いつもの毎日が続いている人、激動の日々が続いている人、いろんな人がいると思います。
明日に希望を持っていこうと思って生きている人もいるでしょう。
でも、残念ながら、明日はやってきません。
今日という日がただ連続していくだけです。
明日という日はやってきません。
諦めてください。
今日という日がずっと続きます。
過去もありません。
過去もまた今にあるからです。
人は今というこの瞬間を生き抜いていくしかないと思います。
過去は今のために
過去というのは過去です。
過ぎ去ったものですね。
だから、気にする必要はありません。
と思っても、気にしてしまうことはあると思います。
でも、本当に気にする必要はありません。
気にしてもいいことがないからですね。
でも、切り替えられないこともありますね、それには今に還現していくといいと思います。
「あの人にあんなことを言ってしまった」「もっとあの人を大事にしておけばよかった」とかの後悔あるならば、それを今に還現していきます。
今、目の前の人を大事にするということです。
過去から今にかけて悔やんでいることを、今をないがしろにすることでもう一度してしまうのを防ぐのです。
未来から見れば、今は過去です。
今、目の前の人のことを大事にしていなければ、もう一度「あの人にあんなことを言ってしまった」「もっとあの人を大事にしておけばよかった」と思います。
そんな繰り返しはごめんですよね。
だから、過去を活かすなら今を大事にすること。
悔やんでいる暇があれば、今を精一杯生きること。
過去生も一緒です。
昨日という過去も、生まれる前の過去も一緒ですからね。
過去は今、考えている私の中にイメージとして存在しているだけです。
それを記憶と呼んでいたりしているだけです。
すべては今にあります。
未来は今のために
未来もやってきません。
未来はやってこないのです。
すべては今しかありません。
未来がやってくると思うのは勘違いです。
今という時が一瞬一瞬始まっているだけです。
未来を思うことはできますが、それは今思っているわけですね。
今という時に、未来を想像しているだけだからです。
だから、今を大切にすることしかできない。
今を大切にするための方便として未来を使うのはいいのかもしれません。
「未来はこのようになっていたいから、今はこのように一生懸命にやる」というようなものです。
でも、これにも注意が必要です。
あくまでも今しかないという前提がなくなると、未来のために今を犠牲にします。
例えていうと、良い会社に就職するために大学での勉強を頑張る、というようなことです。
目的も手段もやっていることもすべてが噛み合っておりません。
だから、あくまでも今です。
今をとことん生きましょう。
常に足元に大切なことがありますから。
明日はない
今日という日しかありません。
明日という日は永遠に来ません。
いつでも今日。
今日、今日、今日というだけ。
「明日があるさ」というのはない日を歌っています。
ないんですよ。
だから、明日に期待するのはやめて、今を生きる。
過去を憂いて生きるのをやめて、今を生きる。
そういうことなのです。
来ない明日を願っているのはちょっと寂しいですからね。
諦めてみてください。
やれることをやる、やれないことはやれない、諦めて今を生きてみましょう。
楽しいですよ。
終わりに:中毒性のあるものを控える
今を生きるということを書いてきました。
今の快楽だけを求めると、それはそれで今も台無しになってきます。
今起こっていることがわからなくなるからです。
特に中毒性のあるものは危険ですね。
ファーストフードとか時々食べたくなる人いますよね。
今でも毎日食べているよ、という人もいるかもしれません。
- 動脈硬化
- 心臓疾患
- 免疫力低下
- 発ガン性
- 糖尿病
- 味覚障害
- 精神不安定
などの”効果”があると言われております。
食べれば直ちにこのようになるわけではなく、少しずつなっていくというものですね。
だから厄介なのかもしれません。
身体を犠牲にしてしまうということですからね、よくありませんね。
犠牲、我慢、義務というのは危険ですね。
いつのまにか、自分をがんじがらめにしてできることもできなくなり、やりたいことへの意欲も削がれてしまっていたりします。
中毒性のあるものにハマると自己判断ができなくなります。
身体の健康も奪われてしまいます。
自分で自分の自由を制限するのはなんだか勿体無いですからね。
自ら感じることでいいので、自分で善いと思うことを実践されるとよろしいかと思います。