日々を精進しているでしょうか。
ヨガというものは元来修行法なので、毎日取り組むものです。
しかも、それなりな強度でやり続けるものです。
なかなか大変なものです。
大変というのは大きく変わると書きますよね。
だから、大変な時は大きく変わる時です。
ヨガ(BORN TO YOG)をやると大きく変わるのですね。
現代ではフィットネスとしてのヨガであったり、瞑想も20分くらい座って心をリセットして終わったり、ものによってはファッションとしてのヨガとして成り立っているものもあります。
何はともあれ、好きでやっているのなら、そのまま楽しく継続されるとよいと思っています。
好きで楽しいというのは大切なことです。
自分の好きを大切にしてみる
自分でこれが好きなんだよね、と感じることを継続するといいと思っています。
むしろ、好きなんだよねと感じられないものを継続するのは難しいですね。
だから、好きをやってみる。
好きというとわがままし放題と解釈する人もいますが、それでもいいですけど、本当に好きなものはわがままとは少々異なる感じがあります。
「わがままに振舞うことが好き」というのはちょっとピントがずれているからですね。
そのように振舞うのは好きだからではなく、認めてもらいたいとか承認欲求のような感じが匂います。
なので、「わがままに振舞う」ということをしたい時は、何がそうさせているのか自分でも感じてみるといいと思います。
自分の好きなことはなんでしょうか。
好きなことをやっていくと道は開けると思います。
私は今は、BORN TO YOG、瞑想、ボイトレ、インサイトマップです。
だから、それ自体も提供しています。
他にも好きで楽しいことはあるので、どんどん形にしていきたいと思っています。
手ぬぐいも作り始めております。
楽しみです。
好きなことを淡々とやっていても一喜一憂してしまうことはある
ヨガを日々やっていても、淡々としようと思っても、まだまだ一喜一憂してしまうことがあります。
私の場合は波はあまりない方のですが、それでもまだまだ未熟なため一喜一憂は生じます。
最近もあまりこれという理由もなく、疲れを感じることがありました。
そういった時に自分の真価がとわれます。
それでもヨガや瞑想をやり続けることができるのか。
それでも淡々と日々を過ごせるのか。
それでも機嫌よく日常を送れるのか。
これができないと日々の鍛錬の意味がありません。
逃げてしまったり、落ち込んでしまったり、強がってしまったりということが起こってしまうというのは鍛錬が鍛錬になっていないということです。
そんなにマッチョな感じなのかというとそうでもなく、ただゆるく淡々とやっています。
私は結構ゆるいので、実際に会うと拍子抜けする人もいます。
そんなものですので、また今日も楽しくやっていきます。
人生というのはいろんなことがありますね。
暇をしないでいいですね。
終わりに:お風呂大事
疲れを感じた時というのは、面倒になってシャワーばかりになってしまいますね。
でも、こういう時こそお風呂です。
疲れた時、入るのが面倒な時こそお風呂です。
疲れがちゃんと抜けます。
疲れを抜かないといけないくらい疲れているから、お風呂に入るという簡単なことまで面倒に感じるのですね。
面倒に感じている時は絶対に入った方がいいということです。
これは覚えておいた方がいいと思います。
ヨガも一緒です。
疲れてしまったり、面倒くさく感じている時ほどヨガです。
身体の浄化が必要な時です。
身体を動かして流してあげた方がいいときです。
それがわからなくなるくらいに疲れてしまっているだけです。
このような時にお風呂に入って、ヨガや瞑想ができるようにしておくことが普段からのプラクティスですね。
今日もプラクティスに励みます。
おまけ:ケーキの切れない非行少年たちが気になる
ちょっと気になっている本です。
ポチろうとしております。
なかなか、興味深いのですよね、「ケーキの切れない非行少年たち」こういうこともあるのですね。
言ってはいけないにもこういったことがあること、ニュアンスは異なるかもしれないですけど書かれていたように思います。
IQが非常に高い人たちがいるということは分布としては、IQが著しく低い人もいます。
脳機能の障害だと判定されないグレーな人もいるみたいですね。
いやー、気になります。