ヨガを推奨しております。
「ヨガをする」というと、どうしてもマットを敷いて、着替えて、60分なり90分なりの時間を確保して……と、何か大掛かりな儀式のように考えてしまいがちです。
しかし、本当に大切なヨガの実践は、もっと軽やかで、日常的なものです。
今日は、「たった5分」という小さな時間が持つ、意外なほどの力について、静かにお話ししてみたいと思います。
「まとまった時間」という幻想
現代社会は忙しいです。これはもう、疑いようのない事実です。
仕事、家事、育児、そして絶え間なく押し寄せる情報の処理。
私たちは常に時間に追われています。
「時間ができたらやろう」「落ち着いたら始めよう」
そう思っているうちに、一日が終わり、一週間が過ぎ、気づけば季節が変わっています。
私たちは完璧主義に陥りすぎていないでしょうか。
「ちゃんとやるなら1時間は必要だ」という思い込みが、最初の一歩を重くしています。
0か100か。やるかやらないか。
その二元論(デュアリティ)が、私たちを行動から遠ざけているのです。
しかし、ヨガの本質は「継続」と「反復(アビヤーサ)」にあります。
月に一度の完璧な90分よりも、毎日の不完全な5分の方が、心身に与える影響はずっと大きいのです。
川の水が岩を穿つのは、一度の激流ではなく、絶え間ない滴りによるものであるように。
5分が作る「流れ」と「偶然」
たった5分でも身体を動かすこと、あるいは目を閉じて座ること。
これをやってみると、不思議なことが起こります。
それは、自分の中に新しい「流れ」が生まれるということです。
淀んでいた水たまりに、新鮮な水路を引くようなイメージです。
少し動くことで、血流が変わり、呼吸が変わり、気(プラーナ)が動き出します。
すると、凝り固まっていた思考のパターンにも隙間が生まれます。
そして、この「流れ」に乗っているときにこそ、「偶然(シンクロニシティ)」は訪れやすくなります。
ふと良いアイデアが浮かんだり、連絡しようと思っていた人から連絡が来たり、探していた答えが目の前の本の背表紙に見つかったり。
スピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんが、これはエネルギーの法則です。
停滞しているものには何も引き寄せられませんが、流れているものには、新たなものが次々と流れ込んでくるのです。
「運が良い」という状態は、実は「気の流れが良い」状態のことなのかもしれません。
そのスイッチを入れるのに、何時間もかける必要はありません。
5分でいいのです。
その5分が、今日という一日の質(クオリティ)をガラリと変えてしまうことがあります。
ヨガは「状態」であり、「行為」ではない
そもそも、ヨガとは「ポーズをとる時間」のことだけを指すのではありません。
ヨガ(Yoga)とは「結ぶ」という意味であり、心と身体、自分と世界が調和している「状態」のことです。
電車の待ち時間に深呼吸をする。これもヨガです。
デスクワークの合間に、意識的に肩の力を抜く。これも立派なヨガです。
寝る前に5分だけ、今日あった感謝できることを思い出す。これもヨガです。
現代社会の問題の一つは、あらゆるものを「パッケージ化」してしまうことです。
ヨガも「スタジオに行って対価を払って行うサービス」としてパッケージ化されています。
もちろんそれも素晴らしい体験ですが、ヨガの本質はもっと生活に密着した、いつでもどこでも取り出せる知恵です。
形(ポーズ)にとらわれすぎないでください。
ウェアに着替えなくてもいい。マットがなくてもいい。
今、その場で、自分自身に意識を向けること。
その「気づき」の瞬間を持てたなら、あなたはもうヨガをしています。
小さく始める勇気
大きな変化を求めて、大きく動こうとすると、エゴ(自我)やホメオスタシス(恒常性)が抵抗します。
「面倒くさい」「また今度でいいや」という言い訳を作り出します。
しかし、「5分だけ」なら、エゴも油断します。
「まあ、5分くらいならいいか」と。
この、エゴの隙をついて小さく始めることが、継続への近道です。
そして面白いことに、嫌々ながらも5分始めてみると、身体が気持ちよさを感じて「もう少しやりたいな」と思うことがよくあります。
やる気(モチベーション)は、やる前に湧いてくるものではなく、やった後に湧いてくるものなのです。
行動が感情を作るのです。
だから、まずは動いてみる。座ってみる。
結果や効果を期待せず、ただ淡々と、5分の種を蒔いてみる。
その小さな種が、いつか予想もしない美しい花を咲かせたり、大きな木陰を作ってくれたりするものです。
「少しでも、それは5分でもやってみること」
その軽やかさが、あなたを重苦しい日常から連れ出し、新しい流れの中へと運んでくれるはずです。
お茶を飲むくらいの気楽さで、ヨガのある暮らしを始めてみませんか。
ではまた。


