アドラー心理学をご存知ですか。
オーストラリアの精神科医でアルフレッド・アドラーという方が作った心理学です。
当時、アルフレッド・アドラーは第一次世界大戦に従軍した大勢の負傷者、兵士を診ることになります。
その中でも特に神経症の患者を大勢観察する中で、あることに気づきます。
それは「共同体感覚」という概念です。本書(幸せになる勇気)でも重要なテーマです。
アルフレッド・アドラーは共同体感覚こそが最も大事であると、何よりも重要であると、軍医の経験で発見したと言われております。
前著の嫌われる勇気も面白かったですが、こちらの「幸せになる勇気」も大変に面白かったです。
今回の「幸せになる勇気」でも哲学者と青年の会話形式で話が進みます。
今回の青年はしつこいといいますか、やる気に満ち溢れております。(絶望したはずなのに)
嫌われる勇気も面白かったですが、こちらの幸せになる勇気も面白かったですよ。
いくつかキーワードを拾いながら感じたことを書いていきます。
「共同体感覚を育てる」「自立を援助する」「これから出来ることに目を向ける」などなど、EngawaYogaのコンセプトとの共通点もあり、もっと行動していこうと再度思いました。
分業で世界が成り立っているという話しも興味深いです。
さぁ、世界を踊り楽しもう。
もくじ.
他者の関心事に関心を寄せる
「他者の関心事」に関心を寄せよ。
他の記事でもそうですが、ヨガや仏教などの話しをしていると執着という言葉が出てきます。
執着していると何が辛いって、自分が辛いですよね。
この本でも自己からの執着を離れて、他者に関心を寄せる事が重要だと書かれています。
人は自分自身から解放されないといけません。
自分自身の争いから解放されないといけません。
まずは、あなたから始めることですね。
人からの信頼を得られたければ、まずは自分が他者を信頼しないといけないのですね。
与えることから始まる、これがとても大事に思いました。
与えるといっても何を与えるのか。それは今貢献出来ることをすることです。なんでもいいと思います。
一番簡単でとても大事なのは、他者へ関心を寄せることです。
簡単というのは、始めるのが簡単なだけであり、継続して真摯に関心を寄せ続けることは難しいですが。
他者が何を思い、何を感じ、何をしているのか、関心を寄せるのです。
ここからコミュニケーションも始まります。それを始めるのはもちろん”わたし”からなのです。
書籍の内容をかいつまんで、話しをしていくので真意は伝わらないと思います。しかも私のフィルターを通して書きます。
変な表現になったり、意味が分かりにくいところもあるかもしれませんが、それは原書である「幸せになる勇気」を読んでみてくださいね。
幸せになる勇気では、他者へ関心を寄せる事が「共同体感覚」に到達することで重要だと言っているのです。
この共同体感覚というのが、この書籍全体でも大きなテーマになっています。
人が生きていく上で人間関係が必須ですからね、他者との関わりのために、まずは関心を寄せるということです。
信頼することは無条件である
他者に関心を寄せることは、信頼へと繋がります。信頼は、無条件で他者を信頼することからが始まりです。
他者の力を信じる、他者の成長を信じる、他者の発展を信じる、その人らしく生きられるように気遣うことが信頼です。
無条件ですることが信頼ですね。
これはその通りだなと思いました。
無条件の信頼を出来るか出来ないかというのは問題ではなくて、そのような態度で本気で接することができるか、というのがポイントですね。
「他者の関心事」に関心を寄せるというのが信頼ですね。
書籍の中では、臆病は伝染する、勇気も伝染すると言います。そして尊敬も伝染するのですと。信頼し尊敬を持つことは伝染するのです。
条件付けでの信頼は信頼ではなく、信用だと。
条件付けの信頼は信用なのですから、無条件という言葉は信頼に内包されているのですね。
ビジネスはだから信用になるというわけですかね。
愛というのもそうですよね。そもそもが無条件。条件付けでの愛というのは愛とは呼びません。
エーリッヒ・フロムの名言
エーリヒ・ゼーリヒマン・フロムさんは、ドイツの社会心理学者です。新フロイト派の精神分析学者とも言われています。精神分析、哲学の研究者ですね。
アドラーさんもフロイトさんとは仲が良かったそうですが、フロイトさんの行き過ぎたタナトスやエロスという考え方から離れていったといいます。
フロムさんは、マルクス主義とジークムント・フロイトの精神分析を社会的性格論で結び付けたことから、新フロイト派などと呼ばれるようです。
幸せになる勇気では、何度かフロムの名言が出てきます。
エーリッヒ・フロムの自由と愛をテーマに嫌われる勇気、幸せになる勇気も書かれていると思われます。(たぶん)
「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力である」 エーリッヒ・フロム
尊敬について幸せになる勇気では何度も出てきます。
共同体の維持や運営において尊敬や信頼ということが非常に大事なのですからね。
エーリッヒ・フロムさんの言葉もガツンと来ますね。
その人が唯一無二の存在であることを知る能力、いいですね。
