こんにちは、EngawaYogaのKiyoshiです。
原宿や表参道の喧騒から少し離れた静かな空間で、日々ヨガや瞑想をお伝えしながら、「集合的無意識の大掃除」をテーマに自己を探求しています。
今回いただいたテーマは「それでも減らしてから、ときめきを選ぶ」です。
片付けやミニマリズムの話題になると、必ずと言っていいほど「残す基準」についての議論が起こります。結論から申し上げますと、なぜ私たちが「まず減らす(引き算する)」ことを優先すべきかといえば、ノイズが多い状態では、自分が何にときめくのかという本音すら、社会から植え付けられたフェイクになってしまうからです。心身を軽くして初めて、私たちは本質的な喜びを選ぶことができるようになります。
もくじ
世界を席巻したときめきの魔法とミニマリズムの誤解
数年前、「Spark Joy(ときめき)」を基準に片付けを行う日本のメソッドが欧米のメディアで大きく取り上げられ、世界的なブームを巻き起こしました。
それまでの欧米型ミニマリズムは、「管理の手間を減らすために物理的なモノを最小限にする」という機能的で合理的なアプローチが主流だったと言えます。そこに、東洋的な「モノへの感謝」や「心の動き(ときめき)」といった精神性が持ち込まれたことは、非常に画期的な出来事でした。
一方で、情報が広がるにつれて少し極端な誤解も生まれました。
「ときめかないからといって、生活に必要な日用品まで捨ててしまった」「何もない殺風景な部屋を作ることがミニマリズムの正解だ」といった、本質からズレた極端な行動に走る人々が現れたのです。ミニマリズムの本来の目的は、単に所有物をゼロに近づけることではありません。自分にとって本当に必要なもの、心から愛せるものを見極めるための「余白」を作ることにあるはずです。
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記号の消費から抜け出し、本音に気づく
現代の資本主義社会を生きる私たちは、知らず知らずのうちに膨大な情報を浴び続けています。その結果、自分が「好きだ」と思い込んでいるものが、実はメディアや他者の欲望によって作られたフェイクであることは珍しくありません。
高級なブランド品や、SNSで映えるような体験など、他者に自慢できる記号を手に入れることに夢中になってしまう現象を「記号の消費」と呼びます。この状態のまま「ときめくものを選びなさい」と言われても、エゴや見栄に基づいた選択しかできなくなってしまうでしょう。
EngawaYogaが提供している内観のプログラム「JIQAN(ジカン)」でも大切にしているのは、まず自己への深い問いかけを通じて、まとわりついた観念や執着を手放していく作業です。不要なものを削ぎ落としていく過程で、ようやく自分の中心にある「本音」が姿を現してきます。だからこそ、「それでも減らしてから」なのです。
東洋思想に流れる引き算の歴史的背景
このような「減らすことで本質に近づく」というアプローチは、古代から東洋思想の根底に脈々と流れる歴史的な哲学でもあります。
紀元前の中国の思想家、老子が残した『道徳経』には、「学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損す」という有名な一節があります。これは「世俗的な学問や知識は日々足していくものだが、宇宙の真理(道)を修めるには、日々不要な欲や執着を減らしていく(損す)べきだ」という意味を持っています。自我による作為を手放し、大いなる自然の理法に身を委ねる「無為自然(むいしぜん)」の境地ですね。
また、仏教の根本的な教えである「抜苦与楽(ばっくよらく)」にも目を向けてみましょう。これは文字通り「苦しみを抜き、安楽を与える」という意味ですが、安らぎを得るためには、まず苦しみの原因となっている煩悩や執着を引き算することが大前提となります。日本の枯山水や俳句といった文化も、枝葉を徹底的に切り捨てることで、見えない宇宙や深い情景を浮かび上がらせる「引き算の美学」に他なりません。
身体からのアプローチでノイズを手放す
では、具体的にどのようにして自分の中のノイズを減らしていけばよいのでしょうか。
頭の中で「執着を捨てよう」「観念を手放そう」と念じても、人間の思考はすぐに堂々巡りを始めてしまいます。そこで非常に有効なのが、身体から直接アプローチをかける方法です。
私たちが実践している「ENQAN(エンカン)」というアーサナ(ヨガのポーズ)に特化したメソッドでは、逆転や後屈などを含めた怒涛のシークエンスを通じて、徹底的に身体を動かしていきます。限界まで身体を使うことで、無意識に握りしめていた力みや思考のクセが強制的に剥がれ落ちていく感覚を味わえるでしょう。
また、「SIQAN(シカン)」という独自の瞑想法では、重力すら手放すように、温泉に浸かっているような感覚で徹底的に身体を緩めていきます。身体から不要な緊張が引き算されたとき、私たちの心は驚くほど静かでクリアな状態を取り戻すのです。
抽象度を上げて日常のときめきを選ぶ
こうして心身の余白ができ、自己が「軽く」なった状態になって初めて、私たちは本当のときめきを選ぶステージに立ちます。
ヨガの根本経典『ヨーガ・スートラ』に記された八支則(はっしそく:実践のための8つの段階)の中に、「サントーシャ(足るを知る)」という教えがあります。今あるものに満足し、内なる充足感に気づくという知恵です。
心身がクリアになっていれば、「ときめき」の対象は特別なものに限りません。朝の静かな空気、窓から差し込む光、長年使い込んだ手触りの良い器など、日常の些細な風景の中に豊かな喜びを見出すことができます。少し専門的な言い方をすれば、視点の抽象度を高く保つことで、あらゆる出来事が喜びに変わっていくのですね。
世間の正解や流行に振り回されず、まずはご自身の身体と心にある重い荷物をそっと下ろしてみてください。
減らして、減らして、最後に残った静かな空間。そこに自然と立ち現れるものこそが、あなたの人生を真に輝かせる「ときめき」なのだと私は観じています。






