インド哲学の考え方で、リーラという思想があります。
リーラというのはこの世界を踊り楽しむことです。
それと一緒に紹介される言葉にマーヤというのがあります。
マーヤというのはこの今生きている世界のことです。
そしてマーヤの意味は”幻想”です。
ですので、インド哲学においてはこの生きている世界は幻想ということになります。
もくじ.
世界は実験上です
マーヤという幻想の思想からすると、この世の中は生きる意味がないのでしょうか。
そうではありません。
先ほど紹介したリーラがそれにあたります。
踊り楽しむということです。
この世界は踊り楽しむために存在するのです。
さらにインド哲学(ヒンズーの教えかも?)では、この世界に来ている私たちは神様だといいます。
個々人が神様なのです。
神様が遊戯に来ているのがこの世界です。
どうですか。
あなたが神様なのですよ。(私も神様なのです)
すべてが思い通りになっているのです。
神様なのですから。
信じられませんか、あなたが神様です。
思い通りになっていないと感じるのは、思い通りになっている”思い”に気づいていないから
神様なら思い通りにできると考えると思いますが、それが本当ならなぜこの世界を思い通りに生きていないのか。
それは、思い通りの”思い”がわからなくなっているからです。
すべて自分で望んだことなのです。
自分に聞けばわかります。
正義感の強い人は、必ず悪を作り出します。
正義は悪が存在しないとありえないことだからです。
ヒーローも同じです。
ヒーローになるには悪者を倒さないといけません。
ですから、目の前に悪者を作り出すのです。
文句を言いたい人は、文句を言わせてくれる嫌な人をそばに創造します。
幸せな人は、幸せなことを創造します。
そのようにできているようです。
そこに気づくかどうかがポイントです。
結局は自分で作り出しているのです。
思考は現実化するって聞いたことはありませんか
思考は現実化する、というのはナポレオン・ヒルという成功哲学者が言った言葉です。
聞いたことがある人も多いでしょう。
また、引き寄せの法則とかも聞いたことがあるかもしれません。
引き寄せる方法というのは沢山あるし、コツのようなこともあります。
でも、前提は私は神であるということです。
神という言葉が受け入れにくいと思うなら、私が全てを決めていると理解してもいいです。
すべて私が決めて作り出しているということです。
それが観念でもあるのです。
気づきにくいのは観念になっているから「こんな現実を作り出した覚えはない」というのだと思います。
お金が欲しいという人が一生懸命に働くのは「一生懸命に働かないとお金は得られない」という観念があるからです。
そのように自分で決めているので、そこから外れる現実が起こりません。
実際に起こっていても、それが見えないのです。
観念があるので、その世界そのものが見えないようになっているのです。
サラリーマンでないとダメ、という観念がある人は就職するということしか頭から出てきません。
起業という単語さえも思い浮かばない。思い浮かんでも観念があるので「起業は絶対ダメ」と判断します。
そのように自動的に人は決めているのです。
この世界に起こることをほとんど自動的に作り出しているのです。
観念や思い込み、そこに起こる自動的な感情が現実を作り出していってます。
観念を外すこと
観念を外すには逆のことをすることです。
逆というのは、例えば「努力しないと成功できない」という逆は「遊んで成功する」です。
遊んで成功していい、という観念に書き換えるのです。
実際にいますよね、遊んで成功している人が。
本当にいるのですよ、遊んで楽しく暮らしてお金もある人が。
だけど、観念があるので「そういう人も苦労しているんだ、大変なんだ、不幸なんだ」と思い込むわけですね。
でも実際にはいますよ、幸せなお金持ちなんて。
だから、まずは遊んで楽しくすればいいのです。
「遊んでるだけだとダメになっちゃう」と思っている人は、それが観念です。
遊んでもいいんだ、豊かになっていいんだ、幸せになっていいんだ、これでいきましょう。
許可してください。
観念にしばられるのをやめてください。
うらやましいと思えることはやってみてください。
終わりに:観念はハプニングがないと気づきにくい
観念というのは気づきにくいものです。
なぜなら、表層に上がってこないからです。
心の奥底で「当たり前」と思っていることです。
ですから、その観念を取り出すにはハプニングが必要だったりします。
ハプニングも自分で仕組んでいると知ったらビックリしますか。
この世界は大いなる実験上でもあります。
「いきなり生まれて、気づいた時にはゲームは始まっている」という感覚ですよね。
この大いなる実験上で、もう少し楽しく生きてみたいと思っています。
実験は続きます。