さらにはこちらになります。
「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるように気づかうことである」 エーリッヒ・フロム
その人らしく成長発展していけるように気づかう、ときます。
成長発展を気づかうというのはよくわかります。
教育者だけでなく、共同体に参加するもの全員が必要というのがポイントですよね。
わたしはストレングスファインダーで”成長促進”が強く出ていますので、特に共感してしまう次第です。
「人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである」 エーリッヒ・フロム
今度は愛についてです。
愛する方が難しいという論考が出てきます。
愛されるよりも、真に愛することのほうが難しいと。
それは、愛は無条件だからです。
尊敬や信頼と一緒ですね。
無条件なのです。子供に対して「あなたがいい子だから、あなたを愛している」というのは条件付きですよね。
無条件に愛する、というのはとても勇気のいることなのです。
エーリンヒ・フロムさんの言葉もかなり心に刺さりますね。
こちらの書籍ももう一度チェックしたいと思います。
他者への貢献、貢献感が幸せの源
貢献感という言葉はあまり馴染みがないと思います。
具体的には他者へ関心を寄せることです。結局はこれです。
先ほどの話に通じると思います。
貢献こそ、幸せの源だといいます。
幸せの源泉は人それぞれではありますが、そこには必ず人間関係があります。
人間関係があれば、そこにいろんなことが起こります。
人間関係での幸福は、この私が働きかけて、他者に貢献できたということに発します。
幸福の本質は貢献感であると言い切ります。
具体的な働きかけとしては、自立を促す、自立の為の援助を惜しまない、また、そのための情報を提供するなどですね。
助けるのではなくサポートするというのも大事な考えに感じました。
自立のための決断の援助をする。あくまでもサポート、援助ですね。ここでも課題の分離(誰の課題なのか)がキーワードですね。
目的論の話し
アドラー心理学での特徴として位置づけられていることで、目的論の話しがあります。
原因論ではなく目的で人の行動が生まれるという考え方です。(この書籍でいう原因論は、仏教の因果律や因果応報とは異なる概念に思います。当たり前か。)
「過去にこれがあったから、私はこれをしている」という因果ではなく、「こういう目的があり、私はこれをしている」という流れになります。
過去の出来事は関係ありません。
例えば、「Aさんは、倒立の練習をしていて、思いっきり倒れました。倒れてとても痛かったです。だから、倒立が怖いので、倒立の練習ができなくなってしまいました。」
- 原因論:倒立の練習で倒れて痛かったので、倒立の練習が出来なくなった
- 目的論:倒立の練習で痛い思いをしたくないので、倒立の練習が出来なくなった
これはどちらが正しいとかではなく、意味付けをどう与えるかは自分で決定できるということです。
そして、アドラー心理学では、目的論を採用する方が現実的に対処が出来るといいます。
過去を変えることは難しいけど、目的に着目すれば具体的に手段をこうじることはできるからです。
過去の出来事によって自分を決定するな、ということですね。
今この現在の位置から、今あるものでより良く生きろという感じですかね。
いまここで自己決定して生きることができる存在が私たち人間であると。
力強いですよね。
褒めて伸ばすことを否定する
褒めて伸ばすことを否定しています。
褒めることも叱ることも同等だということも書かれています。
褒めることは、能力のある人が能力の無い人に下す評価である、そのように書かれています。
さらに鋭い事に、褒めることの目的は操作である、とまで言っています。
だから褒めるのではなく、関心を示しなさいと。尊敬をしなさいということです。
褒めること同様に賞罰についても書かれており、この賞罰により競争が生まれ、奪い合いが生まれていくと諭してきます。
わたしは”競争はなくていい派”なのですが、その理由はいたって単純で競争するよりも協力する方が伸びるからです。
個人のパフォーマンスだけでなく、共同体全体のパフォーマンスが上がるのは協力です。
ここで言う、共同体感覚が養えることがそのまま共同体全体へのパフォーマンス向上に役立つと感じました。
EngawaYogaもそのように運営出来ればと思っています。
教育とは自立すること
われわれは分業しないと生きていけない。他者と協力しないと生きていけない。それは「他者を信用しないと生きていけない」ということでもある。
自らが自立することを援助することが教育であると書かれています。
私は、教育することで成熟した大人を社会へ送り出すことが大事に感じます。
成熟した大人というのは、自立した人と捉えてもいいでしょう。
自立とは、自らの保身ではなく他者へ貢献できる人ですよね。
この共同体を存続する為に自らを貢献出来る人です。
自己犠牲ではなく、この社会があるから私が存在しており、この社会は一人一人が力を出し合う事で永続される。この事を理解し、共同体へ”先”に与えることができるのが大人だと思います。
