多くの人々にとって、「ヨガをする」という言葉は、ヨガマットを広げ、特定のポーズ(アーサナ)を取り、一時間ほどのクラスに参加することを意味するかもしれません。確かに、それはヨガの非常に重要で有益な側面です。しかし、もしヨガがそのマットの上だけのものだとしたら、それは単なる柔軟体操やフィットネスと何ら変わりはありません。ヨガの真価、その深遠な智慧は、クラスが終わり、マットを丸めてスタジオを後にした、その瞬間からこそ、私たちの人生の中で試され、発揮されるのです。
古代の賢者パタンジャリが編纂した「ヨーガ・スートラ」において、ヨガの実践は八つの段階(八支則)に分けられています。驚くべきことに、私たちが一般的にヨガと認識しているアーサナは、その三番目に過ぎません。その前には、日常生活における指針であるヤマ(禁戒)とニヤマ(勧戒)が置かれています。これは、マットの上での実践は、日常生活という土台がしっかりと整って初めて、その真の意味を持つということを明確に示しています。
マットの上は、いわば私たちの人生の「リハーサル室」あるいは「稽古場」です。
山のポーズ(タダーサナ)で、私たちはただ立つことの中に、揺るぎない安定性と中心軸を見出す練習をします。この学びは、マットの外で、人生の嵐に直面した時に、感情的にぐらつかず、心の中心に留まる力として活かされます。
バランスのポーズで、私たちは一点に集中し、絶えず揺れ動く身体を調和させる稽古をします。この集中力は、仕事や家庭で、散漫になることなく、今なすべきことに意識を向ける能力へと繋がります。
深い前屈のポーズで、私たちはエゴや抵抗を手放し、あるがままの状態に身を委ねることを学びます。この感覚は、人間関係において、自分の思い通りにならない他者や状況を受け入れ、手放す知恵として応用されます。
そして、最後のシャヴァーサナで、私たちは完全なる脱力と降伏を練習します。この究極のリラクゼーションは、日々のストレスや緊張から自分を解放し、大いなる流れに身を任せる信頼感を育むための、最も重要な訓練なのです。
このように、マットの上での一つひとつの経験は、マットの外の、より複雑で予測不可能な現実の世界で、私たちがより賢く、より穏やかに、そしてより愛深く生きるための、具体的なスキルを授けてくれます。スーパーのレジでイライラしそうになった時、意識的に呼吸を深くする。これが「マットの外のプラーナーヤーマ」です。誰かに対して批判的な思いが湧いた時、その人の内なる神性に意識を向ける。これが「マットの外のナマステ」です。
真のヨーギー(ヨガを実践する人)とは、難しいポーズをこなせる人のことではありません。人生のあらゆる瞬間において、ヨガの智慧と共に生き、自らの思考、言葉、行動に責任を持ち、内なる平和を体現している人のことを指すのです。ヨガの旅は、マットの上で準備され、マットの外の日常生活という広大な舞台で、その本番を迎えるのです。


