食事というのは人にとってとても根源的な営みに感じます。
みなさんも食事を友人や親しい人と、そして色んな人とすることがあると思います。
食事をして、この人だと美味しく感じられる人、この人とだと美味しく感じられない人といます。
美味しく感じられる人が友人や親しい人になっていきます。
美味しく感じられない人とは一緒にいれなくなったり、何だかおかしく感じたりし始めます。
頭では素敵な人だと思っていても、心ではすごい人だと思っても、興味がある人であったとしても、ご飯が美味しく感じられないのならそれは一緒にいれません。(無理に一緒にいると、少しずつ病んでいくかもしれません)
食事は人にとってとても根源的な営みであり、とてもフィジカルなものだからです。
誰と食事に行く?
親しい関係になる前にも人同士は必ず食事に行くと思います。
なんで行くのか。
それは、ご飯が美味しいかどうかを身体で感じるためです。
お店選びとかの問題ではありません。
食事を共にした時の、身体の反応の問題です。
変な店に連れて行くというのは論外として、どんな店でもこの人だと「なんだか美味しく食べれる」というのは相性を見るのにも非常に有効です。
素敵なお店でも、ご飯自体は美味しいはずなのに「なんだか、美味しく食べれていない」というのもあります。
楽しくおしゃべりできても、ご飯が美味しくなければそれはやめたほうがいい。
人と人が親密になっていく土台はフィジカルなものだからです。
そのフィジカルなものは食事でわかるのです。
楽しいことも大切だけど
楽しいというのは一つ大切なことです。
でも、人と人が一緒にいることは、生きる力を高めるためでもあります。
楽しいというのは生きる力が高まることの一つでしょう。
楽しいだけでもダメですね。
美味しくご飯が食べれるのは生きる力をとても高めます。
食事は必要です。
そして、ご飯が美味しく食べれるとその人の魅力を高めます。
一緒にいることで生きる力が高まらないのなら、一緒にはいないほうがいい。(ちょっと極端ですけど)
その人自身が人と一緒にいないとダメだとかいう、本人の弱さとか強さという話でもないです。
一人でも生きられるのが強いわけでもないし、一人で生きられないのが弱いわけでもない。
ただ、この人と一緒にいると幸せになれると感じられることが生きる力が高まることなのです。
ご飯は誰と食べるか
結局はご飯は誰と食べるかになると思います。
仮に美味しくないお店に行っても、相性の良い人とはそれはそれで楽しめるのです。
誰とというのが大事です。
旅行は究極は誰と行くかですよね。
若い頃と言いますか、時期として旅行の場所が非常に大事なこともあります。
誰とよりも何を食べるかが大切な時期もあるのかもしれません。
でも、本質的には食事は人と人との関係性のためのものになっていくので、誰と食べるかが大事になるのではないでしょうか。
終わりに:フィジカルな感覚が薄れていないか
BORN TO YOGというヨガのスタイルを教えています。
ヨガ全般に言えますが、ヨガはフィジカルも大事にします。
それは、フィジカルでしか感じ取れない情報がたくさんあるからです。
電車に乗ったら体がざわつくなんて完全にフィジカルです。
この人に会うと、体が軽くなるとか。
そういったこともあります。
フィジカルな感覚というのは育てないと、いつの間にか鈍感になります。
「なんでそんな人に騙されたの?」という人を見ます。
その人は論理的なことを言ったり、少し夢を見させてくれるような感情的なことを言ったりします。
実際には身体は拒否反応をしているはずなのです。
それに気づけていない。
フィジカルをおざなりにすると生きる力も衰えます。
BORN TO YOGやヨガというのはそういったフィジカルな面からも生きる力を鍛えてくれるのだと思います。
フィジカルな感覚育てていくといいと思います。
あなたは、誰と食事をすると美味しいですか?