頭の中が散らかってしまっていることが多い時期でした。
でした、というかまだ散らかっている時期です。
基本、整理整頓をしております。
物を片付けたり、本を整理したり、もう使わないものを売ってしまったり、人にあげたりとしております。
サバサバとこなしていきたいのですが、思うように捗ってはいません。
時期的な影響もあるのだなと思っております。
「断捨離とかして片付けたのに、また散らかったりするのですか?」と聞かれることがあります。
嫌味で言われてるだけなのかもしれませんが、仕事をして生活していればしょうがないことです。
新しいことを始めれば、新しいものも増えます。
仕方ありません。
それをせっせと整理整頓しながら先へと進めいくのだと思います。
「断捨離とかして片付けたのに、また散らかったりするのですか?」という質問は「また洗濯しているのですか?」という質問のようなものです。
散らかしておくことの効能
物は基本的に整理しておくのが良いと思っています。
なので、私も整理整頓しております。
思考やアイデアは時には散らかしておくというのも大事に思っています。
その方が化学反応が起きて新しいことが起こったりするからです。
化学反応のためにどんどん集めて散らかすというのも有効です。
マインドマップでよくアイデアもまとめておりますか、発散させていく時間も大事です。
もちろん、あと、そもそも片付かない問題もありますけど。
片付けておかない方がいいこともありますよね。
アイデアの片鱗や思いつきや難題とかですね。
そういったことはペンディングにしておいてます。
時間が解決したり、問題自体がなくなったりもします。
そんな時は頭の中をそのままにしておきます。
机の上を散らかしておくイメージです。
あまり耐えられないですよね。
でも、アイデアや課題に対しては散らかしておいても大丈夫な体力って大切だと思うのです。
なんでもかんでもシンプルにはいかない
なんでもかんでもシンプルには切り分けられません。
複雑なものもあります。
むしろ、複雑なものの方が圧倒的に多い。
部屋をシンプルにしておくのは、多くのものは複雑に処理しないといけないからかもしれません。
人間関係でもそうですよね。
わかりやすくキッパリとはいきにくいです。
ということで、アイデアや課題というのも複雑なまま育てる必要のあることにも思います。
難題もずっと頭の片隅にいていいのだと思います。(だって難題ですからね)
オッカムの剃刀のようなものもありますが、それはあくまでも解決した後の話しのようにも感じます。
いかがでしょうか。
複雑を経由することで単純な結論に至ると。
全部とは言いませんけど。
片付けは継続中
ということで、物の片付けは継続中です。
先日は漫画を読んで売ってしまいました。
マスターキートン、インベスターZ、モンスター、リアルです。
どれも面白かった。
特にマスターキートン、モンスターは久しぶりに読み直したので面白かったです。
傑作ですね。
手放すのが惜しいくらいでした。
次に買う時はKindleで買います。
終わりに:無駄なことに気づくのは難しい
facebookを見ていたら、どう考えても無駄なことをやっている人がいて、その人がコメントで「人生無駄なことはないですね」と返信もしているのを見ました。
この人の中のタイムラインが滅茶苦茶なのだと思いました。
煎れたてのコーヒーを流してしまうのは無駄ですよね。
でも、こぼしてしまったことから先につなげることはできるので、無駄ではなかったと思える。
実際にこぼしてしまった時は無駄だけで、後から考えて無駄ではなくすことはできるというだけ。
だから、今ここで無駄なことをわざわざする必要はありません。
なんだか、怖いなと思いました。
自分もこういうことをしているのではないだろうかと。
「無駄なことはない」のは真実だろうけど、自分から無駄なことをしようとは思わないでしょう。
結果を見て「無駄だと思ったら無駄ではなかった」という流れです。
無駄にしようと思ってもないでしょうが、無駄なことになってしまうのはあります。
必然というのはそういうものかもしれません。
人生は偶然ではなく必然です。
たとえば、今飲んでいるコーヒーカップを割ったとしましょう。
それは必然だったのかもしれません。
でも、まだ使えるコーヒーカップを割らないでまだ使えた方が良いに決まってます。
それを割った方がいいと言わんばかりの必然宣言をする人がいます。
そういう人は「鴨が葱をしょって来る」ようにビジネスマンには見えるんでしょうね。
だって騙されてもその人は「無駄なことはない。必然だった。次は良いことがある。」と勝手に自己満足してくれますからね。
こわいですね。