瞑想に興味を持って学生の頃から瞑想をしております。
しっかりとやっていた時期もありますし、時間が少ない時期もあります。
ふわふわと瞑想は継続してきました。
ヨガに出会うきっかけは怪我や他の出来事のおかげでしたが、そもそも瞑想を実践していたという流れもあってヨガにも出会っていると思います。
ここの話は置いといて。
瞑想をしていくことで、瞑想状態が体験できます。
瞑想状態にはある種の段階があると思います。
第一段階が「身体がゆるんで意識だけになっている」ような状態になること。
この段階が瞑想状態の最初の段階に思います。
静かな静寂の世界です。
人によってはここの段階で色などが見えたりします。
私はオーラなど見える人間ではないので、本当のところはわかりませんが、この時に見えるオーラは自分のオーラだそうです。
その時の自分のオーラが見えているそうです。
おそらく単色ではなく様々な色がグラデーションになっていることでしょう。
瞑想をどのくらいやっていくとはっきりと体験できるのでしょうか。
他にも守護霊さんに会うとか宇宙を飛んでいくとか、このようになっていくことにはどれだけの時間や練習が必要なのでしょうか。
正直わかりません。
すぐに瞑想の効果を体感する人もいますし、なかなかわからない人もいます。
わかるのが良くて、わからないのがダメということはありません。
人それぞれなことなので、どちらが良いとか悪いとか、すぐにわかるのが良いとか悪いとかもないと思います。
あまり座り慣れていない方は最初にはよくわからないことが多いでしょう。
ヨガや気功や何か身体を感じるようなメソッドをやられている方は案外、最初から何かわかったりするかもしれません。
特殊なケースですと、生活している時から瞑想状態の人がいます。
普段から瞑想状態で過ごしている人は、特別に座っても何も感じないケースもあるそうです。
普段と同じだからです。
すごいことですね。
では、瞑想状態に入っていくにはどうしたらいいでしょうか。
瞑想に入りにくい時の場合を少し考えてみます。
色んなケースはありますが、大元を考えてみます。
それは瞑想を信じていないということ。
現代社会においては無理もありませんが。
「瞑想ってなんなの?」「瞑想ってなんの役に立つの?」「瞑想ってつまんなくね?」みたいに疑っていれば、それは瞑想はやってきません。
ただ座って考え事をしている時間になってしまいます。
そこの大元を信じるために何かエビデンスを用意しても仕方ないので(エビデンスなどない)、信じてもらうしかありません。
「ちょっとやってみるか」というモードに入るには頭のネジを少し外す必要があります。
まずは頭のネジを外すこと。
私は頭のネジが外れてしまっていたので、学生の頃に瞑想をやってみることができました。
大学生の色んな面白いことがあるそんな時に瞑想をやってみようと普通は思いません。
「頭のネジを外すのがポイント」です。
頭のネジを外すことで、人は楽に自由になれます。
そういった精神状態だと瞑想状態にも入りやすいです。
瞑想にも取り組みやすいです。
逆も然りで、瞑想をしていくことで頭のネジが外れてもいきます。
ネジというのは常識、拘り、固定観念などです。
こういったことが外れることで、あなたの望みも叶いやすくなっていきます。
ネジが外れていくことで、自分の生まれてきた役割にも気づいていけます。
目安としては周りの音が全く聞こえなくなるくらい。
そのくらいの瞑想の深さになっていくとかなり地球での常識や雑念が減ってきていると思います。
SIQAN(瞑想)で頭の余計なネジを外してしまいましょう。
終わりに:瞑想の上達について
瞑想は回数、時間、集中度、人数に比例して上達していきます。
上達といっても直線上に上達して何か見えてきたり、何かが起こってくるものではありません。
その人それぞれの体験の積み重ねで、その人に合わせて順繰りと体験が起こります。
大枠としては、はじめは頭の整理整頓、物事の優先順位などが自然とついてくることでしょう。
そして、少しずつ過去や未来や宇宙など意識が広がっていくことでしょう。
過去を見ようとか、宇宙を旅するぞとか、狙おうとするとただの妄想になってしまいます。
リラックスしてゆったりと自然な呼吸で身体をゆるめて瞑想をするだけです。
ではでは。