手っ取り早くヨガの上達を求めると、手っ取り早く教えてくれるところに行き、手っ取り早く騙される

YOGA&BODY-ヨガと身体

どうしても人は手っ取り早く学びたくなる生き物です。

効率よくやりたいものですよね。

無駄な時間はかけたくないですし、私もそういうところはあります。

ですが、皆さんもご存知の通りで本来の学びは時間のかかることも多々あるのです。

ものによってはすぐにできることもありますよ。

でも、習得に一定の時間や密度が必要なことがありますよね。

そこを「手っ取り早く習得できます」と謳っている団体があるなら、多くがビジネスか”小さな嘘”に感じます。

もちろん全部が全部ビジネスではないので、自分で観じてみるしかないんですけど。

おかしいことも沢山あるので注意が必要です。本当に。

小さな嘘は危険だという参考記事:自分に呪いをかけないこと、ヨガではその呪いが融けやすく感じる

 

青い鳥を探すジプシーにならないように

ヨガや習い事、仕事のスキルなど時間のかかることは沢山あります。

当然、量と頻度と質を短期に上げることで時間を短縮して習得している人もいます。

確かにいますが、そういったすごい人は量と頻度と質をものすごく高めています。

密度をものすごく濃くしてることで、本来は時間のかかることを手早く習得しているように見えるのです。

厄介なのは、時間をかけて習得しないといけないことほど「他に方法があるのではないか」「私の知らない真実があるのではないか」「簡単に教えてくれるところがあるのではないか」と思って、一気に簡単に手早くできることを探し始めます。

そして、一気に簡単に手早く、青い鳥を探すジプシーになるのです。

特にヨガの習得においては、そんな簡単ではないですよ。

一生かけたってどうなるか分からないものなのですから。

そういうものなので仕方ありません。

短期にとれる資格もありますが、その多くは「楽しい」ものに思います。

「こんなにしんどいとは思わなかった」というレベルでやらされることも少ないです。

楽しいだけでヨガの習得はできませんよ。(そう思っていると、本当の楽しい鉱石が見つかります)

1万時間の法則というのがありましたが、1万時間の練習量って入社3年目です。

本当の練習ってもっと長いものに感じます。

だからヨガにおいて「この資格をとればやっていけますよ」という資格というのはほぼありません。

「これを覚えたから先生になれますよ」というのはヨガの先生ではないことについて言っているのだと思います。

 

それなりな分野やそれなりな道においてウルトラCはまずない

ウルトラCのようなノウハウを求めてしまうことがあります。

一生懸命にやることだけではなく、工夫次第でいくらでも早くに学べて、早くに成長できることもありますもんね。

ノウハウで片がつくことは、ウルトラCのようにさっさとできるようになることはあるでしょう。

実際に、EngawaYogaスタジオに通ってくださっている方々では、ハンドスタンドとかは一定の練習を繰り返せばできるようになっていっています。

知識がなかったり、何も知らない業界なら自分の知らないところにウルトラCがあるかもしれませんが、それウルトラCではなく、ただ知らなかったことを知っただけです。

ウルトラCに似たようなものはあるのかもしれません。まぁ実際はあったとしても、レベル3を一気にレベル8ぐらいまで上げてくれるだけで、戦力になれるのはレベル20からみたいな世界です。

結局、鍛錬して経験して実践を積み重ねないと意味がないのです。

ウルトラCはありません。

その方がスッキリしませんか。

参考記事:倒立(ハンドスタンド)の練習方法とやり方(写真多め)

 

大丈夫という前提のうえで練習を積み重ねる

心技体を整えていくには実践が不可欠です。

一定の量をやるから身につくものがあります。

時間も大事です。

例えばヨガの練習を1週間に1度の練習とはいえ10年続けていくと、それは生活にも根ざしたヨガになっていることでしょう。

練習が多い日、少ない日、できない日などなど色々とあってもぶれることなく日々をヨガ的に生活できると感じます。

このような時間と頻度を安定させた鍛錬がとても大事に思います。

培っていくことで身についていくものだと思うからです。

集中する時期、少しの時間しか取れない時期、うまくできない時期、楽しくて仕方がない時期、色んな時期を通して人は味が出てくるのだと思います。

「易きになじまず難きにつく」という基本的な実践が必要ですね。

 

