睡眠不足でも習慣にできる瞑想法〜前編〜【ヨガインストラクター日記】Lala vol7

縁側日記

みなさん瞑想していますか。

私はたまにしています。

たまにって何だよ、習慣になってないじゃないかって思いましたよね。

いいんです。

たまにだっていいんです。

たまにでもやっておく、たまにでもやめないというのが大事なんですから。

 

シャバーサナと瞑想は同じようなものだと思っていた

瞑想って何をきっかけに始める人が多いんでしょうか。

人のことは人に聞いてみないと分かりませんが。

私が瞑想を始めたのは、「瞑想って何だかよく分からないけど、何となく良さそうな気がする」と思ったのがきっかけです。

元々私がBORN TO YOGを教わっていたKiyoshiが超瞑想家ということもあって、クラス中によく瞑想の話をしてくれていました。

初めは瞑想という言葉も耳馴染みのない言葉だったので、結構スルーしていることが多かったので、瞑想はシャバーサナと同じようなものなのかと思っていました。

とにかく瞑想は私には関係のない世界の話だなーとなんとなく考えていました。

そして、瞑想とシャバーサナが同じようなものだと思っていたので、勝手に瞑想とは寝てしまうものだと最初は思っていました。

その後、シャバーサナと瞑想は全くの別物だということ。

シャバーサナは寝るためのものではないということを学びました。

どれだけヨガと瞑想にど素人だったかってことですね。

いいんです、最初なんてみんなそんなもんかなと思います。

 

シャバーサナはシャバーサナ、瞑想は瞑想ということ

全くと言っていいほど興味のなかった瞑想をやってみようと思ったきっかけになったのが、ある言葉でした。

「シャバーサナはシャバーサナです。寝るとシャバーサナは違います。

でも疲れていたり寝不足の人が、結果寝てしまうのはしょうがない、そちらを優先して下さい。

シャバーサナは、シャバーサナをやる。と決めてからやってみて下さい。」

それを聞くまで私はシャバーサナの時には100%寝ていました。

BTYで動きまくった後に全身は脱力、思考は勝手に停止、緩めまくって寝に入るということをしていました。

シャバーサナのことは寝るためのものと思っていたくらい。

それが、シャバーサナと寝るは違う。

シャバーサナはやると決めてやる。と言われて、何かが自分の中でつながった感じがしたのを覚えています。

それを聞いてから、もちろん意識をしてシャバーサナをすることで寝ることは無くなりました。

それどころか、シャバーサナで寝ていない方が頭はクリアでありながらも体は脱力して緩んだ状態、終わってみると体がすっきりして何となくエネルギーが充電されているような感じがしました。

シャバーサナ中に寝ていた時は、起きた時にはまだ疲れを引きずったままのけだるい感じがしていました。

起きているのに元気になるって、何だかとても不思議な感じでした。

シャバーサナも大切で意味のあるアサナの一つなんだと気付かされました。

そこで思ったんです。

シャバーサナと瞑想が同じだと思っていたけど、どうやらそんなこともなさそうだと。

何か分からないけど、瞑想も何となく良さそうな気がしてきたぞと。

 

初めての瞑想

初めての瞑想会は4年前くらいだったでしょうか。

今でも初めての瞑想会の事はとても鮮明に覚えています。

Kiyoshiと本物のお坊さんである阿里坊主の阿字観瞑想会というものに参加しました。

阿字観瞑想と聞いても何のことかさっぱり分からないまま、それでいて調べることもしないままに参加してみました。

全くの初めてのことだったので言われるがままにゆるっと座りました。

瞑想は緊張してやるものではないですが、こんなにもゆるっとした雰囲気で何もないままにやるのかという印象でした。

勝手な印象で、堅いイメージがありました。

座り方や手を置く位置などが決まっていて、間違うと長い木の板で肩ベーンッてされるのかな、というベタなことは一切なく、やった事は月の掛軸みたいなのを見させられ、本当にただただ普通に座るだけでした。

瞑想が終わった後にはみんなで感想のシェアの時間がありました。

周りの人の言っていることがまったく意味分からず、瞑想状態というものも分からず、ただ座ってるだけだし、話している人の事を何となくただポカーンとそんな世界もあるもんなんだなーと聞いていました。

初めて座ってみての私の感想ですが、次から次に頭にいろんなことが浮かんできてはマズいマズい消さなきゃ消さなきゃと考え続けていたという、なかなかに耐え難い時間でした。

