諸行無常です。
気分は移ろいゆくものなので、ヨガや瞑想や呼吸法でなんでもかんでも解決できると思わないことが大事です。
気分というのは変わるものですからね。
変わるものを絶対にコントロールしようとすることが難しいです。
ですので、最初から変化するものだと思っておくことが大切。
変化が前提になるので、完全にコントロールできるわけではないということです。
ある程度、良き方向へと導く習慣は作ることができるでしょう。
毎日の運動や散歩。
好きなことをしたり、しっかりとお風呂に入ったり、日光を浴びたり、睡眠時間を確保したり。
それでも完璧にはできません。
かならず綻びがでます。
気分というのはそういうもの。
ヨガが足りないから気分が優れないのではありません。
ヨガが深まっていないから気分が優れないのではありません。
ヨガのやり方が間違っているから優れないのでもありません。
気分というは何をしても勝手に変化してしまうものなのです。
どうこうしないことも大切な解決策
そのように勝手に変化していくというのが気分であり心だと思っています。
だから、頑張ってコントロールしようとしない方がいいです。
コントロールしようとしていたら、そのコントロールしようとしている自分に気づくことの方が大事だったりします。
こういった浮き沈みのある気分をどうこうしないという観察力がほしいですね。
どうこうするから、余計に変なことになります。
コントロールできないものを、コントロールしようとするからさらに変なことになります。
実際にヨガや瞑想ってそういうものじゃないですか。
コントロールするのではなく観察する。
一生懸命に取り組んでいくことで気づくことができる。
それを淡々とやっていく。
その結果に調子の良さのようなものが生まれるのですよね。
調子の良さはひとつの結果です。
調子をよくするためにヨガをやるわけではないですもんね。
調子をよくするように意識が働くと集中も外れるし、目的も間違えるし、気づくということも失われてしまいます。
気づいて、観察して、状態を観る。
それがヨガです。
それができると、普段の生活で一喜一憂することもなくなることでしょう。
これ自体が理想論かもしれませんが。
ヨガや瞑想を魔法に思わない
ですので、ヨガや瞑想も魔法に思わない。
ただのひとつのツールです。
ツールを活用して生活の質を上げていくだけです。
実際にヨガが初めての人は調子がよくなると思います。
運動を日頃からやっていない人はなおさら良い気分になるでしょう。
そういうものですからね。
でもそれに依存しないこと。
呼吸法や瞑想も同じ。
呼吸法だけでも気分はよくなりますからね。
普通の人は、しっかりと息を吐き切るということも普段はしないですよね。
しっかりと吐き切って、そして吸うだけでも身体も心も気持ちいいです。
それを自分の手柄のように言う先生がいたら逃げましょう。
危なすぎます。
自分で自分を観察していくことで、自然と調和がとれていくのです。
それがヨガだと思います。
終わりに:やっぱり体験しないとわからないことはある
私は体験至上主義ではないのですけど、それでもやっぱり体験しないとわからないことはあります。
体験したから偉いとかの話でもないので、そういう話が好きな人は今更ですが、他へあたってください。
例えば、好きなこと(ワクワクすること)をやっていくと稼げたり幸せに生活できる可能性が高い、というのがあります。
時代が変わっているので、好きでもないことで稼ぐ方が難しかったります。
情報もたくさんありますし、様々な職業もありますし、フリーランスで働いていく道も山ほどあります。
最低限暮らす分だけとかなら、好きなことを基本としてやっていくのが効率もいいと思っています。
それをやりもしないで、あーじゃこーじゃ言う人がいます。
こればかりは、やってみないとわからないです。
責任も誰もとってくれませんけど、やってみるかどうかです。
責任とか言っている人は、何に対しての責任なのかわからないですけどね。
それは置いといて。
好きでワクワクすることだけにしていくと言うのを試してみないと確かにわからないことはあるなとは思います。
なぜなら、やってもない人がやっぱり色んなことを言ってくるからです。
なので、やってみましょう。
やらないなら、それはそれでスルーしていればいいと思います。
よろしくお願いします。
やってみると結構すんなりと出来ることが多いので面白いですよ。