2016年の夏に世間で言われるヨガインストラクターという職種になりました。
ヨガインストラクターさんとは、ヨガを教える人です。
ヨガインストラクターにもたくさんの種類があります。
誰を対象としているか、どんな流派のヨガを伝えているの、頻度や時間、出どころ(運動系からヨガを教える人、ただ就職した人、お医者さん、ナチュラリストまで)なのかで全然違います。
私は、自分の鍛錬を通して培ったことを伝えたいと思っています。
そういった実践しているヨギーとしてのヨガインストラクターを目指しております。
だから、そのうちヨガインストラクターに見えなくなっていくことでしょう。
当然、書籍や諸先輩から学んでおりますが、その学びを自分の身体へと落とし込んだ状態で伝えたいですね。
ですので、日々の鍛錬が非常に大事です。
みなさんは鍛錬していますでしょうか。
ヨガだけなくても、自分の仕事や趣味でもどんな鍛錬をしておりますでしょうか。
鍛錬しないと上達しませんね、人間とはそのようにできているようです。
鍛錬をすることについて
鍛錬をすることは成長には必須です。
なにもしないでぼぉ〜としていても上達はしません。
ピアノも弾かないで上達はありえませんね。
それと一緒です。
ヨガも鍛錬が必要です。
ヨガの鍛錬は大きく3つあります。
ヨガのポーズ、ヨガのお勉強、瞑想。
ざっくりと、この3つを鍛錬することになると思います。
呼吸法はポーズと瞑想にまたがっているので、その両方で鍛錬することになるでしょう。
ヨガではこれら3つを鍛錬する必要があります。
ヨガというか東洋哲学の思想として大事なことは知識を理解しても、それは本当の意味で理解したことにはならないということです。
お釈迦様の教えの本を読んで暗記して諳んじることができても、お釈迦様の境地に立ったことにはなりませんね。
どんなにヨガのことを知識で知って教えることができても、その境地を体験していないと本当の意味で理解したことにはならないとなるわけです。
自分が「あ、これが真理なのか」と体験しないと、本当に理解したことにはなりません。
だから、実践という鍛錬が必要なわけです。
ヨガのポーズをとり、瞑想をして、毎日この社会を一生懸命に生きる必要があるわけです。
これが鍛錬ですね。
基準値を高く持つ
鍛錬を継続するにあたり、ある程度基準値を高く持つ必要があります。
過度に高いのは大変なのでご注意を。
でも、少し高いぐらいでないと人は怠けてしまいます。
頑張りすぎの人は、高すぎる目標は注意しつつ、手がとどくか届かないか微妙なところがいいでしょう。
ある程度は手が届きそうでないと、そもそも何をしていいのかもわかりませんからね。
基準値を少し高く持ち、その基準値に合わせて練習していく内容を考えます。
それを継続していくのが鍛錬ということです。
基準値と志は高くしましょう。
千日稽古
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」といわれるように、継続がとても大事です。
継続のないところに進化も成長もありません。
千日の稽古はまだまだ荒い状態です。
丹念にやっても千日の稽古ではまだまだ甘い。
練れた身体にはならないんですね。
練習が足りないんですって。
練れた身体になるには、万日の稽古が必要。
成熟していくのには万日だと。
とんでもない数字です。
万日となると急いでも無理ですね。
だから、淡々とやること。
でも、確実にやること。
怠けることなく、毎日を積み重ねることです。
小さいなことの積み重ねですね。
積み重ねるから遠くに行けるのであって、積み重ねないで一気にジャンプしようにも無理があります。
急がずに、でも淡々と各自にやっていきましょう。
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小さなことを習慣化することが万日につながる
小さなことしか習慣化はできません。
細かく細分化したことを習慣化します。
毎日の自主練習を理想は1時間やりたいとしましょう。
実際には1時間やりたいけど、無理な日もあったりしてうまく継続できないとします。
その時には、本当にこれだけは外せないという5分だけのものをやるのです。
5分で意味がある練習ができるのかできないのかが問題ではないのです。
5分を”確実に”やるということで習慣化することがとっても大事なわけです。
1時間の理想の練習は5分のスタートからですね。
5分の自主練習の先に1時間の自主練習があります。
だから、5分を習慣化するのですね。
小さなことしか習慣化はできません。
鍛錬もそうです。
小さな積み重ねを千日、万日とやるのですね。
それをやっていくのです。
遠くに歩き出すのですから、早くにスタートした方がいいです。
全力疾走で走り切るわけではなく、歩いて千日、万日と稽古するのです。
だから、早く歩き始める。
そして毎日歩みを止めない工夫をする。
これが、習慣化であり「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」ことに繋がるのだと思います。
終わりに:生活をコントロールしすぎない
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とする」ができたら、身体が練れてきます。
それに千日の継続だけでも相当いいところに行けると思います。
周りから賞賛の声をもらうこともあるでしょう。
でも、そこは淡々といきましょう。
焦っても遠くまで行けなくなってしまいます。
賞賛は嬉しいでしょうから、有り難く頂いて、またいつも通りの練習をする。
これの繰り返しです。
もっと練習しよう、もっと効率よくやろうと工夫することは大事ですが、コントロールしすぎると疲弊します。
なぜなら、自然の流れはコントロールできないからです。
コントロールをどんどんしようと思うのは周りを敵に回すことにつながります。
「あれもダメ、これもダメ、だから〇〇しよう」という発想になるからです。
そこまでコントロールしようとせず、今の手持ちでやっていく。
あくまでもスタートは手持ちのものをどうしたらうまく使えるかを考える。
ウルトラCのようなことをしようとしないことです。
淡々と確実に歩むことができれば、死ぬ前に鍛錬が完成するのではないでしょうか。