いつもヨガクラスにご参加くださいましてありがとうございます。
2016年2月25日(木)に六本木の妙善寺さんで開催されました、ヨガクラス「BORN TO YOG」の報告になります。
ほんと面白い人が本当にたくさん来て頂いていて、開催する側が勉強になります。
今回は、前にYOG×カポエイラ合宿を一緒にやった清水さんも来てくれました。
何が面白いって、プロと一緒にやれること
私の「BORN TO YOG」クラスの醍醐味は、プロの先生と一緒にやれることです。(毎回いらっしゃるわけではありませんが、結構な確率で一人はいらっしゃいます)
普段、他のヨガスタジオで受けていても、隣にヨガの先生がいることは少ないと思います。
実際に教えてくれているヨガの先生もアサナを少しは見せてくれますが、時間を作って見せてくれることはあまり多くありません。
寺でのヨガクラスでは、そんなヨガの先生がアサナを見せてくれる貴重な時間が続きます。
ピンチャミューラアサナを練習している先生を見るのも面白いものですよね。
わたしも、アサナを見せております。もちろん失敗や出来ないことも晒しています。
失敗を晒すこと
ヨガの先生が失敗を晒すことは大事に思います。
それだけ、生徒の前でチャレンジを見せているからです。
出来ていることだけを見せるというのももちろんありだと思います。
教えられるのは自分がマスターしたものだけである、というのにも頷けます。その通りだと思います。
だから、マスターしたアサナだけ教えるのはありですが、生徒さんはそれを望んでいないと思います。
ヨガに来る方は、とにかく教えてもらいたいし、楽しみたいし、このヨガクラスを味わいたいのです。
一緒になって勉強するというのもありかと思ってます。
多くのヨガインストラクターさんは、ハタヨガの真髄に書かれているアサナを全てマスターしてから教えるわけではありませんからね。
習得した判断と未熟な私
それに習得したと誰が判断するのか。
そうです、私ですよね。未熟な私が判断するのです。
誰もが成長途中であるわけですから、習得を判断することはできません。
どんなに今の自分が完璧と思えても、成長した自分から見れば、やはりそれは未熟なのです。誰もが未熟なのです。
未熟だから何もしないのではなく、未熟な私が現時点での最善を尽くすことしかできないのです。
<参考オススメ書籍:実はものすごくオススメの本です>
インスピレーションを得るための公式や型紙は存在しない。だけど、それを得る自分なりの方法を発見するために辿るべきプロセスならある。
いまここで最善を尽くす
現時点で最善を尽くして、ヨガクラスに望むしかありません。
もちろん程度はありますよ。あまりにも酷い状態でヨガクラスを開催するのは置いといてください。
それでも最善を尽くすしかございません。
ピンチャマユーラアサナでも今出来る範囲で、そして伝えられる限り伝える。それが最善です。
トリコーナアサナやウシュトラアサナ、ハヌマーンアサナ、ウッターナアサナでも同じです。
ハンドスタンドを教えるのでも、一緒になってやっていくのです。
そこから開けるのです。
行動することで、新しい現実が表出してくるのです。
終わりに:他者への関心を育てる
最近の関心ごとですが、他者への関心を持つ、ということに興味を持っています。
私たちは他者に囲まれております。
共同体に所属する限り、そこには必ず他者がいます。
他者を本当の意味で助けることはできません。サポートすることしかできないのです。
援助をすることしかできないのです。
そこに関心があります。
ヨガのクラスでも助けることはできません。
その人が実践して体験したものしか残らないのです。
より良い実践になるように、かけがえのない時間になるように、何かしら前に進める体験になるようにサポートをする、それが最近のテーマです。
これからもヨガクラスや瞑想クラスを開催していきますので、どうぞよろしくお願いします。