瞑想を推奨しております。
それは、瞑想が単に心を落ち着けるだけでなく、私たちが「カルマ(業)」という人生の法則に気づき、その流れを健やかに整えていくための、静かなる技術だからです。
「因果応報」という言葉を聞くと、少し怖いイメージを持つ方もいるかもしれません。
悪いことをしたら罰が当たる、というような。
しかし、ヨガの教えにおけるカルマの法則は、懲罰的なものではなく、もっと物理学的で、中立的な宇宙のシステムのことを指します。
今日は、瞑想習慣がもたらすこの「因果」の理解と、それが現代社会を生きる私たちにどのような自由をもたらすのかについて、少し深くお話ししてみたいと思います。
投げたボールは、必ず帰ってくる
ヨガの世界観では、この宇宙を巨大な反響版のようなものとして捉えます。
あなたが放った思考、言葉、行動というエネルギーは、波紋のように広がり、やがて何らかの形をとって、必ずあなたのもとへと還ってきます。
これがカルマ(行為)とその果実(結果)の法則です。
現代社会では、私たちはあまりにも多くのボールを無自覚に投げ続けています。
SNSでの匿名の批判、心の中での他者へのジャッジ、環境への無配慮な消費、自分自身への否定的な言葉。
「誰も見ていないから大丈夫」「心の中で思っただけだから関係ない」
そう思うかもしれません。
しかし、宇宙に「投げ捨て」は存在しません。
放たれたネガティブなエネルギーは、即座にではないかもしれませんが、時間差を持って、人間関係のトラブルや、原因不明の体調不良、あるいは漠然とした不安感として、ブーメランのように私たちの元へ戻ってくるのです。
瞑想は「種」を見つける作業
では、どうすればこの連鎖から抜け出せるのでしょうか。
そこで瞑想の出番です。
瞑想とは、日々忙しく動き回っている手を止め、静かに「原因の種」を見つめる時間です。
私たちは普段、「結果」ばかりに目を奪われます。
「なぜ私ばかりこんな目に遭うのか」「なぜあの人は成功しているのか」。
しかし、静寂の中で内観を深めていくと、その「結果」を引き寄せた「原因」が、実は自分自身の過去の微細な心の動きにあったことに気づき始めます。
「ああ、あの時の焦りが、このミスを生んだのだな」
「あの人への苦手意識は、私の中の劣等感が投影されたものだったのか」
瞑想習慣を持つと、この「原因と結果の結びつき」に対する感度が飛躍的に高まります。
これを「気づき(サティ)」と言います。
気づくことができれば、私たちは自動的な反応を止め、新しい選択をすることができます。
つまり、未来に撒く種の種類を変えることができるのです。
「良いこと」もまた、帰ってくる
因果応報は、悪いことだけに働くわけではありません。
むしろ、ポジティブな循環を作るためにこそ、この法則を使っていただきたいのです。
誰かの幸せを心から祈ること。
見返りを求めずに、小さな親切を行うこと(カルマ・ヨガ)。
自分の身体や環境に感謝すること。
瞑想の中で、こうした純粋で温かい意図(サンカルパ)を放つとき、それは強力なプラスのカルマとなって宇宙に刻まれます。
スピリチュアルな視点で言えば、瞑想中に愛や感謝の波動に共鳴することは、高次のエネルギーを引き寄せる磁石のような役割を果たします。
不思議と良いご縁に恵まれたり、必要なタイミングで助けが入ったりする「シンクロニシティ」が増えるのは、あなたが放った美しい波動が、美しい現実として還ってきている証拠なのです。
現代社会の「切り離された感覚」を癒やす
現代社会の大きな問題点の一つは、この「つながり(因果)」が見えにくくなっていることです。
スーパーに並ぶ肉がどのような過程を経てきたかを知らず、クリック一つで届く商品が誰の労働によって支えられているかを想像しない。
自分と世界が切り離されているという錯覚が、無責任な行動や、孤独感を生み出しています。
瞑想は、この分断された感覚を溶かし、「すべては繋がっている」という全体性(ワンネス)へと私たちを還してくれます。
自分が世界の一部であり、世界もまた自分の一部であると体感できたとき、私たちは自分を傷つけるように他者を傷つけることができなくなります。
そして、他者を喜ばせることが、そのまま自分の喜びになるという、愛の循環の中に生き始めます。
ただ、静かに種を撒く
すぐに結果が出なくても、焦ることはありません。
ヨガは「結果に執着せず、ただ行為せよ」と説きます。
種を撒いてすぐに芽が出ないからといって、土を掘り返してはいけません。
太陽と水(日々の実践と信頼)を与え続けていれば、然るべき時に、然るべき花が必ず咲きます。
毎日の瞑想は、あなたの心の庭に、静寂と平和という種を撒く行為です。
その種は、やがてあなたの人生全体を覆うような、大きな木陰となるでしょう。
そこで休むのは、あなた自身だけでなく、あなたの周りの大切な人たちでもあります。
良い因果も、悪い因果も、すべては学びのためのギフトです。
恐れることなく、しかし謙虚に、今日という一日に丁寧に向き合っていく。
そんな生き方の練習を、この縁側で共に続けていきましょう。
ではまた。


