たまたま芽が出た瞬間に居合わせただけなのが先生【ヨガインストラクター日記ブログ】Kiyohi vol153

ヨガライフ-東京日記

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BORN TO YOGというヨガを教えております。

世間的には先生という立場になります。

人の前にたってヨガを伝えているので、形式上は先生ですね。

ヨガや瞑想を伝えておりますと、アハ体験を生徒さんがすることがあります。

今までできなかったことが突然できたり、一言のアドバイスで花開いたり、誰かにしていたサポートで隣の人が長年の悩みが解消されたり。

時々あるわけですね。

そもそも「そんなの少し勉強したり、練習すれば誰だって解決できるよ」というレベルのものではなく、もう少しそれなりに大変なものであったり課題として大きなものであったりというのが対象です。

最後のひと押しといいますか、最後の気づきのきっかけに先生が関与している場合(実際は関与していない)、生徒さんが先生スゴイとなってしまったりします。

もしくは、先生が自分のことをイケてると強く思ってしまう。

そういうことが起こります。

全部とはいいませんが、先生というのはその場に居合わせただけの存在だと思っています。

そこを勘違いすると、エゴが豊かに育って、のちのちに苦しみを生むのかなと思うわけです。

 

生徒さんの成長の瞬間に立ち会えるのは嬉しい

先生として成長の瞬間にいれるのは純粋に嬉しいですね。

居合わせれば嬉しいのでともに喜んだりします。

私に対してだと「きよしは、あまり喜ばないじゃないか」と生徒さんは思うでしょう。

確かに、私ははしゃぐことをしないので、普通にニコニコしている程度ですけど、嬉しいですよ。

嬉しいです。

大丈夫です。

嬉しいのは、生徒さんが一生懸命にやってきた結果のひとつが出たからですね。

先生という立場のひとつの恩恵ですね。

ありがたいことです。

 

たまたま芽が出た瞬間

居合わせたことができたのはたまたまです。

本当にたまたまなんですよ。

だって一生懸命にやってきたのは生徒さんだったり、その人なんですからね。

教えている側が頑張ったわけではない。

どんなに丁寧に教えても、あの手この手でやっても、その人がどうするかですからね。

最後のひと押しはあるかもしれませんが、なんというかそれはなんでもいいわけですね。

「私」が担当しなくても、どこかの誰かが担当するんですよ。

どこかの誰かに、今、私が立ち会えてだけですね。

でも、押してわかるところまではその人が歩んでいかないといけない。

本人の意思と行動が必要なわけです。

その結果が、芽が出たのですね。

 

やるやつはやるなと言ってもやる、やらないやつはどんなに言ってもやらない

これは「赤めだか」に出てくる立川談志の言葉です。

本当にそう思いました。

やるやつはやるんですよね。

やらない人はやらない。

環境の影響もあるでしょうが、やる人は本当にやりますね。

やらない人は、しっかりとやめていく。

やらない人もスタートはするんですが、本当に少しだけやって、気づくとやめてるんですね。

びっくりするほど、その傾向は高い。

自分も継続力つけていこうと思いました。

途中でやめてばかりでは、ものにならないので面白くないですからね。

あと、レジリエンスも。

レジリエンスは回復力ですね。

立ち直る力、一気に落ち込まない力ですね。

高めるには楽観性、心の柔軟性、内観力が大事です。

これらもヨガや瞑想で磨いていこうと思います。

話を戻します。

 

先生のありがたみは全然わからないでいい

先生というのはどんなタイミングで「あの先生のおかげで」と思えることができるでしょうか。

かなり先なのだと思います。

学校の先生でも、学生の頃に聞くと、言ってくれていることは分かったような分からないようなものですよね。

むしろ、うるさいと思ってしまった人もいたことでしょう。

逆に分かったと思っていたら、20年後ぐらいにまったく異なる解釈で腑に落ちるということもあるでしょう。

そんなものですよね。

教育の成果がどこでわかるかなんて自分にはわからない。

先生にもわからない。

先生のありがたみもずっとわからない。

でも、どこか突然で天啓のように(ちょっと大げさか)わかる瞬間がやってくる。

「あの時の助言はこの時のためにあったのか」と。

もうリアルロールプレイングゲームみたいな感じですけど、先生の存在はそういうものだと思います。

 

終わりに:気づきは定量的には無理

気づきを得たり、ハッとなる体験をするのは定量的にできるものではありません。

これだけの量をこなすとハッとすることができる、とはなっていませんね。

100冊の本を読むとハッと気づける、とかはないですからね。

1000冊でダメでも、1001冊目にあるかもしれませんし、ただ道を歩いている時に来るかもしれません。

もちろん量が必要なことは多々あるでしょうが、定量的に計画できるわけではありません。

だから、先生がたまたま居合わせたということにもなるのですね。

突然、コップから水が溢れる瞬間に立ち会えるのは楽しいですね。

これからも継続して精進していこうと思います。