資本主義社会に生きています。
商品を買ったり売ったりして生きています。
なんだか、最近の商品というのは見せかけ感が高いですよね。
見世物なビジネスが増えているように観じます。
どうですかね。
でも、見世物というのは楽しいですね。
なんで見世物が流行るのかというと、自分が傷つかないし、血も出ないし、無かったことにできるし、何も起こらない。
でも、実感のありそうな楽しさは観じられる。
ゲームの世界のように。
だから思う存分に楽しんで消費できる。
素晴らしいことです。
でも私たちは、ゲームの世界に生きたいわけではないですよね。
ゲームの中のバーチャルな世界に入りたいわけではないですね。
そして、入りたくても入れません。そうですね。
いつの間にか人生もゲームのようにリセットできるような気がしている人もいますが、人生のリセットボタンはありません。
間違えたり、何かあれば、自分の力(そして他人の力も借りて)ただ黙々とやり直すだけです。
私はたちは怪我をすれば血が出る世界に行きているわけです。
新しいことが起こる時
いつも言っておりますが、チャレンジなくして新しいことは起こりません。
チャレンジしないのが1番の失敗だという通り、結局は失敗しようが成功しようが、うまくいこうがダメであろうが、やるだけなのです。(参考記事:できないからやるのであって、条件をつけて先延ばしすることが楽しいのではないですよね、なのに逆をやってしまう悲しさ)
やっていくことが人生であり、この地球のルールのようです。
見世物だけのものにハマっている場合ではないわけですね。
傷つかないということは、逆に本当の癒しも解放も起こらない。
疲れがとれたと思えることもあると思います。
空想世界におけるエネルギーは偉大ですからね。
でも、バーチャルはどこまでいってもバーチャルです。
傷つかないだけに、癒しも本物には起こらないことがある。
取れた気がするだけで、芯からの癒しは起こらない。
なんとなく気分がよくなる程度。
解放も同じ。
発散はできるかもしれません、それはただのストレスを発散すること。
そういったことは起こるでしょう。
実際に楽しいですからね。
でも、解放は起こらない。
自分の抱えている芯からの葛藤や悩みの解放は起こらない。
ヨガ哲学によると、この世界はゲーム世界です。
幻想というなの神の遊びの場。
でも、幻想だと誰も思っていない。
幻想だと本当の意味でわかったら、ゲームになってしまい、本当に達成したいことができなくなる。
そんなゲームの世界で、さらにゲーム入り込んでしまうと大変なことになりそうです。
自分というものを見失い、誰の人生を生きているのかわからなくなっていきます。
ではどうするか。
誤魔化しの効かない、このリアルな世界を淡々と生きていくということが必要だと思います。
リアルって楽しいものですよ。
終わりに:1Q84の読み直しが終わりそう
村上春樹さんの1Q84を読み直しております。
ちまちまと読み直しているので、もう1週間以上読んでるかもしれません。
1Q84は発売当時は、村上春樹さんのまとめのような小説だと感じました。
そして、読み直していて今も同じように感じております。
カラマーゾフの兄弟ような群像小説を書きたいということをどこかのインタビューで書かれておりまして、確かにBOOK3まで進んでいきますと、主人公から脇役までの心情からバックグラウンドまで繋がっていき大変にエキサイティングです。
オススメです。
過去に面白かった書籍の読み直しもオススメですね。
次は「騎士団長殺し」を読み直してみます。(また村上春樹かよ)