こんにちは、EngawaYogaのKiyoshiです。
原宿や表参道の喧騒から少し離れた場所で、集合的無意識の大掃除をテーマに、ヨガや内観、そして手放すことを追窮しています。
人生というものは、かなりランダムに物事が起こるようにできています。
以前、仏教の根本的な教えである縁起についてお話ししました。
そもそも縁起とは何でしょうか。
それは、すべての現象は原因と条件が相互に関係しあって生じているという、お釈迦様が見抜いた宇宙の法則と言えます。
この東洋思想の視点に立つと、私たちには確固たる自由意志というものはなく、ある意味ですべてが過去からの反応によって決まってしまっていると捉えることができます。
自由意志とは、自らの行動を外部の制約なしに自発的に決定できる能力のことですが、縁起の世界ではすべての存在が網の目のように繋がっているため、完全に独立した意志を持つことは難しいとされているのです。
複雑なドミノ倒しのようにして、行動も生じているから、前のドミノによって意志も生まれてしまっているという感じです。
この話をすると、自分が選んでいるわけではないなんて少し寂しい、と感じる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、もう少し現実の世界を具体的な視点で眺めてみましょう。
自由意志の有無という哲学的な問いとはまた別の次元で、私たちの日常は極めてランダムに、そして予期せぬ形で物事が起こっていませんか。
ほんの些細な出来事が、人生の軌道を劇的に変えることがあります。
たとえば、いつもの帰り道でコンビニに寄るか、寄らないか。
朝、家を1分早く出たことで予定の電車に乗れて遅刻を免れ、その結果として仕事で昇進し、給与も変わり、勤務地まで変わってしまう。
たった一つの小さな行動が、まるで波紋のように広がって未来をまったく違うものにしてしまうのです。
現代は複雑系の社会と呼ばれています。
複雑系とは、多数の要素が互いに影響を与え合い、全体として予測不可能な振る舞いを見せるシステムを指す言葉です。
株価の変動などを熱心に観察し、そこになんとか法則を見出そうとする人は多いのではないでしょうか。
しかし、最終的にはランダムに変化することのほうが圧倒的に多く、そこに絶対は存在しません。
そうやって、私たちは複雑に絡み合った予測不能な世界を生きています。
西洋的な成功哲学や合理主義の歴史を振り返ると、この世界をコントロールしようと試みてきた背景が見えてきます。
すべてを計画し、予測通りに進めることが良きこととされてきた歴史が根底に存在しているのです。
一方で東洋思想、とりわけ仏教の世界観では、世界は思い通りにならないものであるという苦諦の真理から出発します。
コントロールできないものを無理に支配しようとするからこそ、私たちは苦悩を抱えるわけです。
ここで大切になってくるのが、ミニマリズムの思想を取り入れることです。
ミニマリズムとは、単に物理的な物を減らすことだけを意味するわけではありません。
思考や執着、そして世界をコントロールしたいという重たい願いを手放す生き方です。
増やすのではなく、削ぎ落としていく。
作為的なものを手放し、抜苦与楽の精神で身軽になることで、本来の生命力を取り戻すことができます。
人生がランダムであるならば、その予測不能な社会をどう生きればよいのでしょうか。
一つの答えは、ランダムな社会を楽しもうと諦めることです。
日本語のあきらめるの語源は、真理を明らかにするという言葉から来ていると言われています。
物事の実態を明らかに見つめ、どうにもならない執着を手放すこと。
すべてを自分でコントロールしようとするのをやめた途端に、なんか知らんけどうまくいったりするものです。
これが、ランダムな世界の最高に面白いところと言えるでしょう。
すべてが緻密に決まった予定調和の人生は、安心感がある一方で少し退屈かもしれません。
次に何が起こるかわからないからこそ、偶然の出会いや予期せぬ出来事が光り輝きます。
縁起という巨大な繋がりの中で、私たちは常に変化し、揺れ動く存在です。
だからこそ、肩の力を抜いて、今ここにある現象をただ味わうことが重要になってきます。
自由意志があるかどうかの議論を超えて、目の前に現れるランダムな波にただ乗ってみる。
日常の重荷を下ろして、どこまでも軽い自己へ向かっていく。
あなたの今日という一日も、ランダムな奇跡の連続で成り立っています。
予想外の出来事に出会ったら、これも縁起の波紋だなと微笑んでみてください。
きっと、少しだけ人生の風通しが良くなるはずです。
それでは、また。