よく言っている贈与ということです。
また、自立とは共同体あっての自立ですよね。
だから、競争原理の働きが強くなり、他者を貶めるような形で表現をするようになると、そこには自立は生まれません。
競争原理が生まれて上下関係が生まれると、上の人に承認されることを希求するようになります。
承認欲求だけで人が行動を始めてしまうこともあるわけですね。怖いですね。
アドラー心理学を時代が求めているのか
以上の考え方ではわかりやすいところもあれば、分かりにくいところもあると思います。
詳細は読んでもらうとしまして、こういった考え方で救われる人が増えているのでしょう。
だから、そういった意味で時代が要請している内容なのでしょう。
わたしたちは働いて、お互いに協力し合って、社会へ貢献して生きています。
働くことは当然のことと認識されています。
ですが、これからの世界はもしかすると、働くということが無くなっていくかもしれません。
食料自給率は世界では余っていますので、飢餓はあとは分配(政治)の問題だけとなっています。
シンギュラリティの日も近い時ですが、パラダイムシフトにさしかかっているのは間違いないでしょう。
「過去などは存在せず、これからどうするかを考えよ」というメッセージは心に響くものがありました。
過去は存在しない、という概念は受けれがたいと思います。過去があるじゃないかと反論されると思いますが、そのこと(過去があるという証拠を示していること)が今沸き起こっているだけなのです。
今の行動が新しい現実を作るのです。
良い本とは、読む前と同じように世界が見えなくなること
それなりに本を読むのでオススメのは本は何かと聞かれることが多くあります。
情報として面白いとかストーリーとして面白いとか、この人がこんな語り口で書いていてギャップが面白いとか、いろんな判断基準があります。
ひとまず、私がいう面白い本とは「読書の前後で世界の見え方が変わってしまう本」というようにしています。
取り急ぎこういう風にしているだけで、別に強要するわけではありませんからね。
わたしが読書に求めているのもそういうことなのだと思います。
だから、例えば「習得の情熱」「タバタ式トレーニング」「逆転」「新瞑想入門」「1Q84」「1984」「コンテンツの秘密」「アップデートする仏教」も凄く面白い本なのです。
読後に見える世界が変わるからです。
目からうろこが落ちるという表現がありますよね。
知識を習得することで見える世界が変わるのではなく、思い込みが落ちることで見える世界が変わるのです。
落ちる、というのが好きなのだと思います。
ヨガのクラスでも生が大事といつも言っておりますが、それは知識を得るではなく思い込みを落として、今まで見えていなかった、曇っていた世界を見えるようになるには、生での体験が重要なのです。
これらのインプットと、そして観念の書き換えから、独自のスタイルを歩んでいくことが大切です。
他人に好かれることや嫌われることは、他者の責任です。他者が決めることですね。
ですから、嫌われようが好かれようが、自分で決断することです。
自分自身でライフスタイルを決めるのです。
終わりに:今回の幸せになる勇気も大変に面白い本でした。
「他者の関心事」に関心を寄せよ。「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解が難しい思想はない」
キーワードをもう一度挙げると「共同体感覚を育てる」「他者を尊敬する」「自立を援助する」「これから出来ることに目を向ける」「怒ること、叱ることは同義である」「課題の分離」などなど沢山あります。
どれも私にとっては響いた言葉であり、生きる上で考えざるを得ないことです。
EngawaYogaのコンセプトにも色濃くでていると思います。特に共同体感覚を育てるというのは。贈与の考え方にも通じるものであり、どのように自らの役割を発揮するのかにも繋がっていきます。
ここまで読んでみると、アドラー心理学をオススメしているようですが、アドラー絶賛ではないのでご注意ください。そもそもアドラーをわかっていませんので、全肯定しているわけではありませんし、アドラー心理学の本も数冊読んだだけです。
それでも、「共同体感覚を育てる」というのはとても共感できる概念です。
わたし自身が弱いところでもあります。弱いつながりではないですが、つながりを大切にしたいと日々思っております。
他者への貢献も、貢献することがそのまま共同体感覚を磨くヒントになります。
それを含めて、二冊合わせて読むと面白いと思います。
与えるものが、与えられるのです。
前著の嫌われる勇気を読まれていない方でも「幸せになる勇気」は読めるようにはなっていますが、やっぱり嫌われる勇気を読んでからの方が理解も進むと思います。
「嫌われる勇気」も「幸せになる勇気」も青年と哲学者の対話で書かれているのですが、それにしても、青年の感情的な振る舞いがサクラみたいに見えてきてしまうのは私だけでしょうか。
後半に進むに連れて、コントのように面白かったです。
ちなみに、嫌われる勇気は韓国では49週連続1位という快挙を成し遂げたみたいです。
韓国でも時代がこの嫌われる勇気を欲しているのですね。