ヨガや瞑想をコツコツと実践しております。
職業がヨガインストラクターになる前からヨガや瞑想はしておりました。
練習は基本的に一人でやっているタイプでした。
時々、誰かのところに通うことはあってもそれは一時的なもの。
1ヶ月間で30人ぐらいの先生を受けまくってみるとか、そのように集中して受けていました。
ヨガ練習や瞑想は特に自主練を大事にしておりました。
今も自主練は大事にしております。
ですが、やはりヨガスタジオで複数の人と一緒に身体を動かしておりますと、また違ったものが浮かび上がってきます。
ヨガという繋がり
ヨガというのは軛(くびき)を着けるというのが語源としてあります。
馬と荷台をつけるという意味から、ヨガは私と大いなる存在とのつながっていくものです。
梵我一如という四字熟語で表されたりします。
梵というのはブラフマンのこと。
ブラフマンとは宇宙の根本原理のことです。
我というのは私を生み出している根本原理のことです。
この両方が同一であることに気づくのが梵我一如です。
ヨガの場合は、その二つは別物であり、その二つを繋げていくという考え方です。
梵と我を繋げていくということですね。
ヨガはそういった繋がりを扱うものです。
そして、さらに梵と我というのは別の存在ではないことを知っていきます。
ヨーガスートラに詳しく書かれております。
ヨーガスートラには禁欲なんてのも出てきます。
これは性行為をやめることですね。
ですのでヨガ行者は独身者であれという話になります。
現代でヨガ行者になるのはなかなか難しいですね。
関連記事:ヨガで成長するための8ステップとなる「ヨガの八支則」をざっくりと学ぶ
同じ場所でコツコツやること
ヨガというのは繋げるということでした。
同じ場所でコツコツやることもヨガ的にいいと観じます。
スタジオとの関係性が繋がっていくからです。
自分の合わないスタジオに我慢して通う必要はありませんよ。
それは自分に嘘をつくことですからね、離れていきましょう。
もし、自分はここでヨガというものをもう少しやりたい、楽しいので続けたい、身体が元気になっていくと思ったらその気持ちを素直にやれるといいと思います。
スタジオとも繋がっていくことで恩寵がくるかもしれません。
自分のステージに合わせて選んでみてください。
結局は継続がポイント
成長に継続が必要なようにヨガにも継続が必要です。
継続がないところに成長も深みもありません。
闇雲にずっとやっていればいいかというと、またそうではありませんね。
闇雲もよくありません。
目的を持つのがいいとも限りません。
ややこしいですが、そういうものです。
付けたり外したりということが必要なわけですね。
ただしヨガもやめれば、そこで終わりです。
ステージが上がって必要がなくなることはあるかもしれませんけど、大概の場合は怠けてしまうわけです。
ですから、継続していきやりきっていくことです。
同じ場所に通い続けると新しい身体操作が始まる
同じようなご飯を食べ続けるから体調変化がわかります。
同じ道を通るから環境の変化に気づけます。
同じように生活をするから日々の体調の移り変わりにも気づけます。
ヨガ的な身体も同じようなことがあると思います。
同じところで継続するから分かってくることがある。
もちろん新しいところへ行ってはいけないわけではありません。
ここではないと思えば移動するのもいいでしょう。
それも大事な判断です。
基本的な原則として同じ場所である程度の継続が必要ということです。
場所というと会社をやめてはいけないニュアンスも出るかもしれませんが、やっていることが一貫性を持っていて大きな意味での「場所」が変わっていなければいいかと思います。
同じ場所に敢えて通い続ける時期を作ることで新しい身体をぜひ手に入れてみてください。
終わりに:もう少しだけやってみる
継続と一緒で大事なことは、もう少しだけやってみるということです。
怠け癖のある人向けですけどね。
私は怠け癖がありますので、もう少しだけやろうと思ってみたりします。
継続するのにも何を継続しているのかがポイントになりますが、単純に時間も大事なこともあります。
たった1分でも、長くやれば、一年間で6時間も長く練習ができます。
6時間の練習量は大きいですよね。
継続にはこういった積み重ねる力があります。
ですので、もう少しだけやってみようと思って行動すると継続の力もさらに増加すると観じます。
無理のない範囲で試してみてください。
無理は禁物です。
身体によくないですし、ヨガ的にもよくありません。
でもしっかりとプラクティスは必要です。
その塩梅を継続していくことで見極めていくのが大事ですね。
私も今後も継続していきます。