても「やっぱりこっちだな!」と日々改善です。

そのために、あれやこれやと工夫をしております。

このようにしてヨガクラスを構成していると、生徒さんも楽しいように見受けられます。

遊びを設定しているクラスではなく「今日はこの通りやる」と決めてクラス会場(妙善寺@六本木)にいくと、どうでしょうか。生徒さんの数が減るのです。

面白いですね。関係性を少し探ってみます。

 

ハタヨガプラディピカーの話題とアサナを楽しむこと

ハタヨガプラディーピカーというのはハタヨガについて初めてまとめられた書籍でして、1600年頃に完成されたとされている書物です。

ハタヨガの教典、原点となる本かと思います。

「プラディーピカー」は「灯火」という意味ですね。足元を照らす灯火だそうです。

このハタヨガプラディーピカーを成瀬貴良(なるせきよし)さんが翻訳されました。

サンスクリット語から直接日本語に訳されたということで、読みやすくなっております。

この成瀬貴良(なるせきよし)さんですが、ヨガ業界では有名な方でして、ヨガインストラクターで知らない人はいないぐらいの人です。

なぜなら、こちらのヨガの書籍(いまに生きるインドの叡智)が殆どのティーチャートレーニングクラスで使用されるているからです。

成瀬貴良(なるせきよし)さんがアサナからヨガを始めるのもいい、という話を聞きまして嬉しく思ったのです。

ヨガというのは非常に幅が広いです。

ヨガで成長するための8ステップとなる「ヨガの八支則」をざっくりと学ぶ

スタートを切る際にはアサナから始めるのもいいということですね。

そして、そのアサナは楽しむことが大事、というような旨をおっしゃっていたそうです。

我田引水のような言い回しですが、楽しむというのは、わたしにとって、とても大事なキーワードなので、胸に刺さる思いがありました。

成瀬貴良(なるせきよし)さんについてはまた書きますね。日本のヨガにはなくてはならない人でありますからね。

 

終わりに:メッセージは勝手に受け取る

終わりに、自分に起こることは全てメッセージという話しを少し補足します。

メッセージというのは自分がそれをメッセージだと思わないと成立しません。

全てがメッセージだとしても、それを自分がメッセージだと思うことで、メッセージとして機能します。

掬い取ることが出来るのはいつでも私なのです。

では、メッセージではないものをメッセージとして受けとってしまうこともあるのではないかと思いますね。

でも、メッセージでないものはないのです。

なぜならメッセージだと気づいた時点でメッセージであり、気づかない間はメッセージでないからです。

だから、実際、あなたへのメッセージなのです。全てが。そういうものなのです。

誰がどういう形式で伝達したかではなく、あなたが何を受け取ったか、それが大事なのです。