成長ではなく脱皮な気分【ヨガインストラクター日記ブログ】Kiyoshi vol203@目黒

ヨガライフ-東京日記

私にとって成長していくことは一つの喜びです。

基本的に何を食べてもごはんを楽しめるいうのと一緒で、何で成長してもその成長が楽しいと思えます。

成長できないとつまらないわけではありませんので、勘違いなさらず。

成長を楽しいと思う人間です。

今現在、今までの自分から変化する時期に入ってきたと思っています。

その変化は成長ではなく、脱皮するイメージです。

一つ、剥けていくイメージ。

そういった方向性を感じており、少しドキドキするようなワクワクがあります。

新しいことへ向かっていくので、緊張感も少しあります。

弱気な自分もいますし、とても強気な自分もいます。

そして、それは、自分の意志や意図とは別のところでも大きく動いているように思っています。

なんだか、不思議な感覚です。

 

脱皮は直線上の成長とは異なる

脱皮というのは直線上の成長とは異なります。

家でいうと、内装を変えたり、リフォームするのが成長。

脱皮は、家自体を引っ越すイメージです。

その脱皮が起こっているということです。

楽しそうですよね。

実際に、今物理的にも引っ越しをしようとしております。

精神的な引っ越しも真っ只中です。

ですので、瞑想も変化しております。

瞑想でも体験が変わっており、ちょっとびっくりするようなこともありました。

でも、変わらず日常は通常運転ですけど。

精神的な面でも引っ越しは大変というか、待ったなしな感じがあります。

乗用車からスポーツカーに乗り換えたような感覚で、今はそのスピードにドキドキしている状況です。

 

いいんだな感

脱皮するときは、「あ、これでいいんだ」という確信のようなものがあります。

どこからともなくやってきたものであっても、前から知っていたかのように確信を持てる。

面白いですよね。

これでいいんだ、とわかると脱皮した時であったり、脱皮のタイミングだったりしますね。

脱皮すると新しい能力や状態が開花されていきます。(前からあったのに気づけなかっただけというのもあります)

勝手に開花されていく感じです。

心や気持ちが開いた時と一緒で、開いてしまえば、それは始まります。

奥からのエネルギーや風が通り抜けます。

まだまだ、開いていない門はあるでしょうが、新しい門が開いた時の感覚です。

これが脱皮。

今、脱皮してきています。

開きかけな感じもありますので、一度開ききってみます。

 

脱皮を意図的にできるのか

意図的な脱皮は難しいかもしれません。

でも、方向性はあると思います。

それは、引き算であったり、思い切ることであったり、損することなど。

関連記事:損すると思っていることの方が得なのかもしれないという現象

こちらの方向性ですね。

もうやめようと思っていることをどんどんやめていく。

どんどん引き算していく。

断捨離もそうですよね。

断捨離して人生が変化していく人は引いていっています。

さらに、そこで思い切りもいれるといいです。

思いを断ち切っていくということです。

過去からの思いとか断ち切れると本当に人生変わりますよね。

関連記事:何が勿体無いのか、時間なのか空間なのかお金なのか人生なのか【ヨガインストラクター日記ブログ】Kiyoshi vol92

思いを断ち切るというのは、損する覚悟でもあるのです。

やめたりしていくと、確かに損するようなことも起こります。

それを乗り越えるのではなく、それでも進めていくだけ。

すると脱皮するキッカケにはなります。

あとは、タイミング。

結局は、人知を尽くして天命を待つと言うことですね。

人知を尽くすのが「なんとかすること」で天命を待つのが「なんとかなるという状態」を保つこと。

 

終わりに:今の自分を受け入れると次にいく

不思議なもので、今の自分を変えよう変えようと思っているとそのままです。

でも、いったん今の自分を受け入れようと思うと次の自分にいけます。

不思議ではないんですけど。

当たり前なんですけど。

私も今の私をいったんOKにしますと、次にいけます。

本来の状態に戻っていくとも言えます。

今の自分を受け入れていこうと思います。

やっぱり「人知を尽くして天命を待つ」っていい言葉ですね。

改めて思いました。