思考を止めようとすれば思考が賑やかになり、降参して思考をただ眺めていると思考は止まっていき瞑想がやってくる

MEDITATION-瞑想

瞑想中でも普段の生活でも、思考を止めようとしても止まらないと思います。

思考はそもそもあってないようなものだからです。

また「思考を止めよう」という思考を繰り返してもしまうからです。

思考には戻る場所もホームもありません。

思考は霧のようにただあるだけです。

そういったものなので思考とは争わないこと。

勝手に思考というのは湧いてきて、どこかに消えていきます。

消えていくものにかまわないことです。

思考に対しては眺めてるだけで、何もできないと降参すると消えていくのです。

 

思考との対立は無意味

思考と戦っても止まりません。

戦おうとすること自体も思考だからです。

思考はただ漂っている雲のようなものです。

思考を止めようとすら思う必要はありません。

瞑想中は思考を止めようとあの手この手をやってしまう人がいます。

それは思考をより元気にする行為になります。

あれやこれやとやることが「思考」そのものです。

思考を止めようとしてはダメです。

思考はそのままに泳がせておけばいいのです。

 

思考を止めようとしている私は誰か

思考は私自身ではありません。

思考を止めようと思っている私が私の方です。

思考は深い理解を私にもたらすものであって、思考をどうこうするようなものではないのです。

思考を止めようと思う必要はありません。

瞑想をして、ただ流していけばいいです。

思考を止めようとしている限り、思考は決して止まりません。

止めようとしていることこそ思考そのものだからです。

万歳して、降参してください。

それしかありません。

降参です。

思考を止めるという行為がある限り思考は続きます。

万歳して、降参されてみてください。

 

別の思考を使っても結局は思考に戻ってしまいます

思考をどうこうしようとすること自体が新しい思考を生み出します。

ですので、できることはないのだと降参することです。

瞑想も努力してやってはいけません。

何もないのです。

瞑想しようと努力することが新しい思考を生みます。

何かしようとする限り瞑想は起こりません。

どこまで行っても行為する者がいる限り瞑想にはなりません。

思考と付き合ってはダメです。

どうこうしようとしてもダメです。

思考に対して何かすることでの解決はありません。

ぼぉ〜とすることだけです。

 

ただ思考を見ている

思考を傍観する者になってください。

思考に同化しようとしないように。

思考を自分と思わないこと。

思考がやってきたら、ただ見守ることです。

見守っていると思考は勝手に止まる。

もしくはどこかに行ってしまう。

私はどうするか。

その静寂へと寛いでいくだけです。

自分の努力によって思考が止まるのではありません。

努力をやめることによって思考が止まるのです。

止めようとすることで思考は動き出し、諦めることで思考が止まっていくのです。

そしてそこに瞑想がやってくるのだと思います。

 

終わりに:物理的には部屋を見ればいい

自分の思考の賑やかさを物理的に見るには部屋の様子を見ればいいです。

自分の部屋はどうなっているでしょうか。

もしくは、家や職場はどうなっているでしょうか。

物が散乱していますか。

それとも、綺麗に片付いていますか。

物が思考の賑やかさを象徴しています。

物を整理することでも思考の賑やかさを沈めることもできます。

物が減ると思考もスマートになっていきます。

物を整理整頓する過程で余計な思考を手放すことにもなります。

瞑想だけでなく、断捨離や掃除も思考を沈めるのにやはり有効ですね。