こんにちは。
EngawaYoga kiyoshiです。
EngawaYogaホームページのトップに一言だけ言葉が書いてあるのはご存知ですか。
この度、そこの文言を変えました。
「清く、身軽に、悪に染まるな」と今はなっております。
前の言葉もしっくりきていたのですが、もう少しわかりやすく表現してみようと思いました。
あなたは、
「清くありますか?」
「身軽ですか?」
「悪に染まっておりませんか?」
いかがでしょうか。
清くあることは大変なことかもしれない
清くあるのは大変なことかもしれませんが、ヨガの目的でもありますのでこの文言を入れました。
きれいにしておくとも言い換えられますが、清いかどうかというのをもう少し重視したかったので「清く」といれました。
強いだけで汚い人とか最悪じゃないですか。
ブラックな企業などに入ってしまった場合はそんな人たちの集まりの可能性はありますよね。
清くないことで周りにいる人が困ってしまう人もいますよね。
けっこう清いって大事に思うのです。
「効率よく自然を破壊するビジネス」という表現があるように、ビジネスでお金や生産性を重視することで地球環境を非常に効率よく破壊していくビジネスが生まれたりします。
稼げるかもしれないけど清くないわけです。
これも最悪なのですが、これと一緒で清くない人が一生懸命に活動すると「汚れ」が増える可能性があるのです。
本人にとっては清いことはどうでもいいので、自分にとって都合の良いことが起こるように動きます。
しかも清いことがなんなのかは理解していたりするので(清いフリをすると儲かったりするから)、外面は良かったりします。
厄介ですね。
そして自分を満たすことには努力しますので、一生懸命に「周りを汚す」ことをするわけです。
困りますね。
「清くないけど正しい」というなんと矛盾した物言いですが、優先順位が清いことよりもお金であったり得することであったり、自分にとって都合の良い方ばかりになっている人は「清くないけど正しい」と自己正当化し始めますのでご注意ください。
身軽さは生きていくうえで苦しみを減らす
身軽さは、人生を生きていくうえで必要なものだと思いまして入れました。
ミニマリズムのような意味合いですが、身軽さというのは気持ちの持ちようもありますので、物と心と両方ともを身軽にできればと思っております。
物を整理するコツは色々とございますが、まずは整理することそのもののスタートを切ることが重要だと思います。
スタートさえ切れればある程度は進んでくれます。
物は減らせば、目に見える形で成果がわかります。
物を整理すれば目の前で、現実が動くので目に見えて成果がわかるのです。(時間差で成果の出るものは計画的に取り組まないといけません)
モチベーションが保ちやすいのです。
物が整理されれば実際に暮らしも身軽になるのも心地いいですしね、モチベーションも保たれやすいです。
スタートを切る時は次の3つがポイントですね。
- 明らかなゴミを捨てる
- 1年使っていない物を捨てる
- 捨てようと思って放置していた物を捨てる
これだけでいいので、やってみると結構変わります。
掃除などの習慣がある人でも意外と溜まっていたりします。
わたしも改めてチェックしてみます。
本当にこれを一旦やるだけで身軽になり変化しますのでオススメです。
悪に染まっている人は悪であることに気づけない
「悪に染まるな」は、現在の世の中は「悪であってもいい」という風潮が強いので、それだと滅びの方向になってしまうので、怖いなぁと思い項目にいれました。
悪に染まっている人はそんなにいないよ、という人もいるかもしれませんが、
何をもって悪に染まっているかというのを判断するのはその人の裁量ではあります。
わたしは世の中が明るくなる方向で動いている人を応援していきたいと思っています。
逆の人たちといると心身が削られてしまいます。
逆の人たちに対して直接的に私が何かする役割でもないのかなとも思っています。
と同時に、そういった悪の人を「良い人、素敵な人」と、評価している人にも何か違和感を感じてしまうわけですが、これもまた行き過ぎだなと思ったりもします。
清い人のフリをすると一緒で、悪もよく良い人のフリをします。
その方が悪を蔓延させやすいですからね。
「競争や争ったり、マウントしてきたり、大事にされないと不機嫌になったり」という人からは距離をおくのがいいですね。
「何かすることよりもまずはやめること」という信条を持ってる身からすると、「悪いと思っていること」をやめることからスタートです。
あなたは邪悪なことはありますか?
そんなこと聞かれても困りますよね。
どんな人でも些細な邪悪さを人は持ってるかと思います。
思い当たるところから直すのがよろしいかと思います。
前に話題に出した「承認欲求」もまた邪悪さの一つです。
関連記事:承認欲求という魔物に取り憑かれるヨギー
そうやって気づけるかどうか。
何が邪悪で、何が邪悪ではないのか。
人それぞれとなります。
そこにセンスが出るわけです。(ヨガにおいては教えがあるのである程度は表記されてますが)
ただ、私たちは「バカ」なんですよ。
いきなりすみません。
自分が理解し判断できるのは、自分の範囲内だけです。
範囲外のことはわからないのです。
分からないことを言ってる人を「この人はバカだ、もしくは説明が下手」と言い、分かりやすく説明してくれる人を「この人は頭がいい、素晴らしい」とまさに「バカな判断」をしてしまうわけです。
私が理解できるかどうかとその人が説明している内容の信憑性や信頼性、そして自分にとって有効かどうかは別物です。
人はそういった残念なことになってる、ということそのものをまずは理解することが大切に思います。
おすすめ書籍:バカと無知
こちらの本、めっちゃ面白いですよ。
終わりに:未来を輝かせる
なんだかんだと仏教が好きです。
仏教にそって言いますと、苦しみの原因は渇愛だと思っています。
欲望をコントロールするのではなく、そもそも無くなっていく方向が良いと思っています。
普通に生活していて無くすのは困難かもしれませんが、ヨガや瞑想の実践でも近づけると思っています。
まずは、欲望の種類を減らすのが良いのかとも思ったりします。
いろんなことを満たしたくて仕方がない人は辛いですよ。
これ以上欲しがって意味がないとか、あってもなくてもいいものは買わなくて大丈夫とか、SNSとかどうでもいいと気づくとか、信頼できる周りの人がとても大切だったとか、そうやって気づいていけるといいですね。
ではでは。