思いがスタートとなり世界を作り上げている

自己探求

私たちは思いで世界を作っています。

思いで世界が作られております。

この世界は脳の中だという人もいます。

そうなると今見ている世界が本物の脳のなかであって、今見ている脳は本物の脳が見せている比喩としての脳になりますけどね。

今見えている脳はすでに”本物の脳”の中にあることになりますから。

”本物の脳”が本物の脳を完全再現した脳をこの今見えている世界(本物の脳に見させられている世界)に作り出すとは思えないからです。

思えないだけで、ありえますけど。

ということで、話を戻しまして。

私たちの思いで世界が作られています。

 

心の中

人間は心の中でいろんなことを思っています。

あれやこれやと思っています。

落ち込んだり、気分が上がったりも思いの作用です。

この思いがこの世界のスタートであり、目の前に広がる存在のスタートです。

思うからそこに存在し始めます。

思うことから始まります。

思うことからスタートします。

思うことで存在が現れてきます。

思うことで世界を作り出しています。

思わないものはありません。

どこにも生じません。

その名を呼ぶこともできず、認識することもできない。

思うことがスタートです。

 

どんな思いを持っていますか?

あなたは、どんな思いを持っているでしょうか。

人は蒔いた種からできたものを収穫します。

あなたは、何を蒔いていますか。

その種というのは、思いのことです。

どんな思いを蒔いていますか。

その蒔いた思いで収穫するものが決まります。

未来を作るのもこの思いです。

今収穫しているものというのは、目の前に広がる世界です。

過去に蒔いた思いという種の実が今になります。

蒔いた思いを今現在に収穫しているのです。

だから、どんな思いを持っているかが大切になるのです。

 

人生は自分で作っている

人生もあなたの思いが作っています。

こんな思いがあるから、こんな人生になっています。

あんな思いがあるから、あんな人生になっています。

そんな思いがあるから、そんな人生になっています。

強い思いは現実化するのも強いです。

弱い思いは現実化するのも弱いです。

恐怖心とかは基本的に強いですね。

だから、恐怖心がある人はそういった恐怖が起こることが多くなるのです。

「やっぱりそうなった」という現象です。

そこの思いを変えてしまえば、出会う現実が変わります。

強い思いを念としましょう。

念ずるなんて言い方もあります。

その念ですね。

ただの思いから念のレベルまで昇華されたものは現実化も起こる可能性が高まります。

どうでしょうかね。

念レベルの思いを持っていますか。

 

念レベルで思いが現実化

念レベルの思いになると現実化が強まります。

それが本気で決心して思っていることになります。

念レベルことは、頭で思っているだけではありません。

胸で感じているレベルのことでもありません。

ハラで決めてしまっているレベルのことになります。

ハラは丹田などと呼ばれるところでもありますね。

この丹田レベルまで落とし込んだ思いは念になり、強い力を持ちます。

ひとつの生命のような存在になります。

そこまでの強い思いは必ずや実現することでしょう。

念レベルまで自分の思いをもっていけているでしょうか。

身体を使っていない人は、フィジカルな感覚で自分の思いがどこにあるのか感じられるかもしれません。

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フィジカルな感覚は使っていないとわかりにくいです。

BTYクラスの始めには丹田呼吸を少しですがやっています。

意識を集中させる意味もありますが、丹田と意識をつなげる役割もあります。

ただ丹田に意識が向くだけでなく、常時接続できるような感覚になるといいのですよね。

集中力もつきますし、エネルギーも湧きます。

その丹田の感覚が維持できると自分の実現したいことへの思いも念レベルまで昇華することができ、実現する可能性も高まることでしょう。

 

終わりに:掴み取ること

自ら掴み取る力が大事だなと感じています。

何を学んでも自ら掴み取らないと、その知識や能力や機会は流れてしってしまいます。

流れていってしまったものは二度と戻ってはきません。

しっかりと目の前で起こっていることから学び掴み取ることをしないといけないと感じています。

私(Kiyoshi)もBTYクラスをやる時にもたくさんの学びを掴み取っています。

BTYクラスを受講した時にも学びを掴み取っています。

クラス後にメモをしているわけです。

掴み取る力も自分の思いを実現するのにとても大事に思います。

念というのは丹田レベルの思いと書きました。

掴み取るのも表面的なことから丹田の深いところと異なるように感じます。

深ければいいというものではありませんが、自分に有用な知恵や叡智は、やはり奥の深いところにあると感じます。

掴み取る力、磨いていこうと思います。