枯山水という引き算

YOGA&BODY-ヨガと身体

枯山水というがありますね。

こちらは竜安寺の枯山水です。

上のトップにある画像と一緒です。

昔に行った時に撮った写真です。

知足のつくばいもありました。(ヨガ的にはサントーシャですね)

実は、枯山水がEngawaYogaに伏流するテーマになっております。

ヨガというのは引き算側の考え方に感じているからです。

引き算していくことで本質を浮かび上がらせるという思想だと感じます。

感じるだけでそのように書かれていません。

むしろ、足し算思考も結構書かれていたりします。

ヨガというと「手放せ系」のメッセージばかりだと思う人も多いでしょうが、かなりマッチョに「頑張れ系」のメッセージが多いです。

要するに足し算ということですね。

なので、引き算思考はKiyosh解釈的なヨガ思想かもしれません。

その辺を考慮して読んでみてください。

 

最大級の引き算

枯山水は最大の引き算思考です。

川から水を抜いてしまったのですから、すごいですよね。

水の無い川を作り出したのが枯山水です。

砂利で川の流れ、水を表現しているんだそうです。

この引き算の思想は大きすぎて、偉大すぎて、私の理解を超えていて、すご過ぎて、勝手に影響を受けております。

「迷ったら足すな、引いてみろ!」ということです。

引いてますか?

EngawaYogaスタジオで開催しているYogaである「BORN TO YOG」というクラス名称もYogaからaが引かれています。

困った時は足したくなってしまうものですが、やめることや引き算することで解決していくのを信条としていこうと思っています。

それが、枯山水から受けとっているメッセージの一つです。

 

空間を作り出す

断捨離や全捨離も引き算をすることで、空間を作り出します。

そこに何かがあり、その何かを引くから”空”が生まれる。

無ではなく空ですね。

”空”作りが枯山水であり(本当か?)断捨離であり、全捨離であり、minimalismだと思っています。

あらゆるところに”空”を作っていくのです。

空はある種のボルテックスです。

空に全てがあります。

空からすべては生まれているのです。

枯山水には、その空を認識させる何かがあるのです。

だから枯山水が好きなのです。

 

禅の美

禅というのは仏教の宗派のひとつですが、禅寺という表現には美というものも意識されていると思います。

禅寺と聞くと、スッキリと整ったお寺をイメージするのではないでしょうか。

禅寺のような空間、という表現もあるくらいですしね。

枯山水にはそれら全てが備わっていると感じます。

禅というものは、「仏教の悟り」をただ一点見定めて歩む道です。

そこには幻想や超能力や現世利益などはありません。

すべてを差し引き、リアルな「いまここ」という現実だけを見ます。

仏に会えば仏を殺せ、と言われるのもリアルに己と対峙していくからでしょう。

空想世界を楽しむようなこともないというのも禅に魅力を感じる一つとなっています。

その禅と枯山水は、ともに私には大変に興味をそそる対象であり、大げさに言えば人類にとって大切にしないといけない”もの”だと思っています。

 

枯山水メソッド

なんでもメソッドにすればいいわけではないのですが、枯山水の引き算思考はとても大事なメソッドに思います。

敢えて取り払うことにより、良い部分が伸びたりすることもありますよね。

決してマイナスのところを取り払うことだけが、引き算思考ではありません。

枯山水という余白を作り出す思考が大事なのです。

枯山水という引き算の流れに乗る、ワクワクしませんか。

ワクワクした気分でこれからも枯山水メソッドを活用して余白や”空”を作り出していこうと思います。

 

終わりに:EngawaYogaについて

aboutで色々とコンセプトについて書いてありますが、伏流しているものとして枯山水があります。

枯山水って物凄く惹かれませんか?

わたしは始めて観たときに、ぶったまげたのを覚えています。

ぶったまげたのは覚えていますが、何処の何の庭かは覚えておりません。記憶というのはそういうものです。

そのぶったまげた思想をEngawaYogaでも少しずつ表現していけたらと思っております。

実はEngawaYogaのロゴマークが枯山水からきています。

わかりますか?

3本線が川なのですよ、実は。

そういうことでEngawaYogaも枯山水に影響を受けて、これからも邁進していきます。