終わりに:練習できるところに行こう

練習できる場所ってとても大事に思います。

大人になったら習い事をすることを推奨している方がいますが、私も賛成です。

それは怒られる場になるからです。

そう、怒られる場です。

びっくりしましたか。

怒られるというと大げさかもしれませんが練習できる場所に行くことで「叱られる」とか「うまくいかない」とか、「どうしていいのかわからない」みたいな場を持つことができるからです。

仕事の場で、どうしていいのかわからなくなってしまい大きなミスをすると実社会的には大変です。

習い事なら大丈夫です。

「もう一回やりましょう」「もっと練習しましょう」なのか、「ダメだ、こら!」で叱られて終わりです。

もちろん落ち込むことはあるかもしれませんが、それだけです。

それだけなのですが、習い事でもものすごく緊張を強いられることもあると思います。

でも、変な言い方ですが習い事って意味がないんですよ。

面白いですよね。

習い事そのものに意味があるのではなく、習い事をしていることに意味があるのです。

緊張を強いられてたり、学びの型を身につけたり、所作を怒られたり、自分のまだ見に才能に気づいたり、そういうことを実社会のために学んでる場なのですね。

だから、大人になっての習い事はとてもいいと思います。

 

おまけ:ヨガ業界で騙されないためのオススメ本「下流志向:内田樹」

 

自ら学ぶことで上流へといこうとするのではなく、自らが学ばないことと周りも一緒に落とすことで下流へと向かおうという人が増えていることについての本です。

ヨガの練習で言えば、毎日3時間練習している人がいて、その人よりもうまくなりたいと思ったら最低でも3時間必要であり、それ以上に工夫や勉強が必要ですね。ここではわかりやすく数字で書いていますが実際はもっと複雑です。

「じゃあ、3時間練習してさらに瞑想も30分して、バガヴァッドギータを毎月1回読んでノートに学びを書こう」とやれますか。

普通はこういう風により練習できる準備をやりますよね。

単純に自分が目指している先輩や仲間がいるならば、その人に追いつきたいとかその人が見えている世界を私も感じたいと思うなら、その人たち以上の練習が必要です。

競争がいいとか悪いの話とは別の話で、そういうものです。

だから、上に書いたぐらいの練習はするわけです。

これを下流志向な社会になるとどうなるか。

3時間の練習をしないように仕向けるのです。

「たくさんやっても集中できていないと意味がない」「時間が大事なわけではない」「アサナの練習ばかりではヨガをわかっていない」「バガヴァッドギータをただ読んでてもわからないよ」とかとか言い始めます。

一部ではそういうことも真実かもしれません。

そうすると聞いた人は「確かにそういうところもあるな」と思って素直に時間を減らしたりする人もいることでしょう。

でもね、毎日10時間練習しているわけではないですし、そもそも多くの人は”練習時間”も”学びの時間”も”自主的に鍛錬する時間”も少ないはずです。

それをさらに減らす方向に仕向けるというのは、上達させないために仕向けているということです。

間違いありません。

より学ばない人を作ろうとしてしまうのです。

自分がたくさん勉強するよりも、周りが勉強しなくなる方が相対的には同じ立ち位置に自分を置くことができますから、効率の良いと思われる周りが勉強がしなくなる方に仕向けるというのを選択する人が増えているのです。

こういったことをしてしまうのは消費者マインドの浸透にあるとこの本「」では書いてあります。

損する立場に自分を置き得をもらおうとするのかなど、興味深い論考もたくさんあります。

必読ですね。

読んでみてください。

ヨガをやっているなら絶対読んだ方がいいですよ。

ヨガ業界での下流志向もなかなかなもんですから。