ただ座って、ただ目を閉じて、時間が経つのを感じていただけでした。

今でも瞑想の素人で初心者だと思っていますが、初めての瞑想会のことを振り返ると、何だか微笑ましく思います。

そりゃそーだ、瞑想のことなんてなんにも知らないで生きてきたんだもの、瞑想そのものが何かなんて一回座っただけで分かるわけないですよね。

今現在まで何度となく座ってますが、この初めての瞑想ほど覚えている時はないかもしれません。

そこまで何か強く大きな衝撃を受けたわけではありませんが、何ででしょう。

不思議ですね。

 

なぜ瞑想に惹かれるのか

初めての瞑想は何事もなくさらっと終わっていきましたが、瞑想会を開催してくれたKiyoshiと本物のお坊さんの言うことはとてもすんなり心に届きました。

次から次に頭に浮かんでくることを握らず、ただ手放していく。

手放すという感覚は分からなかったですが、あぁ、頭の中に次から次に色んなことが浮かんできても良いんだと素直に思えました。

瞑想を始めた頃は、その出てきた考えを手放すということはなかなかできなかったですが、瞑想を繰り返しやっていく中でだんだんとその感覚が分かるようになってきました。

止めることの難しさ。

無いものを手に入れるのも難しいですが、あるものを無いものに、手放していくというのは思っているよりも難しいものだと思いました。

この感覚が分かるようになっただけでも瞑想していて良かったなと思います。

この手放す感覚が分かるようになってくると、瞑想だけではなくヨガや普段の生活の中でも活かせることが分かってきました。

ヨガにおいては、できないポーズをできないできないと執着し過ぎない。

そしてただがむしゃらに練習もし過ぎない。

人と比べ過ぎない。

何事も感情というのは勝手に出てきてしまうものです。

止められないものです。

その出てきてしまった感情を、出てきたと観察して、握らない。

出てきてしまったものはしょうがないです。

出てきてしまったものを、ただ観るのです。

自分から出てきたんだなと。今自分はこう思っているんだなと。

観て、その感情を握らない。掴まない。

流すだけです。

言うのは簡単、やるのは難しいですが、私は少しづつですができるようになってきました。

今まではそんな考え方すらしてこなかったし、できるとも思っていませんでした。

これは瞑想のおけげだと思っています。

そして、この手放す感覚は、特別にそうしようとしていなくてもただ瞑想することを続けていただけで身についたものだと思っています。

私の中でのこの新しい感覚だったり、自分の内観であったり、心の落ち着く場所のありかであったりが身についたのは、瞑想のおかげかなと思っています。

何だかよく分からず始めた瞑想によって、何だかよく分からないけど良いことが増えてきた様な気がします。

ただ座っている事を続けているだけなのに、自分の生活が徐々にだけど確かに変わってきているのが分かる。

それが何故だかはっきりとは言葉にできないのですが、言葉にできないからこそ、瞑想に惹かれるのかなと思います。

 

終わりに:瞑想法をちっとも語っていないじゃないか

タイトルに挙げた「睡眠不足の人でも習慣にできる瞑想法」ですが、書いているうちにやはり瞑想法をただ書いても意味が分からないのかなと思いました。

私がどういう経緯で瞑想に出会い、感じたかをシェアしたいと思いました。

瞑想はまだまだ初心者ですが、初心者なりに思う事や感じる事はあります。

何だかよく分からずに始めた瞑想、始めは頭の中が考え事で埋め尽くされ、払拭しようと眉間に皺が寄っていた事もありました。

そんな事を続けていった先には自分では思ってもみなかった体験や感覚が待っていました。

そしてこの先にも何かが起こりそうな確かな感覚があるのが分かります。

瞑想に大きな可能性を感じざるを得ないのです。

そして、瞑想も続けていかなければ何も得られないと思います。

私は何かを得ようと瞑想を始めたわけではないですが、何事も継続していかなければもったいない事になるのかなと思います。

続けるからこそ見えるものも見えないものもあると信じているからです。

信じたいですね。

後編ではいよいよ睡眠不足の人でも習慣にできる瞑想法を書きたいと思います。

お読みいただきありがとうございます。

 



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Kiyoshiクレイジーヨギー
*EngawaYoga主宰* 2012年にヨガに出会い、そしてヨガを教え始める。 瞑想は20歳の頃に波動の法則の影響を受け瞑想を継続している。 東洋思想、瞑想、科学などカオスの種を撒きながらEngawaYogaを運営し、ENQAN(ヨガ)、JIQAN(内観)、瞑想指導にあたっている。SIQANという日本一簡単な緩める瞑想も考案。2020年に雑誌PENに紹介される。 「集合的無意識の大掃除」を主眼に調和した未来へ活動中。